曽我兄弟の仇討「鎌倉殿」の本当の標的は誰?粛清開始が示すものは?

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も益々盛り上がって来ましたね~。

豪華キャストの登場人物が次々に亡くなり退場していきます。

今回は『曽我兄弟の仇討「鎌倉殿」の本当の標的は誰?粛清開始が示すものは?』

というタイトルで、

物語のターニングポイントである富士の狩場からお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

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曽我兄弟の仇討のニュース

 

画像

 

 第23回で描かれるのは、征夷大将軍となった頼朝による「富士の巻狩り」。万寿の披露目の場とするため、頼朝が御家人を集めて富士の裾野で行った、いわゆる権力を誇示する壮大な軍事演習である。義時をはじめとする坂東武者たちは、万寿の初陣を過保護なほどに見守るが、兎も鹿もなかなか仕留めることができない。圧倒的な父の存在と鎌倉幕府を背負う重圧。万寿は自身の実力と立場に葛藤していくこととなる。

引用:NHK 6月12日

 

と、この一大イベントの裏で大事件が起こります!

 曽我物語は、建久4年(1193年)に源頼朝が富士の裾野で行った大規模な巻狩り(富士の巻狩り)の際、現在の富士宮市上井出の地で、兄・曽我十郎祐成と弟・五郎時致が父の仇である工藤祐経を討ち果たした伝説を基にしています。
事件の発端は、伊豆にある工藤祐経の領地をめぐる、工藤祐経と曽我兄弟の祖父・伊東祐親の所領争いに始まります。この争いの中で、伊東祐親の嫡子、つまり曽我兄弟の父・伊東祐泰が工藤祐経によって殺されてしまいます。当時幼かった曽我兄弟は静かに闘志を燃やしながら成長し、兄十郎が22歳、弟五郎が20歳の時、仇討ちを遂げました。
工藤祐経を討ち取った後、兄十郎はその場で討ち取られ、弟五郎は捕縛されて鎌倉へ護送される途中、鷹ヶ岡で首を刎ねられました。この鷹ヶ岡が、現在の富士市鷹岡の地であるといわれ、兄弟にまつわる史跡がこの地に数多く残されています。

引用:静岡県富士市のホームページ

 

第22回で仇討計画を話していた曾我兄弟が遂にやっちゃったみたいですね。

あれっ、でも兄弟は比企能員に頼朝暗殺も打ち明けてませんでした?

頼朝は健在の様子ですがどうなってるのでしょうか?

 

曽我兄弟の本当の目標は誰?

 

曽我兄弟の仇討は、兄弟の父の仇である工藤祐経(くどう・すけつね)を討った話ですが、

頼朝暗殺計画はどうなったのでしょうか?

詳細はネタバレになりますので放送をご覧いただくとして、

ここでは曽我兄弟と工藤祐経の関係を示しておきます。

画像出展:nippon.com

 

工藤祐経は兄弟にとって義理の叔父さんにあたる様ですね。

曽我兄弟の本当のターゲットは比企能員に対して

「頼朝を倒して共に良い国を造ろうではありませんか」と言ってる事からも、

このドラマでは兄弟の本当の目標は【工藤祐経+源頼朝】説を取っている様です。

しかし、物語(史実も?)は思いがけない方向に展開していきます。

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曽我兄弟の仇討に始まる粛清とは

 

曽我兄弟事件後、頼朝暗殺説が流れ(鎌倉への第一報が頼朝暗殺だったので)

黒幕として浮かび上がったのが次の二人でした。

① 北条 時政

想定される動機:元々頼朝に対する忠誠心が薄く、

最近冷めてしまった頼朝との関係よりは、孫の頼家を次期将軍にすることで、

改めて幕府中枢部に返り咲きたい。

 

② 源 範頼

想定される動機:頼朝亡き後、次期将軍は未だ若い頼家でなく、

頼朝の弟である自分が次期将軍になる可能性が大である。

 

ドラマでは頼朝と頼家が討たれたとの第一報(誤報)で、

比企能員の勧めもあり、次期将軍職に就く段取りをしたことで

事件後、頼朝に謀叛の疑いをかけられ流罪となります。

そして、この範頼流罪から次期将軍を巡り、

いよいよ鎌倉幕府幹部のドロドロの権力闘争が始まる事になります。

 

ネットの反応

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は『曽我兄弟の仇討「鎌倉殿」の本当の標的は誰?粛清開始が示すものは?』

というタイトルで、

物語のターニングポイントである富士の狩場からお伝えしました。

何と!曽我兄弟の事件は頼朝への謀反のつもりが、

間違って工藤祐経を仇討してしまったという話になったのですね~。

三谷幸喜の脚本は面白すぎますね。

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

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