村治佳織のプロフィールと最終学歴は?経歴や活動についても!

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5月6日の「題名のない音楽会」に村治佳織さんが出演

村治佳織さんってどんな人なのか気になり調べてみました。

今回は、『村治佳織のプロフィールと最終学歴は?経歴や活動についても!』

と言うタイトルで、村治佳織さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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村治佳織のニュース

 

題名のない音楽会|テレビ朝日

 

題名のない音楽会

「春から連想する音楽会」…ゲスト奏者が「春」から連想するワードを数珠つなぎで発表!

各々がその言葉にピッタリのイメージの曲を演奏します!

 

番組内容

「春から連想する音楽会」と題し、例えば、春といえば青、青といえば空…というように、

ゲスト奏者が、春から連想するワードを数珠つなぎで発表!

各々がその言葉にピッタリのイメージの曲を演奏します!

 

出演者

【司会】石丸幹二

 武内絵美(テレビ朝日アナウンサー)

【ゲスト】村治佳織(ギター)、上村文乃(チェロ)、Cocomi(フルート)

【演奏】林周雅ストリングス

(林周雅、ミッシェル藍、堀内優里、東條太河、飯野和英、生野正樹、奥泉貴圭、

蟹江慶行、菅沼希望)

 

音楽

M1 久石譲作曲 萩森英明編曲

 映画『もののけ姫』より「アシタカとサン」

M2 M.ルグラン作曲 萩森英明編曲

   映画『ロシュフォールの恋人たち』より「キャラバンの到着」

M3 P.ウィリアムス作曲 萩森英明編曲「ハッピー」

M4 D.ガッロ作曲 萩森英明編曲「12のトリオ・ソナタ第1番」第1楽章

 
 
 
 引用:「題名のない音楽会」の番組案内から

 

 

 

 

村治佳織のプロフィール

 

画像

出展:twitter

 

名前:村治 佳織(むらじ かおり)

村治佳織
出生名 村治佳織
生誕 1978年4月14日(45歳)
出身地 日本の旗 日本東京都台東区
ジャンル クラシック
職業 クラシックギタリスト
担当楽器 クラシックギター
活動期間 1993年 –
レーベル デッカ・レコード
事務所 村治事務所
公式サイト 村治佳織オフィシャルホームページ

出展:Wikipedia

最終学歴:フランス・パリエコールノルマル音楽院

 

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村治佳織の経歴

 

画像

出展:twitter

 

 

フランス留学まで(1978年 – 1999年)

 

村治佳織は1978年4月14日に生まれた。

3歳から父・村治昇にギターの日々厳しい特訓の手ほどきを受け、

その後10歳からは福田進一に師事した。

1989年の日本ジュニア・ギター教育協会主催「日本ジュニア・ギター・コンクール」にて

最優秀賞を、1991年の学生ギター・コンクールにおいて、全部門通じての最優秀賞を受賞。

さらに1992年には、ブローウェル国際ギター・コンクール(東京)と

東京国際ギター・コンクールで優勝している。

 

1993年、津田ホールにてデビューリサイタルを開催し、

同年にアルバム『エスプレッシーヴォ』を発表しデビュー。

翌1994年には、日本フィルハーモニー交響楽団と共演、協奏曲デビューも果たしている。

なお、デビュー時には『若さ』という付加価値に頼らずに、

あくまで音楽そのものを人々に伝えたいとの思いのもと、実年齢を公表していなかった。

1995年には第5回出光音楽賞(1994年度)を最年少で、1996年には村松賞を受賞している。

同年5月、イタリア国立放送交響楽団の定期演奏会に招待されてトリノにおいて共演し、

ヨーロッパでのデビューを飾った。

 

女子聖学院中学校・高等学校を卒業後の1997年より、フランス・パリのエコールノルマル音楽院へ

留学、プロとしての音楽活動を一時休止し、アルベルト・ポンセ(英語版)に師事する。

1999年には、テレビ番組の収録を通じて、ホアキン・ロドリーゴと亡くなる半年前に対面、

彼の前でその作品を演奏する機会を得ている。

元々強く志してプロになったわけでなかった村治は、留学をとおして自らを見つめ直す事ができた

と、日立ソリューションズ (2012)のインタビューに答えて述懐している。

 

 

帰国以降(1999年 – )

