安藤忠雄のプロフィールと最終学歴は?経歴や受賞歴についても!

   

 

4月2日の「日曜美術館」に安藤忠雄さんが登場!

安藤忠雄さんってどんな人なのか改めて調べてみました。

今回は、『安藤忠雄のプロフィールと最終学歴は?経歴や受賞歴についても!』

というタイトルで、安藤忠雄さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

スポンサーリンク

 

 

 

安藤忠雄のニュース

 

日曜美術館 安藤忠雄 魂の建築

 

建築家・安藤忠雄さん。

病を乗り越え、80歳を過ぎた今も、新たな決意で建築と向き合う。

安藤さんが手掛ける3つの大きなプロジェクトに密着。

未来へのメッセージとは。

番組内容

フランス・パリの歴史的建造物を現代美術館に生まれ変わらせるというビッグプロジェクト。

設計を手掛けるのは、建築家・安藤忠雄さん。

がんを患い、2度の大きな手術を乗り越えて、今、新たな決意で建築と向き合っている。

歴史と現代の融合、自然を大切にした建築、そして、次世代を生きる子供たちに贈る図書館。

病を経て、安藤さんが取り組むプロジェクトの現場に密着。

建築を通して未来に伝える安藤さんのメッセージとは。

 

出演者

【出演】安藤忠雄,【語り】柴田祐規子

 

引用:「日曜美術館」の番組案内から

 

 

 

 

安藤忠雄のプロフィール

 

▲3月31日、江原道原州を訪れた安藤忠雄氏。/写真=チェ・ミンギ記者

出展 : twitter

 

安藤忠雄
Tadao Ando 2004.jpg

2004年撮影
生誕 1941年9月13日(81歳)
大阪府大阪市港区
国籍 日本の旗 日本
出身校 大阪府立城東工業高等学校
職業 建築家、東京大学特別栄誉教授
受賞 日本建築学会賞作品賞(1979年)
毎日芸術賞(1987年)
日本芸術院賞(1993年)
プリツカー賞(1995年)
高松宮殿下記念世界文化賞(1996年)
RIBAゴールドメダル(1997年)
AIAゴールドメダル(2002年)
京都賞思想・芸術部門(2002年)
UIAゴールドメダル(2005年)
ジョン・F・ケネディセンター芸術金賞(2010年)
後藤新平賞(2010年)
公式サイト www.tadao-ando.com
所属 安藤忠雄建築研究所
建築物 住吉の長屋
光の教会
地中美術館

出展:Wikipedia

 

スポンサーリンク

 

 

 

安藤忠雄の経歴

 

早稲田大学創造理工学部建築学科

 

大阪府大阪市港区生まれ、同市旭区出身。

三人兄弟で弟が2人いる。

双子の弟は、北山創造研究所(都市コンサルタント業/商品デザイン業)を主宰する北山孝雄。

下の弟は建築家の北山孝二郎(ピーター・アイゼンマンとのコラボレーションで名を馳せた)。

一人娘だった母親の実家・安藤家を継ぐため、生前からの約束に従い祖父母の

安藤彦一・キクエの養子となる。

大阪の下町にある間口2間、奥行き8間の長屋で育つ。

 

大阪府立城東工業高等学校卒業。

月給1万円の時代に、4回戦のファイトマネーが4千円という報酬に魅せられ、

高校在学中の17歳の時にプロボクサーのライセンスを取得し、フェザー級でデビュー。

リングネームは「グレート安藤」。

以後、10試合ほど行い6回戦まで行ったが、所属ジムに来ていたファイティング原田の練習を見て、

身体能力の桁が違うとその才能に圧倒され、1年半ほどでボクシングからは引退する。

もともと、中学生の頃、自宅の建て替えを担当した大工や、中学時代の数学教師からの影響で、

建築に興味を持っていたため、卒業後、前衛美術を志向する具体美術協会に興味を持つ。

 

経済上の理由で大学には通えなかったため建築の専門教育は受けておらず、毎日15時間以上独学し、

建築科の学生が通常4年かけて学ぶ内容を1年で習得して建築士試験に1発で合格した

(註:大学の授業は、建築士試験の内容だけを学ぶものではない。一級建築士登録番号より、

1968年頃、27歳で取得したと思われる)

また、水谷頴介の建築設計事務所でのアルバイトもしていた。

木工家具の製作で得た資金を手に、24歳の時から7ヶ月アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアへ

放浪の旅に出る。

ヨーロッパからの帰路、マルセイユで数週間待たされた後、帰国の船に乗り、象牙海岸、

ケープタウン、マダガスカルに立ち寄り、インド・ムンバイ(当時のボンベイ)で下船する。

安藤は“何かに導かれるように”汽車に乗り、ベナレスに向かった。

ガンジス川で牛が泳ぎ、死者が火葬に付される傍らで多くの人々が沐浴するさまや、

強烈な太陽の下、異様な臭気に包まれた果てしなく続く大地、生と死が渾然一体となり人間の生が

むき出しにされた混沌世界に強烈な印象を受け、逃げ出したい気持ちを必死にこらえながら

ガンジス川の岸辺に座り込み、「生きることはどういうことか」を自問し続けた。

「人生というものは所詮どちらに転んでも大した違いはない。

ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいいのだ。

闘いであるからには、いつか必ず敗れるときが来る。

その時は、自然に淘汰されるに任せよう」と考え、ゲリラとしての生き方を決心する。

1965年、24歳のときである。

この放浪中に安藤が撮影した写真は、ルイス・I・カーンの作品集などで使われている。

 

1977年のローズガーデン(神戸市生田区)等初期の作品のいくつかは、弟の孝雄の所属していた、

セツ・モードセミナー出身の浜野安宏が代表を務める浜野商品研究所

(1992年、浜野総合研究所と改名)と共に実現した。

1970年代には個人住宅などの小規模建築、1980年代には商業施設、寺院・教会などの中小規模の

建築の設計が多かった。

1990年代以降は、公共建築、美術館建築、海外の仕事も増えている。

 

出展:Wikipedia

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『安藤忠雄のプロフィールと最終学歴は?経歴や受賞歴についても!』

というタイトルで、安藤忠雄さんについてお伝えしました。

 

黒川紀章が逝き、磯崎新が亡くなった今、

安藤忠雄先生が存命なのは大いなる喜びであります。

『勇気とガッツが、退屈な日常の繰り返しを、無限の可能性に満ちた時間に変えていく。』

改めてこの言葉を反芻しながら前進したいと思います。

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です