立嶋篤史(キックボクサー)のプロフィールは?学歴や経歴についても!

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6月5日の「クレイジージャーニー」に立嶋篤史さんが出演!

立嶋篤史さんってどんな人なのか気になり調べてみました。

今回は、『立嶋篤史(キックボクサー)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、立嶋篤史さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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立嶋篤史のニュース

 

クレイジージャーニー【月曜よる9時】 (@Crazy_Journey) / Twitter

クレイジージャーニー

☆神回!松本人志が盟友キックボクサーと25年ぶりの再会!

 

松本注目のクレイジーなキックボクサー立嶋篤史51歳の100戦目!対戦相手に松本鳥肌

▽どんなに殴られても前に出る魂のファイトに小池驚愕「なんで倒れないの?」

 

番組内容

松本人志の盟友!クレイジーな格闘家・立嶋篤史登場!

同じ時代を生きた2人のカリスマが25年ぶりの再会!

100戦目の対戦相手はまさかの○○で松本鳥肌

▽日本キックボクシング界初の1000万円プレイヤーにして51歳未だ現役

▽超ストイック練習!トレーナー無しで160kmの走り込み&目玉焼き1個の減量

▽どんなに殴られても前に出る!魂のファイトに小池栄子驚愕「なんで倒れないの?」

設楽統「1シーン1シーンが映画」

 

出演者

■MC…松本人志 設楽統 小池栄子

■ゲスト…キックボクサー・立嶋篤史

 

 
 

引用:「クレイジージャーニー」の番組案内から

 

 

 

 

立嶋篤史のプロフィール

 

出展:twitter

 

立嶋 篤史
基本情報
本名 立嶋 篤史
通称 キック界のカリスマ
階級 フェザー級
身長 173cm
体重 57kg
国籍 日本の旗 日本
誕生日 1971年12月28日(51歳)
出身地 東京都豊島区
スタイル ムエタイ

出展:Wikipedia

 

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立嶋篤史の経歴

 

画像

出展:twitter

 

立嶋 篤史(たてしま あつし、1971年12月28日 – )は、

日本の男性キックボクサー、キックボクシングジム『ASSHI-PROJECT』主宰(経営者)。

東京都豊島区出身。元全日本フェザー級王者。

1990年代前半に活躍。

1993年にはライバル前田憲作にKO勝利するなど「立嶋ブーム」を巻き起こした。

日本キックボクシング界最初の1千万円プレーヤーであり、カリスマと呼ばれた。

 

幼少の頃からいじめを受け、小学生の時に死を考えるも思いとどまり、

中学2年生でキックボクシングと出会う。

習志野ジムに練習生扱いとして所属、中学卒業後単身タイに渡りムエタイの修業をする。

1987年8月3日、非公式ながらタイのランシットスタジアムでデビューを果たした。

 

帰国後の1988年4月29日、16歳で後楽園ホールのリングに上がりKO勝ちで日本公式デビュー。

1989年に17歳で高校を再受験し合格、千葉工商高等学校(現・敬愛学園高等学校)に入学。

試合と試験日程が重なることがあり単位が不足して一度留年ののち、1993年に卒業。

1991年4月21日、全日本キックボクシング連盟フェザー級王座決定戦にて椿宗徳と対戦。

2ラウンドTKO勝ちで初のタイトルを獲得(第11代全日本フェザー級王者)。

同年7月14日、WKA世界フェザー級王座決定戦にてビクター・ソリエル(プエルトリコ)と対戦。

不慣れなWKAルールと、ソリエルの的確な強打のために一方的な展開となり、2ラウンドKO負け。

王座獲得に失敗。

 

1992年3月28日、前・全日本フェザー級王者でWKAスーパーバンタム級王者の清水隆広と対戦。

ローキックによる3ラウンドKO勝ちで、事実上の全日本フェザー級トップ選手となる。

同年5月30日、MA日本キックライト級1位(同・前フェザー級王者)の山崎路晃との団体対抗戦に

判定勝ち。

同年7月18日、全日本フェザー級タイトルマッチにて前田憲作と対戦。判定負けで王座防衛に失敗。

1993年11月27日、全日本フェザー級タイトルマッチにて王者・前田憲作と対戦。

3ラウンドKO勝ちで王座に復帰(第13代全日本フェザー級王者)。

1994年7月30日、全日本フェザー級タイトルマッチにて佐藤孝也と対戦。

2ラウンドKO負けで王座防衛失敗。

1995年7月30日、全日本フェザー級タイトルマッチにて王者・佐藤孝也と対戦。

判定勝ちで王座に復帰(第15代全日本フェザー級王者)。

1996年3月24日、全日本フェザー級タイトルマッチにて鈴木秀明と対戦。

判定負けで王座防衛に失敗。

 

1997年3月23日、全日本フェザー級王座決定トーナメント準決勝にて、佐久間晋哉と対戦。

判定負け。谷山ジムに移籍し

(13年後に同ジムが中核となったビッグバン実行委員会旗揚げ興行でEXで対戦の)

土屋ジョーと同僚に。

東京ドームで行われたK-1 JAPANフェザー級GP’97には

全日本キック代表として出場期待されたが拒否。

1999年3月17日、全日本フェザー級王座決定トーナメント1回戦にて、高田英樹と対戦。

5ラウンドKO勝ち。

同年6月1日、全日本フェザー級王座決定トーナメント準決勝にて、増田博正と対戦。

判定負け。

11月30日谷山ジムの全日本キック円満離脱に伴い、RIKIジムに円満移籍。

 

2001年10月12日、全日本フェザー級タイトルマッチにて王者・杉上直之と対戦。

2ラウンドKO負けで王座獲得に失敗。

同年、長年所属した全日本キックボクシング連盟から離脱。

以後はニュージャパンキックボクシング連盟、その後にはIKUSAに参戦。

2003年12月、自転車で練習に行く途中に交通事故に遭い全治11か月の重傷を負った[1]

2009年9月20日、6年3か月ぶり37歳での復帰戦となった新日本キックボクシング協会

『TITANS NEOS 6』で小野智史と対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。

 

2010年4月18日、新日本キックボクシング協会『TITANS NEOS VII』で深津飛成と対戦し、

TKO勝ちを収めた。

同年9月11日、新日本キックボクシング協会『TITANS NEOS VIII』で田中義人と対戦し、

0-3の判定負け。復帰後3戦目での初黒星となった。

2011年1月23日、REBELS初参戦となったREBELS.6で梅原ユウジと対戦し、

0-3の判定負けを喫した。

2012年9月2日、『Bigbang〜統一への道〜 其の十』にて、谷山ジムの後輩である駿太に

ヒジ打ち有りルールで判定負け。

2023年4月16日、『KROSS×OVER.21』にて100戦目の試合を行い、

松元仁志に残り1秒でTKO負け。

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『立嶋篤史(キックボクサー)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、立嶋篤史さんについてお伝えしました。

 

25年ぶりの再会なんて・・・一体、

仲良しと言えるのかどうか・・(笑)

まあ盟友とはその様なものなのかも知れませんね~♪

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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