山田洋次のプロフィールと最終学歴は?経歴や活動についても!

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9月1日の「徹子の部屋」に、山田洋次さんが出演!

山田洋次さんってどんな人なのか改めて調べてみました。

今回は、山田洋次のプロフィールと最終学歴は?経歴や活動についても!』

と言うタイトルで、山田洋次さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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山田洋次のニュース

 

出展:X

 

徹子の部屋 山田洋次&吉永小百合

 

〜“寅さん”に出会って人生が激変し…〜

山田洋次監督&吉永小百合さんが今日のゲストです。

 

ゲスト

日本を代表する映画人、山田洋次監督と吉永小百合さんがゲスト。

 

番組内容

出会いは51年前『男はつらいよ』のマドンナ役で吉永さんが参加した時。

緊張する吉永さんは山田監督から手紙をもらい心強かったという。

当時多忙を極めストレスで声が出ない時もあった吉永さんは、渥美清さんに出会ったことで

人生が大きく変わったという。

最新作『こんにちは、母さん』では、初めて「恋するおばあちゃん」役を演じた吉永さん。

山田監督は役を引き受けてくれるか不安に思っていたが、吉永さんの返事に驚いたと話す。

引用:「徹子の部屋」の番組案内から

 

 

 

 

山田洋次のプロフィール

 

出展:X

 

やまだ ようじ
山田 洋次
山田 洋次

キネマ旬報』1962年4月上旬春の特別号より
別名義 山田よしお
生年月日 1931年9月13日(91歳)
出生地 日本の旗 日本大阪府豊中市
職業 映画監督脚本家演出家
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1954年 –
主な作品
映画
男はつらいよ』シリーズ
幸福の黄色いハンカチ
遙かなる山の呼び声
息子
学校』シリーズ
釣りバカ日誌』シリーズ
たそがれ清兵衛
隠し剣 鬼の爪
武士の一分
家族はつらいよ』シリーズ
キネマの神様

出展:Wikipedia

最終学歴:東京大学法学部卒業

 

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山田洋次の経歴

 

画像

出展:X

 

1931年、大阪府豊中市に生まれる。

満鉄のエンジニアだった父親の勤務のため、2歳で満州に渡り少年期を過ごした。

小学校1年~3年生のときに落語に熱中し、あるときジフテリアを患い明日の命も危ぶまれた際、

憐れんだ父親から何でも好きな物を買ってもらえることになり、

古本屋の落語全集を買ってもらったという。

東京都大田区池雪小学校に通う。

戦中の1943年、東京都立第八中学校(現東京都立小山台高等学校)に入学するが、

同年5月、空襲を避け、満洲国の旧制大連第一中学校(のち廃校)へ移る。

1947年、大連から一家で日本に引き揚げ、15歳から18歳までを山口県宇部市の

伯母の持ち家で過ごした。

流れ者や社会の逸脱者を多く描くのは、山田自身の引き揚げ体験が強く影響している。

1947年、旧制宇部中学校(山口県立宇部高等学校)3年に編入し、

1948年、四修の飛び級で旧制山口高等学校(現山口大学)に入学するが、

在学中に学制改革を経験する。

1949年、学制改革に伴い旧制高校を1年で卒業

(三高の小松左京や新潟高の野坂昭如と同様のいわゆる一年修了組)。

 

1950年、東京大学法学部に入学。

怠学による出席日数不足で中退するところだったが、1954年に卒業する。

松竹に補欠入社し、野村芳太郎作品の脚本家・助監督を務めた後。

1961年、『二階の他人』で監督としてデビューした。

大島渚、篠田正浩、吉田喜重といった気鋭の新人が松竹ヌーヴェルヴァーグとして活躍していた

時代にあって、山田は地味な存在であった。

ヌーヴェルヴァーグ派が松竹から独立して行く中、松竹大船調路線の後継者として

『下町の太陽』、『馬鹿まるだし』等のコメディを中心とした作品で企業内監督の道を歩む。

当初はハナ肇主演作品が多かった。

1961年頃から日本放送協会の『遺族』、TBSテレビの『泣いてたまるか』など

テレビドラマの脚本を担当するようになり、1962年に放送された日本テレビ放送網の

『一等寝台車のあいつ』などの一部の作品では「山田よしお」のペンネームを使っている。

次第に喜劇作家としての評価が高まり、何本かの作品がキネマ旬報ベストテン入りするが、

ヒットには恵まれない状態が続いた。

 

