畠山重忠(大河のイケメン)の最期(死因)を調査!子孫は残った?

   

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の中でもイケメンと言えば畠山重忠!

彼の最期(死に至る原因)が納得出来ないのは何故なのでしょうか?

今回は『畠山重忠(大河のイケメン)の最期(死因)を調査!子孫は残った?』

というタイトルで、彼の最期についてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

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畠山重忠のプロフィール

 

画像

 

名前:畠山 重忠(はたけやま しげただ)

畠山 重忠
Hatakeyama Shigetada Statue 01.jpg

畠山重忠公史跡公園の畠山重忠像
時代 平安時代末期 – 鎌倉時代初期
生誕 長寛2年(1164年
死没 元久2年6月22日1205年7月10日) 享年42
改名 氏王丸、重忠
別名 庄司次郎
戒名 實山宗眞大居士[注釈 1]ほか
墓所 畠山重忠公史跡公園(埼玉県深谷市畠山)、重忠首塚(神奈川県横浜市旭区)ほか
幕府 鎌倉幕府
主君 源頼朝頼家実朝
氏族 桓武平氏良文畠山氏
父母 父:畠山重能、母:三浦義明の娘または江戸重継の娘
兄弟 重忠長野三郎重清渋江六郎重宗蓬莱三郎経重?
足立遠元の娘、正室:北条時政の娘
重秀重保重政円耀重慶、貞嶽夫人(島津忠久室)、女?(足利義純室?)[注釈 2]

 引用:wikipedia

 

畠山重忠の最期

 

畠山重忠の最期は思いがけないものでした。

重忠を討ったのは何と!そう、あの時政パパだったのです。

 

1203年 北条時政初代執権となる。

1205年 猛将畠山重忠を倒す。

 

この畠山重忠を倒した理由は下記の通りです。

時政の若い後妻、牧の方(りく)・・大河ドラマでは宮沢りえさんですが、

この方の連れ子の平賀朝雅(ともまさ)が畠山重忠の息子重保(しげやす)と

酒の席で口論!

朝雅は牧の方に「あいつ何とかしてくれ」と懇願。

牧の方は時政にそれを吹き込み・・

北条時政は畠山一族を”何とかしてしまう”展開になってしまいます。

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畠山重忠の子孫

 

畠山重忠一族の家紋、系図、子孫たちとは | 歴史上の人物.com

出展:歴史上の人物.com

 

重忠の子供たちの子孫に伊地知(いじち)氏があります。

伊地知氏も子孫は薩摩の豪族として活躍することになります。

一族の中には、日露戦争の日本海海戦で戦艦三笠みかさ艦長を務めた

伊地知彦次郎などがいると言われます。

 

それにしても時政は、家系図で見ると、自分の後妻の息子の為に、

娘の婿一族を滅ぼしたことになりますが、

こんな事、普通にあり得ない事ですよね。

 

ネットの反応

 


まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は『畠山重忠(大河のイケメン)の最期(死因)を調査!子孫は残った?』

というタイトルで、彼の最期についてお伝えしました。

子供の喧嘩に親が口出すのは、タブーと言われることも有ります。

畠山重忠は、まさか息子の口論が原因で討たれるとは想定外の事だったでしょう。

実際はどうなのか?知れば知る程知りたくなりますね~。

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

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