6月7日の「虎に翼」は花岡悟(岩田剛典)の死という衝撃的なエンディングでした。
何故突然に?死因は?一体何故・・・思い当たる事がひとつ・・・
前回でしたか闇米(ヤミゴメ)云々のシーンから、あの時代闇米を口にせず餓死した、
佐賀出身の判事『山口良忠』氏を想起した人も少なくないでしょう。
山口良忠さんとはどの様な方だったのか気になり調べてみました。
今回は、『山口良忠(虎に翼の花岡悟)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』
と言うタイトルで、山口良忠さんについてお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までごゆっくりお読みください。
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Table of Contents
山口良忠(虎に翼の花岡悟)のニュース
出展:毎日新聞
朝ドラことNHK連続テレビ小説「虎に翼」にとって欠かせない人物だった
花岡悟(岩田剛典)の餓死が、7日放送の第50回で明らかになった。
1947年のことだ。
花岡のモデルはやはり同年に餓死した佐賀県出身の山口良忠判事。
山口判事の死がこの物語で描かれる意味を考える。
【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】
引用:デイリー新潮 6月7日
山口良忠(虎に翼の花岡悟)のプロフィール
出展:佐賀りあん(月刊ぷらざ)
名前:山口 良忠(やまぐち よしただ)
生年月日:1913年11月16日
没年月日:1947年10月11日(享年33歳)
出身地:佐賀県杵島郡白石町
最終学歴:京都帝国大学大学院
職業:判事
人間として生きている以上、私は自分の望むように生きたい。
私はよい仕事をしたい。
判事として正しい裁判をしたいのだ。
経済犯を裁くのに闇はできない。
闇にかかわっている曇りが少しでも自分にあったならば、自信がもてないだろう。
これから私の食事は必ず配給米だけで賄ってくれ。
倒れるかもしれない。死ぬかもしれない。
しかし、良心をごまかしていくよりはよい。
妻矩子さんの回想
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山口良忠(虎に翼の花岡悟)の経歴
出展:佐賀りあん(月刊ぷらざ)
1913年(大正2年)、佐賀県杵島郡白石町に、小学校教師の長男として生まれる。
鹿島中学校(旧制)・佐賀高等学校(旧制)・京都帝国大学を卒業。
大学院に進み宮本英脩・佐伯千仭に師事、高等文官試験司法科試験に合格、判事となる。
1942年(昭和17年)に東京民事地方裁判所に転任後、
1946年(昭和21年)10月に東京区裁判所の経済事犯専任判事となる。
この部署では、主に闇米等を所持していて食糧管理法違反で検挙、
起訴された被告人の事案を担当していた。
食糧管理法違反で起訴された被告人を担当し始め、配給食糧以外に違法である闇米を食べなければ
生きていけないのにそれを取り締まる自分が闇米を食べていてはいけないのではないかという
思いにより、1946年(昭和21年)10月初め頃から闇米を拒否するようになる。
山口は配給のほとんどを2人の子供に与え、
自分は妻と共にほとんど汁だけの粥などをすすって生活した。
義理の父親・親戚・友人などがその状況を見かねて食糧を送ったり、
食事に招待するなどしたものの、山口はそれらも拒否した。
自ら畑を耕してイモを栽培したりと栄養状況を改善する努力もしていたが、
次第に栄養失調に伴う疾病が身体に現れてきた。
しかし、自分が職を離れたら「担当の被告人100人をいつまでも未決のままにしてはならない」と
療養も拒否した。
そして、1947年(昭和22年)8月27日に地裁の階段で倒れ、9月1日に最後の判決を書いたあと、
やっと故郷の白石町で療養することとなる。
東京の職場を離れた山口は、まるで肩の重荷が取れたように配給以外の食べ物も
よく食べるようになったが、すでに手遅れだった。
同年10月11日、栄養失調に伴う肺浸潤(初期の肺結核)のため33歳で死去した。
死後20日ほど経った11月4日に、山口の死が朝日新聞で報道され、話題を集めた。
なおその自らに厳しい態度から、食糧管理法違反で逮捕された人々に対しても
過酷であったのではないかと考える者もいたが、むしろ同情的であり、
情状酌量した判決を下すことが多かったといわれる。
この事件から、闇米を食べなければ生きていくことそれ自体が不可能であり、
食糧管理法それ自体が守ることが不可能な法律であったという意見もあり、
食糧管理法違反事件ではしばしば期待可能性・緊急避難の法理の適用が主張されたが、
裁判所によってことごとく退けられていた。
食糧管理法を遵守して餓死した者として、山口の他には東京高校ドイツ語教授亀尾英四郎、
青森地裁判事保科徳太郎\の名が伝えられている。
ネットの反応
【虎に翼・第50回】花岡悟が衝撃の餓死…モデルとなった山口良忠判事はどんな人だったのか(デイリー新潮)#Yahooニュースhttps://t.co/pPbwehbbCp
— 龍坊 (@KMisuzu0624) June 7, 2024
人としての正しさと、法の正しさの間で苦しんだ #花岡😭💦
古代ギリシャのソクラテス「#悪法もまた法なり」を体現してしまった…史実、餓死された #山口判事 は栄養失調による肺浸潤で死亡。
法律は、全ての人を生かし幸せにするものであってほしい😑✨#虎に翼 #岩田剛典 #山口良忠 pic.twitter.com/tJ86ZObkm9
— SAKURA♪ (@AOIU_USAKUR) June 7, 2024
朝ドラ『虎に翼』花岡悟のモデル・山口良忠の悲劇的な最期とは? 法律を守って餓死した裁判官が残した言葉(歴史人) https://t.co/jaqLNwBFdw
— らぎ梅☆ (@ragi_keroninred) June 7, 2024
そして、花岡ですね。食品管理法担当と言う言葉からモデルは闇市の物資を拒絶して亡くなった裁判官・山口良忠では?と言われていたけれど、本当にそうなってしまいましたね…
山口良忠https://t.co/2b5chqOHWo— つばさ🌗 (@tsubasanano) June 7, 2024
佐賀出身と何度も出てきたから、さてはと思っていたが、やはり #花岡悟 のモデルは山口良忠だった(詳しくは↓コラムに)。真面目すぎて不器用にしか生きられない性格が災いしたか。『#虎に翼』は女性だけでなく、寅子のエンパワーメントを担う男性の「弱さ」も描いている https://t.co/0a1VJN0YPk
— 丸山淳一 (@maru2018yomi) June 7, 2024
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は、『山口良忠(虎に翼の花岡悟)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』
と言うタイトルで、山口良忠さんについてお伝えしました。
将来は虎子と結婚かとも思われた花岡悟(山口良忠さん)の壮絶なエピソードを
このドラマに持ち込んだ意味は何なのでしょうか?
物語から目が離せなくなりましたね~。
今回も最後までお読みいただき有難うございました。