佐野史郎のプロフィールと最終学歴は?経歴や著書についても!

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2月9日の「徹子の部屋」に佐野史郎さんが出演!

佐野史郎さんってどんな人なのか改めて調べてみました。

今回は、佐野史郎のプロフィールと最終学歴は?経歴や著書についても!』

と言うタイトルで、佐野史郎さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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佐野史郎のニュース

 

 

徹子の部屋 佐野史郎

 

 

〜復帰!がん闘病は意外にも…⁉〜

佐野史郎さんが今日のゲストです。

 

ゲスト

佐野史郎さんがゲスト。

 

番組内容

おととし12月に『徹子の部屋』で多発性骨髄腫を患っていることを公表した佐野さん。

昨年春には2度目の入院治療を終えて俳優業に復帰し、

現在は精力的に映画やドラマに取り組んでいる。

そもそも番組で公表しようと決断したのも“第二の母”と慕う故・野際陽子さんと

黒柳さんが親友だからだという。

また、退院直後に見舞いに来てくれた先輩俳優・柄本明さんには、

つい入院生活を「楽しかった」と言ってしまい…その理由も明かす。

 
 
 

引用:「徹子の部屋」の番組案内から

 

 

佐野史郎のプロフィール

 

出展:Twitter

 

さの しろう
佐野 史郎
佐野 史郎

本名 佐野 史郎
生年月日 1955年3月4日(67歳)
出生地 日本の旗 日本山梨県山梨市
出身地 日本の旗 日本島根県松江市
身長 175 cm
血液型 B型
職業 俳優映画監督ミュージシャン
ジャンル テレビドラマ映画演劇
活動期間 1975年 –
活動内容 1975年:シェイクスピア・シアター入団
1986年映画デビュー
1992年:『ずっとあなたが好きだった
配偶者 石川真希女優
所属劇団 シェイクスピア・シアター(1975年 – 1980年
状況劇場(1980年 – 1984年
事務所 mewgull
公式サイト 橘井堂

出展:Wikipedia

 

最終学歴:島根県立松江南高等学校卒業

 

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佐野史郎の経歴

 

画像

出展:Twitter

 

 

経歴

 

医師である父親がインターン勤務で山梨県にいた関係で山梨市に生まれる。

佐野家は島根県松江市で代々続く医家。

生後間もなく東京都世田谷区へ移り、のち都内練馬区へ転居。

7歳の時に父親が松江の実家(佐野内科医院)を継ぐため郷里の松江市へ引っ越した。

 

島根大学教育学部附属中学校を経て島根県立松江南高等学校卒業。

上京後、美學校の中村宏油彩画工房で絵を学ぶ。

1975年、劇団「シェイクスピア・シアター」に創設メンバーとして参加。

1980年、唐十郎主宰の「状況劇場」へ移り、1984年まで在籍。

1986年に林海象監督の一般公開デビュー作となる『夢みるように眠りたい』の主役で

映画に初主演した。

 

1992年7月3日~9月25日の毎週金曜日に放送されたテレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』の

桂田冬彦(冬彦さん)を演じたことで広く知られるようになり、「冬彦さん=マザコン」となるほど

のブームを生んだ。

冬彦役の影響から、「知的ながらもどこか狂気を宿した演技」での起用が多いが、

正統派演技からコミカルな演技まで幅広くこなす。

 

『世にも奇妙な物語』シリーズには初期の頃から出演しており、実質準レギュラー的存在である。

1995年からは竹内銃一郎と隔年活動の演劇ユニット「JIS企画」を組んで本多劇場をメインとして

活動していたが、2004年から活動を休止している。

 

2018年、『限界団地』で連続テレビドラマ初主演を果たした。

2019年11月6日、茨城県内で行われた『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで! 年末スペシャル』

(日本テレビ、12月31日)のロケ中に腰椎を骨折し、全治2か月と診断される。

 

2020年01月14日スタートの『10の秘密』(フジテレビ)の撮影でドラマの仕事に復帰。

2021年4月末、くまもと復興映画祭でのトークイベントを終えて帰京すると発熱したが、

検査しても新型コロナウイルス感染症ではなく、5月4日に出演中のTBSテレビドラマ

『リコカツ』のプロデューサーに紹介されたクリニックで詳しい診察と検査を行ったところ

腎臓機能障害が判明したため入院することになり、主人公の父・水口武史役を撮影途中で

降板することが発表され、第四話から代役は平田満が務めることとなった。

同年7月10日に退院した。

 

同年12月10日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演し、

病名が多発性骨髄腫であることを明かし、再入院して治療中であることが公式サイトで公表された。

12月26日、 退院したことを公式サイトで報告した。

入院中は自身の造血幹細胞移植と抗がん剤投与の治療を受け、

「血液のがん」である多発性骨髄腫であると明かすとインパクトが大きく、

『リコカツ』が始まったばかりで、あまり騒がせてはいけないという配慮から

当初は「腎臓機能障害」という病名にしていた。

 

2度の入院を経て復帰。ライフワークである公演

「小泉八雲朗読のしらべ(2022年10月28日開催)」のため、地元・島根県松江市に帰郷。

闘病中、「全然平常心で。落ち込みや不安は一切なかった」

「壮絶な治療すら与えられた”役柄”だと思い、”役”を演じるように治療に専念した」と話した。

一時は死も覚悟したが、復帰後は演じることが好きだと改めて感じているという。

 

 

著書

 

ふたりだけの秘密―あるいは、自転車・写真機・警報器

(筑摩書房 ISBN 4-48080336X)小説 1996年

こんなところで僕は何をしてるんだろう

(角川書店 ISBN 4-048834991)エッセイ1998年

曇天の穴

(学研ホラーノベルズ『クトゥルー怪異録』収録 学研 ISBN 4-05-400385-0 /

学研M文庫『クトゥルー怪異録』収録 学研 ISBN 4-05-900007-8)小説 1994年/2000年

怪奇俳優の演技手帖

(岩波アクティブ新書 ISBN 4-007001286)演技論集2004年

 

出展:Wikipedia

ネットの反応

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、佐野史郎のプロフィールと最終学歴は?経歴や著書についても!』

と言うタイトルで、佐野史郎さんについてお伝えしました。

 

佐野史郎さんと言えば、

どうしても『冬彦さん』のイメージが着いて廻りますが・・

役者さんにとってこれは嬉しい事なのでしょうか?

それとも嫌な事なのでしょうか?

あるいはイメージの善し悪しに依るのでしょうか?

番組でお話が出るかもしれませんね~♪

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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