1968年、フジテレビの連続テレビドラマ『男はつらいよ』の原案・脚本を担当。

テレビドラマのヒットにより同作は1969年、松竹で映画化されることになる。

当初は観客動員も地味であったが高い評判を呼んだ。

輪番であった監督が山田単独となる頃から尻上がりに観客も増え、

その後50年間に50作が製作される大ヒットシリーズとなり、

毎年お盆と暮れの興行は日本人の風物詩、国民的映画とまで言われた。

しかし、車寅次郎役である渥美清の体調が優れなくなってからは、年2回作られていた

『男はつらいよ』シリーズを年1回に減らし、後に甥の満男の出番を増やして

寅次郎の出番を減らす決断をした。

第47作と第48作は、ドクターストップがあったものの無理に出演してもらったものである。

1996年、第49作『寅次郎花へんろ』を準備中、渥美が死去し、

シリーズは終了(打ち切り)を余儀なくされ、さらに4年後には大船撮影所が閉鎖され、

監督としてメガホンを執る機会も減ってしまった。

 

1988年から2009年にかけては、『男はつらいよ』シリーズに代わり松竹を支える

看板喜劇映画シリーズとなった『釣りバカ日誌』シリーズ全22作の脚本を手がけている。

シリーズの合間をぬって2、3年おきに『家族』『同胞』など、ややシリアスな作品も、

おおむねオリジナル脚本で発表。

いずれも高い評価と手堅い成績を収め、山田の映画作家としての地位を固めていく。

ほとんどが倍賞千恵子主演であり、『男はつらいよ』のさくら役、

シリーズ開始以前の多くの主演作を含めると、実に六十数本で主演、準主演に迎えている。

これは海外でも殆ど例のない長期の監督・女優コンビであり、ある意味、山田が

「生涯同じ歌を繰り返し歌い続ける」タイプの作家である証左ともなっている。

2002年、藤沢周平原作の『たそがれ清兵衛』を発表する。

山田にとって、『運がよけりゃ』に続く2度目の時代劇であり、

藤沢作品を初映画化したものであった。

他の時代劇では無視され続けてきた“位の低い”武士の苦悩を描いた物語である。

構想に10年を掛け時代考証に徹底して拘った。

登場人物が綺麗な新品の服ではなく、着古した古着を着ていたり、毎日月代を剃るはずが無いから、

剃った部分に髪が生えてくる等の実に細かい部分をリアルに丹念に描き、

第26回日本アカデミー賞で全部門にて優秀賞を受賞し、

助演女優賞を除く全ての部門で最優秀賞を獲得。

「第76回アカデミー賞」外国語映画部門にノミネートされた。

2004年、再び藤沢原作の時代劇『隠し剣 鬼の爪』を発表し、

「第7回ジンバブエ国際映画祭」最優秀作品賞を受賞した。

2004年1月に横綱審議委員に就任し、2014年1月の退任まで5期10年を務め上げた。

2006年には「部員不足解消に役立つなら」と、OBである東京大学相撲部の名誉顧問となった。

京都大学との交流戦を観戦し、

「初心者にしか見えない学生が鼻血を出しながら立ち向かう姿が愛しい」と興奮した。

2007年、自身の監督作『幸福の黄色いハンカチ』がハリウッドでリメイクされる事が決定。

主人公はオスカー俳優・ウィリアム・ハートが演じる。

2008年、小津安二郎以来、映画監督で二人目の芸術院会員となる。

 

2010年、小津映画の『麦秋』を舞台化。初の舞台演出。

2010年、JR東日本が動態復元する蒸気機関車C61 20の復元工事の作業を

ドキュメンタリー映像として記録開始。

父が鉄道ファンであった影響から幼少時より山田自身も鉄道ファンとなり、

2011年6月4日の復活運転開始までの間、収録を行った。

復活運転開始の日には、高崎駅で開催された復活記念セレモニーのスペシャルゲストとして招かれ、

「東北で活躍したC61が復活したことには、大きな意義がある」などといったメッセージを送り、

東日本大震災からの日本復興に向かう象徴の一つとするC61 20の復活を祝った。

なおこの作品は、同2011年7月16日にNHKスペシャル『復活 〜山田洋次・SLを撮る〜』と題して

テレビ放送された。

2011年、監督生活50周年記念作として『東京物語』のリメイク作『東京家族』の製作を

予定していたが、脚本など東日本大震災の経験を踏まえた作品にしたいという山田の意向により、

製作の延期を発表。

2012年12月15日、山田のこれまでの歩みを紹介する

「山田洋次ミュージアム」がオープンした。

 

出展:Wikipedia

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、山田洋次のプロフィールと最終学歴は?経歴や活動についても!』

と言うタイトルで、山田洋次さんについてお伝えしました。

 

昔、会社の研修旅行で、退屈なバスの中、

『フーテンの寅さん』のビデオが流された。

同乗の社長が「そんな低俗な映画見るな」

みたいな発言をされたが、

数分後には寅さんにハマって大笑いしていた。

山田洋次さんのドヤ顔が見える様ですね~♪

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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