北条時政の後妻牧の方(りく)の最期が残念!政子よりトンデモ悪女?

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」もいよいよ佳境に突入!

当初、時政の美人後妻と思われたりく(牧の方)が、

ドラマでは”悪女”となりその最期が気になりますよね。

今回は『北条時政の後妻牧の方(りく)の最期が残念!政子よりトンデモ悪女?』

と言うタイトルで、時政の後妻牧の方(りく)についてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

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北条政時の後妻(りく)のニュース

 

Image

出展:NHK

 

 

「策士」としての「りく」

 

引用:デイリー新潮 8月14日

 

北条政時の後妻(りく)のプロフィール

 

牧の方 (北条時政の継室) 解説【流れをわかりやすく】(りく ...

出展:NHK

 

 

名前:牧の方(大河ドラマではりく)

本名:不明(牧氏のもとから北条氏へ嫁いだため牧の方と呼ばれる)

生年:不明

出生地:駿河国大岡牧(現在の静岡県沼津市)

特徴:都に人脈豊富で賢い、美人、悪女

備考:下級貴族「牧宗親」(まきむねちか)の娘、または妹とされる人物。

牧の方と「北条時政」は20歳以上も年齢差がありましたが、

ドラマの通り二人は仲が良かった様で、5人以上の子宝に恵まれたとか。

(牧の方と北条政子とはほぼ同年齢と見られています)

 

 

 

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北条政時の後妻(りく)の最期

 

Tomoko Iwasaki on Twitter: "#鎌倉殿の13人 盟友義澄が逝くのは ...

出展 : twitter

 

牧の方(りく)はドラマでも多くの幕府要人の死に絡んでいますが、

決定的な事件の発端は畠山重忠を滅ぼした事でした。

 

牧の方の娘婿の平賀朝雅(ともまさ)が畠山重忠の息子重保(しげやす)と酒の席で口論!

朝雅は牧の方に「あいつ何とかしてくれ」と懇願。

牧の方は時政にそれを吹き込み、畠山重忠をはじめその一族を滅ぼす展開になってしまいます。

 

それどころか、牧の方はこの朝雅を『将軍にしてほしい』と言い出す始末。

ついに時政の実孫の実朝暗殺の計画にまで及びます。

これに激怒した政子と義時は朝雅を殺害するという話。

 

政子も義時も流石に父親を討つことは出来ずに、

結果、時政は伊豆に流されてしまいます。

時政は二度と鎌倉の土を踏むことは許されず、

1215年、流刑地の伊豆でひっそりとその生涯を閉じたとか。享年78歳。

 

しかし、牧の方はまだまだ生き延びることに・・・。

 

朝雅の妻だった牧の方の娘は公家の権中納言・藤原国通に再嫁し、牧の方は時政の死後、

京都の娘夫妻の元に身を寄せ、贅沢に暮らしていたという。

嘉禄3年(1227年)3月に国通の邸で夫・時政の13回忌を行い、一族を引き連れて

諸寺詣を行っている様子が『明月記』に記され、筆者の藤原定家は

この時の牧の方の振る舞いを批判している。

 

 引用:wikipedia

 

※ 牧の方は1229年4月22日に死去したという説があります。

 

 

ネットの反応

 



 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は『北条時政の後妻牧の方(りく)の最期が残念!政子よりトンデモ悪女?』

と言うタイトルで、時政の後妻牧の方(りく)についてお伝えしました。

 

鎌倉幕府要人の暗殺等に多くかかわったと思われる、

牧の方(りく)の最期は、何と!長生きされて、

贅沢三昧の余生であったというから驚きです。

なんだかとても残念な気がしますね~。

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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