由紀さおりの現在と若い頃は?プロフィールや学歴と経歴についても!

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11 月17日の「徹子の部屋」に由紀さおりさんが出演!

由紀さおりさんってどんな人なのか改めて調べてみました。

今回は、『由紀さおりの現在と若い頃は?プロフィールや学歴と経歴についても!』

というタイトルで、由紀さおりさんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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由紀さおりのプロフィール

 

画像

出展:X

 

ゆき さおり
由紀 さおり
由紀 さおり

2019年12月13日、旭日小綬章伝達式にて
本名 安田 章子(やすだ あきこ)
生年月日 1946年11月13日(77歳)
出生地 日本の旗 日本群馬県桐生市
血液型 A型
職業 歌手
タレント
女優
活動期間 1965年 –
著名な家族 安田祥子(実姉)
事務所 田辺エージェンシー
安田音楽事務所
公式サイト 由紀さおり・安田祥子 安田音楽事務所 公式サイト
主な作品
テレビドラマ
チョッちゃん


映画
家族ゲーム


バラエティー番組など
8時だョ!全員集合
ドリフ大爆笑
コメディーお江戸でござる
道中でござる

受賞

毎日映画コンクール
助演女優賞
1983年家族ゲーム
岩谷時子賞
2012年

出展:Wikipedia

最終学歴:洗足学園短期大学英文科卒業

 

 

 

由紀さおりの現在

 

出展:X

 

やはりお着物がよくお似合いですよね~♪

妖艶、気品・・・いつまでも美しい方ですね・・・。

 

 

 

 

由紀さおりの若い頃

 

夜明けのスキャット」由紀さおり | MY MEMORIES♡

出展:ameblo.jp

 

夜明けのスキャットは今も脳内で歌唱されているかの様です。

20代初めとは思えない程の落ち着き、色気、気品を感じます。

 

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由紀さおりの経歴

 

由紀さおり やりなおしたいの(1978年3月) - YouTube

出展:www.youtube.com

 

ひばり児童合唱団出身。 洗足学園第一高等学校を経て、洗足学園短期大学英文科卒業。

 

 

安田章子としてデビュー

 

群馬県桐生市に生まれたが、3歳で横浜市へ移る。

少女時代から姉の安田祥子と共に本名の「安田章子」名義で童謡歌手として活躍。

1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」にて歌謡曲の歌手として

デビューするが、ヒットに恵まれず停滞の時代に入る。

童謡歌手時代からの仕事であるCM曲やテレビ・ラジオ主題歌の吹き込みや、

「大人の世界を歌えるように」という修行の意味合いもあったキャバレー・ナイトクラブへの

出演を行いながら雌伏の時を過ごす。

 

 

由紀さおりとして再出発

 

1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)より

再デビュー作となった「夜明けのスキャット」が発売される。

元々TBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバラード」のOPとして制作され、

当初はレコード化の予定はなかったが、リスナーからの問い合わせが相次ぎ

シングルリリースが企画された。

しかし由紀は歌手活動で失敗した過去に対する懸念と自らの結婚を控えていた事情もあり

再デビューに消極的だったが、新たに歌詞が書き下ろされる間にいずみたくらが説得して

レコーディングが実現した。

大ヒットとなった「夜明けのスキャット」は、最終的には150万枚のミリオンセラーとなり、

この年の暮れには「第20回NHK紅白歌合戦」で念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たす

(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。

当時、新番組として準備されていた『サザエさん』のスタッフは由紀に主題歌の歌唱を

依頼するつもりだったが、「夜明けのスキャット」での再デビューの時期と重なり、

断念したという。

 

翌1970年には、「手紙」も6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットになり、

第12回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。

その後も「生きがい」「故郷」「ルーム・ライト (室内灯)」「挽歌」「ふらりふられて」

「う・ふ・ふ」「トーキョー・バビロン」などの歌謡曲を世に送り出し、その確かな歌声は

「酔い覚ましの清涼剤」との評価を受けた。

1973年2月11日、広島市で行われた営業イベントの最中、客席から投げ込まれた

紙テープの芯のようなものが額に当たり、5針縫うケガを負う。

同年末、「恋文」で第15回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した。

 

 

コメディエンヌ(喜劇)・女優・司会など

 

歌手としての人気の一方、タレント性を見込まれ、バラエティー番組に多数出演した。

特に『8時だョ!全員集合』で共演したいかりや長介からの薫陶を受けコメディエンヌとしての

才能も開花し、『ドリフ大爆笑』においてはゲストとして最多の出演数となり、

コントの「オチ」を任せられるなど主にいかりやの相方として準レギュラーに近い立場となった。

 

1995年から2006年にかけては『コメディーお江戸でござる』や『道中でござる』にも

準レギュラー出演し、伊東四朗と息の合った掛け合いを見せた。

1980年代にはテレビ司会者・タレント・女優としての活躍も目立ち、

彼女のマルチな才能がさらに発揮されていく。

1982年には『おもしろサンデー』へ桂文珍と共に司会として出演。

1983年には松田優作主演の『家族ゲーム』でお惚けな母親役を演じ、

日本アカデミー賞助演女優賞を受賞、1987年には朝の連続テレビ小説『チョッちゃん』で

主人公の母親役を演じ、流暢な方言を披露した。

 

 

姉との歌手活動など

 

1985年には童謡アルバム『あの時、この歌』を発表し、1986年より姉・安田祥子と共に

童謡コンサートをスタートさせ、徐々に歌手活動に再び重点を置くようになる。

同年の暮れには第28回日本レコード大賞企画賞を受賞、童謡ブームの火つけ役となる。

1987年には「第38回NHK紅白歌合戦」に出場。

NHK紅白歌合戦に9年ぶりに復帰し、以降2001年の「第52回NHK紅白歌合戦」まで

紅白の常連として出演した。

なお、1992年・第43回では自身唯一の紅組トリを務めている。

また2000年には、映画『ドラえもん のび太の太陽王伝説』の主題歌「この星のどこかで」を、

安田と共に歌っている。

 

実姉の安田とのレパートリーは童謡・唱歌に留まらず、オリジナル楽曲、歌謡曲、

クラシック、アニメ主題歌など多ジャンルに渡っており、特にスキャットで唄った

「トルコ行進曲」は1997年の「第48回NHK紅白歌合戦」において披露されたことで

一躍全国に認知。

X JAPANのTOSHIも「由紀と言ったら、トルコ行進曲」と歌番組共演時にリクエストするなど

姉妹の代表曲として知られている。

現在でも各地で精力的にコンサートを行う一方、女優・タレントとしての活動も盛んに行っている。

 

由紀さおりに改名してから40周年となった2009年には、

ソロ名義では約四半世紀ぶりのオリジナルアルバム『いきる』を発売。

また、ソロコンサートも行い盛況を収めた。

「今後は姉妹名義の活動と並行しながら、(歌手としての)ソロ活動にも力を入れていく。

21世紀の歌謡曲を歌っていきたい」と発言している。

2012年、紫綬褒章受章。

また同年の「第63回NHK紅白歌合戦」にも久々に返り咲き(ソロ歌手としては20年ぶり13回目、

紅白出場は11年ぶり)を果たした。

2019年、旭日小綬章受章。

 

出展 : wikipedia

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『由紀さおりの現在と若い頃は?プロフィールや学歴と経歴についても!』

というタイトルで、由紀さおりさんについてお伝えしました。

 

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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