源頼朝の家系図や義経との関係について!最後の死因は落馬ではない?

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愈々盛り上がる大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の中でも、

源頼朝と義経の関係には分かりにくいところがあります。

今回は『源頼朝の家系図や義経との関係について!最後の死因は落馬ではない?』

というタイトルで、いくつかの謎についてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

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源頼朝の家系図

 

源頼朝の父母・妻・妾・子・兄弟と家系図【鎌倉殿の13人】

頼朝には多くの兄弟がいますが、物語に登場するのは

主に、義経と範頼になります。

それにしても頼朝の女性遍歴は凄いですね~♪

 

源頼朝と義経の関係は?

 

義経は頼朝の弟でありながら、平家を滅ぼした後何故討たれたのでしょうか?

頼朝は義経の何が気に入らなかったのでしょうか?

三つの理由があると言われています。

① 勝手な行動:頼朝の兵を自分の兵の様に使った。

② クズな戦術:奇襲攻撃が多く武士の戦法ではない。

③ 無弾の行動:後白河法皇から無断で官位を受ける。

 

大河ドラマでも①についてはよく分からなかったのですが、

②と③はきっちりと表現されていましたね~。

しかし、それにしても多大な戦果を挙げた弟を討ちますかね?

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源頼朝の死因

 

頼朝の死因については、吾妻鏡に『落馬』と在って、事故死と思われますが、

そのほかに病死説、暗殺説、・・と多くの説がある様です。

 

と、ここで最近驚きの説がありましたので紹介しておきます。

 

1192年、源頼朝は後鳥羽天皇によって征夷大将軍に任ぜられ鎌倉幕府を開きました。その後独裁政権を進めていた頼朝でしたが、1198年12月27日橋供養からの帰路落馬し、体調を崩し翌年1199年1月13日に死亡しました。

この死因については脳卒中説、あるいは受傷後の破傷風説等、いろいろ取り上げられていますが、その中に頼朝が水を飲んで死亡したとされる説があります。すなわち落馬は脳虚血発作によるもので一旦は回復したものの、療養中に水を誤嚥し、肺炎から敗血症をきたして死亡したというものです。すなわち頼朝の死は今でいう誤嚥性肺炎が直接の死因でなかったかと考えられているわけです。

生涯を通じて幾度も命を狙われ、またその権力抗争のため多くの一族を粛清してきた頼朝は絶えまないストレスによりむし歯や歯周病を悪化させ、やがては全身を蝕まれていったのかもしれません。もしこの時代に頼朝が適切な歯科治療や口腔ケアを受けることができていれば、倒れて寝たきりになっても少なくとも誤嚥性肺炎で死んでしまうことはなかったのではないでしょうか。

日本歯科医師会 広報委員会

イマイチ、口腔ケアと誤嚥性肺炎の関係が謎ですが、

まさかコレ広告ではないですよね~。

 

ネットの反応

 



 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は『源頼朝の家系図や義経との関係について!最後の死因は落馬ではない?』

というタイトルで、いくつかの謎についてお伝えしました。

まあ、様々な説があるから面白いのでしょうが、

三谷さんは色々な史実エピソードを紡いでこれだけのストーリーをつくるなんて!

本当に凄い人だと思います。

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

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