藤内光澄が鎌倉殿に粛清された理由!北条政子の「尼将軍」の前触れ?

   

 

NHK大河「鎌倉殿の13人」が盛り上がって、いよいよ壇ノ浦が近づいてきましたが、

第17回【助命と宿命】での藤内光澄成敗に「なぜだー」の声が全国に響き渡りました。

 

今回は『藤内光澄が鎌倉殿に粛清された理由!北条政子の「尼将軍」の前触れ?』

というタイトルで、藤内光澄の理不尽な成敗についてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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藤内光澄ってどんな人?

 

藤内 光澄 (とうない みつずみ) は、大河ドラマでは長尾 卓磨(ながお たくま)さんが

豪快で堂々たる坂東武者を演じておられます。

光澄は伊豆の堀 親家(ほり ちかいえ)の家来で、頼朝の挙兵時点から

主人に従い、負け戦の”石橋山の戦い”から参戦していたと考えられます。

 

鎌倉殿の「義高(木曽義仲の息子)討つべし」の御触れで義高を討ち取り、

意気揚々とその首を差し出してどれだけ褒美が出るか楽しみにしていたところ、

何と鎌倉殿の指示で北条義時に斬首されてしまいます。

 

まさに「なぜだー」という状況で、鎌倉全体が震え上がってしまうのですが、

本当に何故この様な事になってしまったのでしょうか?

 

藤内光澄粛清の理由は?

 

ドラマでも展開されている様に、木曽義仲の息子義高は人質の意味もあり、

頼朝の娘(大姫)と結ばれていました。

しかし、義仲を討伐した頼朝は義高の報復を恐れて彼を成敗する触れを出します。

 

その直後頼朝は御台所の政子、娘の大姫から激しい義高の助命嘆願を受け、

考え直して、義高助命の触れを出し直しますが、時すでに遅し、

木曽義高は藤内光澄に打ち取られていたのでした。

 

最初の「義高を成敗せよ」の命令の変更がどの様にして伝えられたのか?

あるいは伝えられなかったのか?は不明ですが、

この一件で病に倒れた大姫の事もあり、

北条政子は頼朝に対し藤内光澄の不始末は死罪に値するものとして抗議!

頼朝は義時にこの処分を命じてしまいます。

藤内光澄はなんの落ち度もないどころか手柄を挙げたのに粛清されたことになります。

 

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藤内光澄の件は前触れ?

 

『手柄を立てたのに粛清された』

しかもこの事が北条政子から頼朝への進言に依るものだと分かると、

鎌倉武士達はひとつの考えに至ったのではないかと思われます。

【 頼朝は怖いが政子はもっと怖い。

この人達に目を付けられたなら生きては行けない。】

後に尼将軍と言われる北条政子のカリスマ性やリーダーシップは

このころから既に発揮されていたのではないでしょうか?

 

ネットの反応

 

鎌倉殿の13人第17回面白かった 義仲を討った代償として鎌倉では義高を犠牲にすることになった しかし大姫の望みで頼朝を説き伏せたが功を焦った藤内三澄が義高を討ってしまった そしてその咎として藤内を殺害し甲斐源氏の武田信義の子一条忠頼を謀反の疑いで暗殺した 鎌倉恐ろしや #鎌倉殿の13人

かっつー
@34C9Q2ZqH5n0SkM

 

最期が分かってるのに義高様に助かって欲しくて、結局助からなくて、一条忠頼も藤内光澄も殺されて、そこそこメンタルがやられてしまった #鎌倉殿の13人
N’Aname☠️🌈5/22L’Arc
@naname___

 

 

 

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佐藤浩市激やせは「鎌倉殿」の役作り?病気を心配するファン多すぎ!

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は『藤内光澄が鎌倉殿に粛清された理由!北条政子の「尼将軍」の前触れ?』

というタイトルで、藤内光澄の理不尽な成敗についてお伝えしました。

 

「鎌倉殿の13人」は決して成功物語でもハッピーエンドでもない・・

ということがやっと分かってきました。

皆、争いによってダークサイドに堕ちてゆくというお話なのでしょうか?

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

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