「鎌倉殿の13人」では権力闘争が激化!頼家は北条家により追放される。
3代将軍には頼家の弟の実朝が就任するが、また血も凍る悲劇が・・・
今回は、『源実朝「鎌倉殿」の死因と最期の状況!家系図で公暁との関係も確認!』
と言うタイトルで、コレデモカという悲劇をお伝えしたいと思います。
強い刺激とネタバレにご注意ください!
スポンサーリンク
Table of Contents
源実朝のニュース
出展 : twitter
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は21日、第32回「災いの種」が放送された。
奇跡的に息を吹き返した源頼家(金子大地)が北条家の所業を知り、
悲劇が連続した物語は、ラスト1分、ぞっとさせられる恐怖展開を迎えた。
頼家の次男・善哉が遊んでいるところに、老婆が現れ「善哉様でございますね」。
北条に滅ぼされた比企館から逃げ出していた比企の母・比企尼(草笛光子)が、
泥で汚れた服に杖をついて現れ、「北条を許してはなりませぬぞ。あなたの父を追いやり、
あなたの兄を殺した北条を」と語り続けた。
「あなたこそが次の鎌倉殿になるべきお方。それを阻んだのが北条の時政、義時、
そして政子。あの者たちを決して許してはなりませぬぞ。北条を許してはなりませぬ」
と洗脳するように説いた。
比企尼は源頼朝の乳母。善哉にとって時政は曽祖父、政子は祖母、義時は大叔父にあたる。
引用:デイリー 8月21日
ドラマではこれが後の実朝に降りかかる災いの伏線となっています。
源実朝のプロフィール
源 実朝 | |
---|---|
源実朝像(『國文学名家肖像集』収録)
|
|
時代 | 鎌倉時代前期 |
生誕 | 建久3年8月9日(1192年9月17日) |
死没 | 建保7年1月27日(1219年2月13日) |
改名 | 千幡(幼名)→実朝 |
別名 | 将軍家、羽林、右府、鎌倉殿、鎌倉右大臣 |
戒名 | 大慈寺殿正二位丞相公神儀 |
墓所 | 亀谷山寿福寺、金剛三昧院、白旗神社 |
官位 | (官職)右大臣、(位階)正二位 |
幕府 | 鎌倉幕府 3代征夷大将軍 (在任:1203年 – 1219年) |
氏族 | 清和源氏頼信流河内源氏 |
父母 | 父:源頼朝、母:北条政子 |
兄弟 | 千鶴丸?、大姫、頼家、貞暁、三幡、実朝 |
妻 | 西八条禅尼(坊門信清の娘) |
子 | 実子:なし、猶子:公暁、竹御所 |
出展:Wikipedia
スポンサーリンク
源実朝の最期
出展 : twitter
ドラマで三浦義村に預けられた善哉ですが、
その後、1205年12月、北条政子の計らいで7歳になった善哉を
15歳になった実朝の猶子にします。
猶子とは実子ではない子供で、養子との違いは
”家族ではあるが、家督や財産の相続権がない”というところですね。
1211年9月善哉は出家して、近江国の園城寺で修業に入り、公暁の法名を受けます。
1217年6月に鎌倉に戻り、鶴岡八幡宮の別当という高い地位に就く事になります。
一方、源実朝は文人肌で仕事熱心な御家人達にも受けの良い将軍でした。
1219年1月27日『愚管抄』によれば、源実朝は鶴岡八幡宮に拝賀に訪れます。
その実朝を銀杏の樹の陰から体を躍らせて切りつけた者がありました。
実朝の甥の公暁でした(怖)
実朝は転倒した処で首を斬り落とされてしまいます。
「親の仇はこう討つのだ」と叫んだそうです。
仏に仕える身でありながら、叔父さんの首を落とす・・・
とても考えられないですね。
ドラマでは善司の家で義時が善哉を殺めようとしますが、
この展開を恐れたのでしょうね。
源実朝の家系図
公暁は実朝叔父さんを暗殺した事になりますね!
ネットの反応
源実朝 暗殺の伏線……
身の毛がよだつホラー展開 生きていた比企尼、魔女のような不気味さで“呪い” 善哉に「北条を許してはなりませぬ」 @mantanwebから
— 櫛田深(ふかし) 信楽学園出身の佐藤貴久 川並翔太 岡大次郎 重松勇亮 荒木半次 (@n3XhIboLIVPg7k8) August 21, 2022
このあとで源頼家の生き残った息子である公暁によって源実朝は暗殺されます。そして公暁本人も。鎌倉幕府は粛清の歴史で、御家人が終われば北条一族の間で粛清がはじまります。過酷な椅子取りゲームです。
— かもす (@kamosdeepforest) August 21, 2022
本日の #トリビア。#大河ドラマ「#鎌倉殿の13人」で、#栗原英雄 さん演じる #大江広元 は成人後、一度しか泣かなかったということが「吾妻鏡」に書かれている😭
ちなみにその泣いたシーンは、三代将軍・源実朝が暗殺される直前⚔️
お前なにか知ってたんとちゃうんか!(・口・)#雑学#豆知識 pic.twitter.com/NhG4WASxZy— 今岡英二 (@eiji_imaoka) August 21, 2022
源実朝には子供を作る気がなかった、または何らかの理由で作れなかったという。「吾妻鏡」には実朝が大江広元に「源氏の正統な血統は自分の代で終わる」と言っているので、公暁による暗殺が無くとも源氏将軍の血は断絶していたのかも…
— RALL (@Rall1944) August 21, 2022
こちらは、2010年3月10日に倒伏した、鶴岡八幡宮の大銀杏から作られた「木霊」です。樹齢1,000年を超え、源実朝を暗殺した公暁が隠れていた「隠れ銀杏」で有名です。タイミングよく鎌倉を訪れていて入手できた御守り。御神木の御守りは、精霊をあらわす「こだま」という名が多いのでしょうか。 pic.twitter.com/753teRYXTW
— 黒潮 (@wata_tsu_mi) August 21, 2022
源実朝を鎌倉殿とする新体制が始まるが…/「鎌倉殿の13人」第33回見どころ(日刊スポーツ)#Yahooニュースhttps://t.co/626CH1ix6L
血縁の度合いはおいとくとして。
殺せと命じたのに殺せない暗殺者は「飛べない豚は只の豚」以上に役立たずだなあと思う。— かんそうかきかき (@AuYiS5qT0tpSHEy) August 21, 2022
【鎌倉殿の13人】「源実朝」の実像 28歳で20歳の甥「公暁」になぜ暗殺されたのか(デイリー新潮)#Yahooニュースhttps://t.co/bMK9XhXKl9
— 松原 守 (@matsubara_m) August 21, 2022
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は、『源実朝「鎌倉殿」の死因と最期の状況!家系図で公暁との関係も確認!』
と言うタイトルで、コレデモカという悲劇をお伝えしました。
ハッキリ言って、このドラマを観るまでは
鎌倉時代がこんなにも暗いものとは思いませんでした。
一言でいうと、身内同士の殺戮の時代なのですね。
鎌倉時代は”かぁ― 真っ暗”とダジャレのひとつも言いたくなりますね(笑)
今回も最後までお読みいただき有難うございました。