吉永小百合のプロフィールと最終学歴は?経歴や活動についても!

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9月1日の「徹子の部屋」に、吉永小百合さんが出演!

吉永小百合さんってどんな人なのか改めて調べてみました。

今回は、吉永小百合のプロフィールと最終学歴は?経歴や活動についても!』

と言うタイトルで、吉永小百合さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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吉永小百合のニュース

 

出展:X

 

徹子の部屋 山田洋次&吉永小百合

 

〜“寅さん”に出会って人生が激変し…〜

山田洋次監督&吉永小百合さんが今日のゲストです。

 

ゲスト

日本を代表する映画人、山田洋次監督と吉永小百合さんがゲスト。

 

番組内容

出会いは51年前『男はつらいよ』のマドンナ役で吉永さんが参加した時。

緊張する吉永さんは山田監督から手紙をもらい心強かったという。

当時多忙を極めストレスで声が出ない時もあった吉永さんは、渥美清さんに出会ったことで

人生が大きく変わったという。

最新作『こんにちは、母さん』では、初めて「恋するおばあちゃん」役を演じた吉永さん。

山田監督は役を引き受けてくれるか不安に思っていたが、吉永さんの返事に驚いたと話す。

引用:「徹子の部屋」の番組案内から

 

 

 

 

吉永小百合のプロフィール

 

吉永小百合さんのデビュー時の写真を見た女子高生「カラコンも ...

出展:togetter.com

 

よしなが さゆり
吉永 小百合
吉永 小百合

『映画情報』1965年2月号(国際情報社)より
本名 岡田 小百合(旧姓:吉永)
生年月日 1945年3月13日(78歳)
出身地 日本の旗 日本東京都渋谷区
身長 155 cm[1]
血液型 O型
職業 女優歌手ナレーター司会者タレント
ジャンル 映画テレビドラマCM
活動期間 1957年 –
配偶者 岡田太郎
事務所 吉永小百合連絡事務所
主な作品
映画
キューポラのある街
伊豆の踊子
愛と死を見つめて
男はつらいよ 柴又慕情
男はつらいよ 寅次郎恋やつれ
青春の門
天国の駅 HEAVEN STATION
おはん
映画女優
つる -鶴-
華の乱
長崎ぶらぶら節
北の零年
母べえ
おとうと
北のカナリアたち
ふしぎな岬の物語
母と暮せば


テレビドラマ
樅ノ木は残った
風と雲と虹と
鮎のうた
夢千代日記

受賞

日本アカデミー賞
最優秀主演女優賞
1985年おはん』『天国の駅
1989年つる -鶴-』『華の乱
2001年長崎ぶらぶら節
2006年北の零年
優秀主演女優賞
1981年動乱
1986年夢千代日記
1988年映画女優
1993年外科室』『天国の大罪
1994年夢の女
1995年女ざかり
1999年時雨の記
2002年千年の恋 ひかる源氏物語
2009年母べえ』『まぼろしの邪馬台国
2011年おとうと
2013年北のカナリアたち
2015年ふしぎな岬の物語
2016年母と暮せば
2019年北の桜守
2020年最高の人生の見つけ方
2022年いのちの停車場
ブルーリボン賞
主演女優賞
1962年キューポラのある街
2000年長崎ぶらぶら節
大衆賞
1964年
その他の賞
キネマ旬報賞
主演女優賞
1984年おはん』『天国の駅


毎日映画コンクール
女優主演賞
1984年おはん』『天国の駅
1994年女ざかり


報知映画賞
主演女優賞
1984年おはん』『天国の駅
2012年北のカナリアたち


山路ふみ子映画賞
女優賞

1988年華の乱


日刊スポーツ映画大賞
主演女優賞
1988年華の乱
2000年長崎ぶらぶら節
2012年北のカナリアたち


芸術選奨

備考
紫綬褒章2006年
文化功労者2010年

出展:Wikipedia

最終学歴:早稲田大学次席卒業

 

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吉永小百合の経歴

 

画像

出展:X

 

1957年(昭和32年)、渋谷区立西原小学校6年生の時、ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。

同年4月、渋谷区立代々木中学校に入学。

同年10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。

1959年(昭和34年)に松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。

1960年(昭和35年)3月、渋谷区立代々木中学校卒業。

同年4月、東京都立駒場高等学校全日制普通科入学。

同時に日活撮影所に入社。

駒場高校では一週間のみ卓球部に所属し、素振りしかやらせてもらえない環境に耐えられず

放送研究会(偶然にも副部長が一学年先輩の加藤登紀子だった)に転部。

1961年(昭和36年)、精華学園女子高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)に転入学。

同年12月から主演映画『キューポラのある街』の撮影に入る。

 

1962年(昭和37年)4月、『キューポラのある街』が公開。

第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞する。

同年、主演映画『赤い蕾と白い花』の主題歌『寒い朝』シングルをビクターからリリースし

レコードデビュー、50万枚以上のヒット。

同年9月に発表した橋幸夫とのデュエット『いつでも夢を』も300万枚の大ヒットとなった。

この頃から浜田光夫とコンビを組む。

 

1965年(昭和40年)大学入学資格検定に全科目合格は出来ていなかったが早稲田大学に

高卒と同等以上の学力があると認められ早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学

(俳優業多忙のため、精華学園女子高校は中退していた)。

1969年(昭和44年)多忙な中、早稲田大学を次席で卒業。日活と契約更新(特記事項を参照)。

 

1973年(昭和48年)岡田太郎と結婚し、京王プラザホテルで披露宴を執り行う。

挙式の際吉永の実両親は欠席し、確執が噂された。

1988年(昭和63年)映画『つる -鶴-』に主演し、映画出演は通算100作品となる。

その後も女優として映画・CMなどへの出演に加え、原爆詩の朗読などの平和への訴えや

反原発について意見を述べるなどの活動を続けている。

 

出展:Wikipedia

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、吉永小百合のプロフィールと最終学歴は?経歴や活動についても!』

と言うタイトルで、吉永小百合さんについてお伝えしました。

 

昔、地方都市の小さな写真館で、

塾の帰りだったか、見かけた小さな額入りの写真。

夜のとばりの中、そこだけスポットが当たってた。

その着物姿の微笑む美少女が

吉永小百合だった。

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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