室屋義秀(エアレースパイロット)のプロフは?学歴や経歴についても!

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10月9日 の「激レアさんを連れてきた。」に、室屋義秀さんが出演!

室屋義秀さんってどんな人なのか気になり少し調べてみました。

今回は、『室屋義秀(エアレースパイロット)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、室屋義秀さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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室屋義秀 のニュース

 

テレ朝POST » “激レアさん”が土曜よる10時台へ!若林正恭、弘中 ...

 

 

激レアさんを連れてきた。

 

今回の激レアさんは

『日本人には参戦すら不可能と言われた空のF1・エアレースで優勝し

世界一のパイロットになった人』

 

番組内容

★激レアさん★

日本人には参戦すら不可能と言われた空のF1・エアレースで優勝し

世界一のパイロットになった人

 

出演者

【研究員】若林正恭(オードリー)

【研究助手】弘中綾香(テレビ朝日アナウンサー)

【客員研究員】屋敷裕政(ニューヨーク)、ゆうちゃみ ※50音順

 
 
 
 引用:「激レアさんを連れてきた。」の番組案内から

 

 

 

 

室屋義秀プロフィール

 

出展:X

 

名前:室屋 義秀(むろや よしひで)

室屋 義秀
}
生誕 1973年1月27日(50歳)
奈良県
国籍 日本の旗 日本
レース経歴
初出場 2009
最高順位 1位(2017年
機体 ジブコ エッジ540V3エクストラ300Sエクストラ300Lエクストラ330SCエクストラ330LX
公式サイト
室屋義秀 オフィシャルウェブサイト

出展:Wikipedia

最終学歴:中央大学文学部

 

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室屋義秀の経歴

 

画像

出展:X

 

幼少時代、『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイに憧れ、パイロットを目指す。

中央大学杉並高等学校卒業。

中央大学文学部入学後、航空部に所属し、グライダーで飛行訓練を開始。

 

1993年、20歳で渡米し飛行機のライセンスを取得。

1995年に兵庫県但馬空港で行われたブライトリング・ワールドカップで帝王ユルギス・カイリスや

パトリック・パリスなどの世界最高峰の飛行技術を目の当たりにし、

本格的なエアロバティックスの訓練を開始する。

 

1997年、再び渡米し、ランディ・ガニエのもと訓練を積む。

その後、自身初の競技会にも臨み、アドバンスクラス世界選手権では日本代表にも選ばれる。

翌1998年、日本でエアショー活動開始。

2002年には現在活動中のエアショーチーム「Team deepblues(後のTeam Yoshi MUROYA)」を

立ち上げる。

また、多額の借金をし、約3,000万円の中古競技機(スホーイ 26M)を購入した。

しかし、燃料費やメンテナンス費用などにコストがかかるため、スポンサーを探していたところ、

たまたまテレビ番組「マネーの虎」のエアロバティック・パイロットになりたいという女子大生の

企画を見たことで、その出演者である堀之内九一郎にコンタクトを取ったところ、

「夢があるなら頑張れ」と堀之内にスポンサーを快諾された。

 

2003年にはアンリミテッドクラス世界選手権にも出場。

同年、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。

理事の一人として、国内のホームベースでもあるふくしまスカイパークで、

青少年の健全育成のための教育活動や航空文化の啓蒙活動にあたる。

この年、後にレッドブル・エアレースでもチームコーディネーターとして共に闘うことになる盟友

ロバート・フライとフォーメーションでエアショーを開始。

 

2004年、エアロバティックスの道に入るきっかけともなったユルギス・カイリス、

ロバート・フライと共に3機でフォーメーションエアショーを行う「Air Bandits」を結成。

2007年、レッドブル・ジャパンとスポンサー契約締結。

エアショー活動にドイツ製のEXTRA300Sが加わる。

 

2008年、スペイン・バルセロナで行われたレッドブル・クオリフィケーションキャンプに参加し

訓練に合格。

レッドブル・エアレース・ワールドシリーズの参戦に必要なスーパーライセンスを取得し、

翌2009年、レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ2009に正式参戦。

最終戦スペイン・バルセロナ大会では、自身最高となる6位入賞を果たす。

2010年、前年に引き続きレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ2010に参戦。

また、国内で初めて開催された「第1回全日本曲技飛行競技会」では事務局を務める。

 

既婚者で、3人の娘を持つ。

2015年、日本(千葉市美浜区幕張海浜公園)で初めてレッドブル・エアレースが開催され、

このレースからジブコ エッジ540V3を投入。

結果、決勝のラウンド8で最大負荷が10Gを超えたためDNF(Did Not Finish)で

最終結果は8位となった。

この大会から住友ゴム工業とスポンサー契約を結び、チーム名を『Team FALKEN』とした。

この後、第5戦と第7戦で自身初の1シーズン2度の表彰台に達し、

最終戦では予選1位通過を果たし、総合6位でシーズンを終えた。

 

2016年5月、千葉市美浜区幕張海浜公園で開催されたレッドブル・エアレース第3戦で

日本人として初優勝を果たした。

6月にはレクサスとスポンサー契約を結んだ。

またSARDも室屋とパートナーに契約を決定し、室屋の故郷である福島に研究施設を建設した。

SARDは室屋のレースのエンジニアリングを担当し、室屋もSARDの航空機研究に

アドバイザーとして関わることになった。

 

2017年からは登録名をニックネームの『YOSHI MUROYA』に変更。

初戦はオーバーGで敗退したが、サンディエゴで開催されたシーズン第2戦から機体塗装を

『ファルケンカラー』に変更し2勝目を挙げた。

続く第3戦・千葉大会でもペナルティー無しで優勝し、ホームでの2連覇及び2連勝を果たした。

最終的には、年間4勝でポイントランキングで1位となり、初の年間総合優勝を果たした。

故郷福島県では県民栄誉賞が送られるとともに、優勝パレードが行われた。

 

2021年5月2日、2022年から開幕するワールドチャンピオンシップエアレース

(WACR:World Championship Air Race)に参戦することが発表された。

2021年10月21日に、レクサスとこれまでのスポンサーの関係から

チームパートナーシップ締結になり、室屋が代表を務めるパスファインダーと共に

「LEXUS / PATHFINDER AIR RACING」を立ち上げた。

 

出展:Wikipedia

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『室屋義秀(エアレースパイロット)のプロフは?学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、室屋義秀さんについてお伝えしました。

 

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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