3月8日の「徹子の部屋」に桑江知子さんが出演!
桑江知子さんってどんな人なのか改めて調べてみました。
今回は、『桑江知子の現在と若い頃は?プロフィールと学歴や経歴についても!』
というタイトルで、桑江知子さんについてお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までごゆっくりお読みください。
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Table of Contents
桑江知子のプロフィール
出展:X
桑江 知子 | |
---|---|
出生名 | 桑江 智子[1] |
生誕 | 1960年1月18日(64歳) |
出身地 | 日本・沖縄県中頭郡美里村(現・沖縄市)[1] |
学歴 | 福岡県立西福岡高等学校卒業 |
ジャンル | ニューミュージック、シティポップ、歌謡曲、ムード歌謡、ラテン音楽、沖縄民謡[1] |
職業 | 歌手・ラジオパーソナリティ |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1979年[1] – |
レーベル | SMS Records |
事務所 | 渡辺プロダクション |
公式サイト | http://www.kuwae.cc/ |
出展:Wikipedia
桑江知子の現在
出展:X
西福岡(講倫館)高校なら今田美緒さんの先輩ですね~♪
桑江知子の若い頃
出展:西日本新聞
アグレッシブ、元気の塊の様な・・・
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桑江知子の経歴
出展:西日本新聞
歌手デビュー時に所属していた渡辺プロダクションが、若者のニューミュージック指向を高めようと
立ち上げた「NON STOPプロジェクト」の一員である
(他のメンバーは、大塚博堂、太田裕美、山下久美子、アン・ルイス、ララ)。
渡辺プロは桑江を売り出すため、当時全盛期だったニューミュージック風の曲作りなどの
プロモーション戦略を展開した。
1979年1月25日、SMS Recordsから『私のハートはストップモーション』
(作詞:竜真知子、作曲:都倉俊一)でデビュー。
ポーラ化粧品のコマーシャルソングに起用され、
オリコンチャート最高順位12位を記録するヒットとなり、広く一般に知れ渡ることとなった。
SMS Records (Sounds Marketing System Records) は、渡辺プロダクションが資本提携していた
ワーナー・パイオニアを離れ、日本初の芸能事務所による直営レコード会社として設立した
レーベルであった。
第1弾として1978年11月25日に小柳ルミ子のシングル『雨…』をリリース。
ワーナー・パイオニアから移籍した小柳やアグネス・チャンを擁し、
新人の売り出しにも注力していたが、その新人トップバッターが桑江となった。
同年の各歌謡祭新人賞レースでは、竹内まりや、倉田まり子、井上望、松原のぶえらと
デッドヒートを繰り広げ、同年の第21回日本レコード大賞最優秀新人賞に輝くなど、
数々の新人賞を獲得した。
SMS Recordsでの「第1期活動」ではシングル4枚、LPアルバム3枚をリリース。
『ブルーブルー・アイランド』」『クリスタル・ハネムーン』『ジャマイカ・タウン』といった
スマッシュ・ヒット曲を発表。
『永遠(エテルナ)の朝』は三菱自動車エテルナのCM曲に起用された。
伸びやかな歌唱力を活かし、都会的なイメージの楽曲を数多く手掛けた。
1983年には、同年公開のアニメ映画『宇宙戦艦ヤマト 完結編』の挿入歌を担当した。
なお、桑江を世に送り出したSMS Recordsは1988年に解散。
以降は別のレコード会社から音源をリリースしている。
1990年代は『黄昏をワインに染めて』などシングルをコンスタントにリリースする傍らで、
1993年から1997年にかけては、ロス・インディオスとのコラボレーション
「ロス・インディオス&桑江知子」としても活動していた。
その間に地方FM局などでのDJが好評を博し、歌手活動よりラジオパーソナリティ活動が
メインとなっていた。
1990年代後半からは自らのルーツである沖縄音楽に主軸を置いた活動を開始する。
1997年、上間実に三線を師事。
2001年に琉球民謡コンクール新人賞を受賞、2005年には琉球民謡コンクール優秀賞を受賞した。
また2002年には沖縄県座間味村のイメージソング「青の楽園」を発表、
以降も沖縄の観光振興活動や、日比谷野外音楽堂で毎年開催される
「琉球フェスティバル」の出演などを行う。
また2005年に母校の福岡県立西福岡高等学校が総合学科へ改組し
福岡県立福岡講倫館高等学校に改称した際には、同校校歌の作詞・作曲を手がけた。
2009年にはデビュー30周年を記念し、マキシシングル『うんじゅぬ島』
(作詞・作曲:宮沢和史)をリリースした。
2011年には福島県でのライブの際に東日本大震災の避難所を訪れて慰問ライブを行い、
翌2012年には三陸農産業復興チャリティー「思い出のレコード大賞コンサート」に出演した。
また2010年代以降のシティ・ポップブームにより再評価が進み、
2015年には初期のアルバムがCD化され、ボーナストラックを追加した上で再発売された。
また2014年にはデビュー35周年を迎え、デビュー曲のセルフカバーシングル
『私のハートはストップモーション Bossa Nova ver.』をリリース。
翌年には育った福岡市で記念ライブを開催した。
2019年にはデビュー40周年を迎え、三越劇場で記念コンサートを開催するとともに、
記念アルバム『Stopmotion』をリリースした。
コンサート活動も継続し、近年は「夢スター歌謡祭 春組対秋組 歌合戦」に出演して
全国各地を回っている。
出展:wikipedia
ネットの反応
40代から沖縄民謡を…歌手の桑江知子が初登場! 上京や家族の話、葛城ユキさんとのエピソードを語る 『徹子の部屋』 https://t.co/ZnHa3XDDfQ #桑江知子 #黒柳徹子 #徹子の部屋 pic.twitter.com/4Gfkh00tQf
— music.jp (@musicjp_mti) March 7, 2024
それからの桑江知子さんの「私のハートはストップモーション」だ。
ちなみに今週徹子の部屋に桑江知子さんが出演されますねえ#musicj— まーくん (@a9a9c1c26fea454) March 6, 2024
おっ、NHKでも熱唱されてましたか🎶
先日はBS朝日主催イベントで聴きましたが、ご健在ですね🙋♀️#桑江知子 #nhk pic.twitter.com/bfdUgquMBC— hide (@hide29063719) March 1, 2024
このところ毎年、東京護摩行の皆様と川崎大師でお札を頂いています。
今年もともちゃん(桑江知子さん)も一緒に、昨年のお札をお返しして、新しいお札を頂いてきました。
今日はお雛様ですね〜🎎娘が小学生くらいまでは着物を着せてひな祭りの歌を歌ってお祝いしていました。今日はポキ丼作りました pic.twitter.com/S2QUQEiJDm— 西崎緑 (@46H5mlgGokKCUcL) March 3, 2024
#musicj 桑江知子( *¯ 罒¯*)き( ´□` )た( *¯ O¯*)よー pic.twitter.com/BJJrPyXuSM
— 🎲ただちゅ~3rd垢🎲 (@jzx00100tada2) March 6, 2024
桑江知子、歌手生活45年。40代から始めた沖縄民謡を披露…黒柳徹子も演奏に参加 #テレ朝POSThttps://t.co/twe1VVqP0J
— テレ朝POST (@post_tvasahi) March 7, 2024
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まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は、『桑江知子の現在と若い頃は?プロフィールと学歴や経歴についても!』
というタイトルで、桑江知子さんについてお伝えしました。
今回も最後までお読みいただき有難うございました。