隈研吾(建築家)の新作別府ホテルとは?プロフィールと学歴や経歴についても!

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5月12日の「情熱大陸」に隈研吾さんが出演

隈研吾さんってどんな人なのか気になり調べてみました。

今回は、『隈研吾(建築家)の新作別府ホテルとは?プロフィールと学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、隈研吾さんとその作品についてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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隈研吾(建築家)のニュース

 

情熱大陸をアコギでカバーしてみた | のび太のギターブログ

 

 

情熱大陸

【隈研吾/建築家▽1300回特別シリーズ“レジェンド”の生き様と言葉】

 

その建造物は、多彩。

独自の「好き」を貫き、権威と鉄とコンクリートに違和感を抱いてきた孤高の男は

軽やかに世界を飛び回り、そして彷徨う。

ひねくれ者の巨匠が描く、未来

5月12日 日曜 23:00 -23:30 TBS1

 

番組内容

1998年の放送開始以来、1300回を迎えた『情熱大陸』。

これを記念して各界の“レジェンド”の生き様や言葉に迫る特別シリーズを不定期で放送。

第一弾として登場するのは、建築界の世界的巨匠・隈研吾。

国内では国立競技場、GINZA KABUKIZA、高輪ゲートウェイ駅、

根津美術館本館…彼の名を知らない人でも、一度は目にしたことがあるだろう建築物。

今もおよそ20カ国、400以上のプロジェクトが進行中だ。

「旧態依然、権威的でマッチョといったピカピカな建築はもうダサい」と言い切る隈の建築は、

日本の伝統の技、自然への敬意、生活者目線を欠かさない。

現在進行中のフランス、サン・ドニ・プレイエル駅。

完成目前の駅舎は、色々な人が混じり合って楽しめる広場がコンセプトにある。

一般的な“駅は箱だ”という概念を壊し“駅は丘だ”と定義―、

現地鉄道会社も「市街地の分断という難問を解消した天才的な発想」と期待を寄せている。

“脱成長”が叫ばれる世界から、これまでにも増して求められている、『隈研吾の建築』。

本人は多忙、だがいたって軽やかだ。

2週間の海外出張もボストンバッグひとつという身軽さ。

「さまよう」ことを喜びとする彼の信条は「何かに縛られてはいけない」。

「軽やか」でないと「狩猟」はできないのだと言う。

独自の「好き」を貫く、「ひねくれた建築家」が、未来を託す私たちへ語る思いとは?

彼と共に思いを馳せる旅に出よう――

 

引用:「情熱大陸」の番組案内から

 

 

 

 

隈研吾(建築家)の新作別府ホテル

 

画像

出展:X

 

隈研吾さんの新作別府ホテルは木造2階建て。

6メートル級の県産ヒノキが並ぶ外観が大きな特徴で、

4人から8人までの素泊まりの客室が14室整備されます。

 

ホテル全体が木の香りに包まれて、

全てのお部屋から別府湾が見渡せる爽快な造りになっていて、

隈研吾さんのコンセプトは”別府の我が家”だそうです。

一度泊まってみたいですね~♪

 

隈研吾(建築家)のプロフィール

 

情熱大陸【隈研吾/建築家▽1300回特別シリーズ“レジェンド”の生き様と言葉】

出展:X

 

隈研吾

2014年6月10日撮影
生誕 1954年8月8日(69歳)
日本の旗 日本 神奈川県横浜市
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了
職業 建築家
配偶者 篠原聡子
受賞 日本建築学会賞作品賞(1997年)
村野藤吾賞(2001年)
リーフ賞(2008年)
毎日芸術賞(2010年)
芸術選奨文部科学大臣賞(2011年)
公式サイト kkaa.co.jp
所属 慶應義塾大学
早稲田大学
東京大学工学部
隈研吾建築都市設計事務所
建築物 国立競技場
高輪ゲートウェイ駅
角川武蔵野ミュージアム
M2ビル
水/ガラス
伝統芸能伝承館森舞台
那珂川町馬頭広重美術館
石の美術館
GREAT (BAMBOO) WALL
サントリー美術館
根津美術館本館
英国アンティーク博物館 BAM鎌倉

出展:Wikipedia

 

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隈研吾(建築家)の経歴

 

出展:日本経済新聞

 

神奈川県横浜市大倉山出身。

三菱金属鉱業(現・三菱マテリアル)のサラリーマンであった父親

(長崎県大村市出身で東京・日本橋育ち先祖は大村藩の重臣)が45歳の時の息子で、

医院を営んでいた母方の祖父が建てた大倉山駅近くの古い家で育つ。

初めは猫好きゆえに獣医を志していたが、家屋の修繕をするデザイン好きの父親に付き合ううちに、

建築に興味を持つようになる。

大田区立田園調布小学校に通っている時、

1964年(昭和39年)の開催を控えた東京オリンピックの建築物を目にし、

いよいよ本気で建築家を志すこととなった。

中学受験をして栄光学園中学校・高等学校に進学。

高校時代は183cmの長身を生かしてバスケットボール部でセンターを守っていた。

高校卒業後は東京大学理科一類に進学。

 

東京大学工学部建築学科を卒業後、

東京大学大学院工学系研究科建築意匠専攻修士課程を修了(1979年)。

在学中は、芦原義信、槇文彦、内田祥哉、原広司らに師事した。

同級生には、竹山聖(京都大学名誉教授)、小林克弘(首都大学東京教授)や大江匡(建築家)、

村田誉之(大成建設)がいた。

 

大学院で修士論文を書いていた時期に、同級生の多くは当時話題の新鋭・安藤忠雄に憧れていたが、

隈はその逆を行くことを選択し、アトリエ系事務所ではなく、社会に揉まれるためにと

大手設計事務所の日本設計に就職した。

その後、戸田建設、米国コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員

(1985-1986年〈昭和60~61年〉)を経て、

1990年(平成2年)に隈研吾建築都市設計事務所を設立する。

 

法政大学工学部建設工学科非常勤講師、

慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授

(1998年〈平成10年〉4月から1999年〈平成11年〉3月)、

早稲田バウハウス・スクール講師(1999年〈平成11年〉から2002年〈平成14年〉春・夏)、

慶應義塾大学理工学部客員教授(2002年〈平成14年〉4月から2007年〈平成19年〉3月)

慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科教授

(2007年〈平成19年〉から2009年〈平成21年〉3月)、

米国イリノイ大学建築学科客員教授(2007年〈平成19年〉から2008年〈平成20年〉)を経て、

2009年(平成21年)4月より東京大学工学部建築学科教授に就任。

2007年(平成19年)3月に博士論文

『建築設計・生産の実践に基づく20世紀建築デザインと大衆社会の関係性についての考察』

を慶應義塾大学に提出し、博士の学位を取得。

 

2008年(平成20年)には、フランスの首都パリに Kuma & Associates Europe を設立。

2018年(平成30年)には、高知県立林業大学校の初代校長に決まる。

2020年(令和2年)4月に東京大学特別教授。

同年4月1日に岡山大学工学部特別招聘教授に就任。

2021年12月、一般社団法人日本ウッドデザイン協会会長に就任。

2022年2月16日、隈研吾建築都市設計事務所が都道府県と結ぶ初の協定として、

和歌山県と地方創生で包括連携協定を結んだ。

 

出展:Wikipedia

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『隈研吾(建築家)の新作別府ホテルとは?プロフィールと学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、隈研吾さんについてお伝えしました。

 

隈さんの『木』への拘りは半端ないですね~♪

今後も温もりのある作品を期待したいですね。

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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