 

同1999年、エコール・ノルマル卒業と同時に帰国。

本格的なソロ活動を開始し、NHK交響楽団をはじめとする国内の

主要オーケストラとも共演を重ねる。

2000年、ドイツのフォーグラー・カルテットと室内楽の日本ツアーを行う。

同年、韓国のソウル・アート・センターにて初の韓国リサイタルを開催。

2001年、スペインのバレンシアにてロドリーゴ室内管弦楽団と初共演。

同年、初のDVD『Contrastes』をリリース。

2002年、ロドリーゴ生誕100年を記念し、同楽団と日本ツアーを行う。

2003年、フォーグラー・カルテットとの二度目の日本ツアー、韓国、ソウル・アート・センター

でのリサイタル、そしてイタリア国立放送交響楽団とのトリノ、フィレンツェでの共演と

それに続く日本ツアーを行う。

同年11月、英デッカ・レコードと、日本人初のインターナショナル長期専属契約を結ぶ。

2004年、ホセ・マリア・ガジャルドとのデュオ・リサイタル・ツアーを行う。

DECCA移籍後第一弾アルバム「トランスフォーメーション」を発売、

その記念ツアーを日本全国で展開する。

ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮の読売日本交響楽団とロレンツォ・パロモの

「アンダルシアのノクターン」の日本初演を果たす。

2005年、LGアート・センター他2か所を回る韓国ツアーを行う。

上海音楽庁で上海交響楽団と共演し、中国デビュー公演を果たす。

スペインにて、バレンシア・オーケストラとアランフェス協奏曲を演奏。

「トランスフォーメーション」をヨーロッパ、韓国、香港をはじめ世界発売。

同年10月、右手後骨間神経麻痺(橈骨神経麻痺)により演奏活動を休止、治療・静養に入る。

 

2006年1月、復帰してすぐにフランス、ナント音楽祭に参加、レコーディングも再開する。

同年4月、アメリカ西海岸での初リサイタル・ツアーを行い、アメリカデビューを果たす。

2007年4月、大阪国際フェスティバルで、ロドリーゴ作曲による2本のギターの為の

「マドリガル協奏曲」を、アンヘル・ロメロと共に演奏。

2008年、第9回ホテルオークラ音楽賞を受賞。

同年4月、ベトナム国立交響楽団の定期演奏会(ハノイ・オペラハウス)に出演。

7月、ケヴァントハウス・バッハ・オーケストラと日本、韓国ツアーを行う。

8月、スペイン・サラゴサ万博のジャパン・デーにて、渡辺貞夫と共演。

10月、トゥールーズ室内合奏団と、現地にて共演した後、日本ツアーを行う。

2009年、稲本響(ピアノ、作曲)、藤原道山(尺八)、三響会(邦楽囃子)、

英哲風雲の会(和太鼓)とともに珠響(たまゆら)を結成し、

2月にサントリーホールにて第一回公演を行う。

10月、ドイツ人テノールのヤン・コボウとシューベルト「美しき水車屋の娘」を中心とした

リサイタル・ツアーを開催。

11月、韓国・ソウル・アート・センターにて、アンサンブルDITTOのリーダーである

ヴィオラ奏者、リチャード・ヨンジェ・オニールをゲストに迎え、リサイタルを開催。

 

2011年11月、再び右手後骨間神経麻痺(橈骨神経麻痺)の治療により演奏活動を一時休止。

2012年2月、復帰。

2013年7月22日、舌腫瘍に罹患していることを公表し、

治療のために長期休養に入ることを発表した。

2014年7月24日、自身のオフィシャルサイトにて以前より交際していた

一般男性と結婚した旨を公表した。

2014年9月、吉永小百合主演の映画「ふしぎな岬の物語」のイベントに出演し演奏活動を再開。

2019年、12月23日発売の初エッセイ本「いつのまにか、ギターと」のなかで、

2018年に離婚したことを綴り、明らかにした。

 

出展:Wikipedia

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『村治佳織のプロフィールと最終学歴は?経歴や活動についても!』

と言うタイトルで、村治佳織さんについてお伝えしました。

 

村治佳織さんって素敵な方ですね~♪

ネットの反応にも「一曲だけかよ~」みたいな声があったりして。

村治さんの”リベルタンゴ“聴いてみたい、観てみたい!

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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