戸田奈津子(映画字幕翻訳家)のプロフィールは?学歴や経歴についても!

【PR】

   

 

映画「ミッション・インポッシブル」の冒頭にお名前が出るという、戸田奈津子さん!

戸田奈津子さんってどんな人なのか気になり、改めて調べてみました。

今回は、『戸田奈津子(映画字幕翻訳家)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、戸田奈津子さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

スポンサーリンク

 

 

 

戸田奈津子のニュース

 

ニュース|映画『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング ...

出展:missionimpossible.jp

 

「お茶しない?」トム・クルーズから自宅に電話!

 

来日前に通訳引退を伝えていたが、来日したトム・クルーズから粋な計らいがあったという。

「予定より1日早く日本に到着したトムから自宅に電話がありまして、

“今日は1日フリーだから、お茶しない?”とお誘いを受けました。

彼の宿泊先のティールームに伺ったのですが、そこにはトムのお姉さんとその息子さんが

いらして、4人で他愛ないおしゃべり。

 

なんと3時間以上も、あの映画が好きだの、家族のお話だの、よもやま話に花を咲かせました。

30年来のお付き合いですが、ずっと仕事がらみで秒単位に動いていましたから。

ゆっくりプライベートでおしゃべりをしたのは初めて。とても得難い体験でした。

 

そして、そのときに「通訳はしなくても、一緒にいて」と言われて、結局、プレミア、

記者会見、横浜で行われたイベントにも同行させていただきました。

そのときに、“次は『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング』

(7月21日・日本公開予定)を持ってくるから、また会おうね”と約束しています」

 

『トップ・ガン マーヴェリック』は日本公開から1年で興行収入137.1億円を突破し、

トム・クルーズの日本歴代興収No.1という大ヒットを記録した。

 

『遥かなる大地へ』(1992年)での初来日以来、約30年で24回も来日し、

その通訳はいつも戸田さん、まさに阿吽の呼吸でテンポよい通訳が印象的だった。

 

今夏、『ミッション:インポッシブル』シリーズ最新作のため、

25回目の来日が決まっていたものの、米映画俳優組合のストライキのため

急きょ来日は中止となってしまった。次の機会に期待したい。

 

(取材/金子裕子)

 

引用:双葉社 THE CH△NGE 7 月17日(月)

 

 

 

 

戸田奈津子のプロフィール

 

出展:www.Twitter

 

とだ なつこ

戸田 奈津子

生誕 1936年7月3日(87歳)
日本の旗 日本福岡県戸畑市(現北九州市戸畑区
出身校 津田塾大学
職業 字幕翻訳家
通訳
肩書き 映画翻訳家協会元会長
神田外語大学客員教授
神田外語学院アカデミックアドバイザー

出展:Wikipedia

 

スポンサーリンク

 

 

 

戸田奈津子の経歴

 

画像

出展:Twitter

 

 

福岡県戸畑市(現在の北九州市戸畑区)に生まれるが、戸田が1歳のときに父が戦死し

自身も母の実家のある東京に転居する。

出身地は東京都としている。

第二次世界大戦中で娯楽の無かった子供時代を過ごしたため、

終戦の翌年から解禁された外国映画を見て衝撃を受ける。

中学生の後半からは一人で映画を見にいくようになり、高校生の頃から名画座などに通い詰める。

お茶の水女子大学附属幼稚園、お茶の水女子大学附属小学校、お茶の水女子大学附属中学校を経て、

お茶の水女子大学附属高等学校を卒業後、津田塾大学学芸学部英文学科に入学。

1958年、大学を卒業後に第一生命保険の秘書の仕事に就くが約1年半で退社となり、

映画字幕の仕事に就くことを目指す。

 

映画の字幕翻訳の第一人者であった清水俊二に手紙を書き、事務所に会いに行くものの

大学を卒業したばかりの若い女性には難しいと言われる。

しかし清水からは『鉄腕アトム』などの日本のテレビ番組を輸出用に英訳する仕事を

紹介してもらうなどし、字幕では無いもののフリーランスとして翻訳を続け、

洋画配給会社とも仕事のつながりができる。

ある時、ユナイト映画でビジネスレターのタイプの仕事をしていたところ、

当時宣伝部長をしていた水野晴郎から映画関係者が来日するので急遽通訳が必要になったとして

通訳の仕事を任されることになった。

戸田も通訳の出来の悪さから仕事を降ろされることを覚悟したものの、

引き続き通訳の仕事も続けていくことになった。

 

1970年(昭和45年)、戸田は清水のアドバイスのもと、

『野性の少年』で初めて字幕翻訳を任される。

ほぼ同時期に字幕翻訳した『小さな約束』は1973年(昭和48年)に公開された。

それ以降の数年間、年に2,3本のペースで字幕翻訳の仕事をするほかは、

翻訳や通訳のアルバイトを続けていた。

 

転機となったのは1976年(昭和51年)、『地獄の黙示録』を撮影中の

フランシス・フォード・コッポラ監督の来日時の通訳およびガイドを務めたことである。

その後、映画の音楽を担当する予定だった作曲家の冨田勲の通訳として、

サンフランシスコのコッポラ邸やフィリピンでのロケにも同行した。

1979年(昭和54年)に『地獄の黙示録』本編が完成した際に、

コッポラ監督の推薦により日本語字幕を担当、この仕事で字幕翻訳家と広く認められる。

 

以降、年間50本のペースで字幕翻訳を手がけるようになる。

『E.T.』『インディ・ジョーンズ』『タイタニック』『スター・ウォーズ(新3部作)』

『ミッション・インポッシブル』といった話題作を担当し、著名な字幕翻訳者の一人となった。

吹き替え翻訳を担当している作品もある。

2008年10月に神田外語グループアカデミックアドバイザーに就任。

2011年、神田外語大学客員教授に就任。

2014年の時点で左目の視力を失っていることを告白。

 

出展:Wikipedia

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『戸田奈津子(映画字幕翻訳家)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、戸田奈津子さんについてお伝えしました。

 

トム・クルーズから直接電話が入るという、戸田奈津子さん!

「ええ~っ」っという感じですよね~。

『トム』『ナツ』みたいに呼び合ったりしてて・・・

羨ましいというか、何だかイイ感じですね~♪

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です