猪熊兼勝のプロフィールと出身大学は?経歴や著書についても!

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10月21日の「京コトはじめ」に猪熊兼勝さんが出演!

猪熊兼勝さんってどんな人なのか気になり調べてみました。

今回は、『猪熊兼勝のプロフィールと出身大学は?経歴や著書についても!』

というタイトルで、猪熊兼勝さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

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猪熊兼勝のニュース

 

京コトはじめ - NHK

 

京コトはじめ「古都を彩る歴史絵巻 時代祭」

 

10月22日、3年ぶりに行われる時代祭行列巡行。

平安時代から明治維新までの装束に身をつつんだ行列が都大路を進む。

時代祭の魅力を、前日準備の様子も交えてひもとく。

 

番組内容

10月22日、3年ぶりに行われる時代祭。

平安時代から明治維新まで、各時代の装束にふんした2000人もの行列が

都大路を進んでいく。

綿密な時代考証により、伝統工芸に携わる職人たちが手掛けた装束や調度は

京都ならではの本物だ。

時代祭の始まりは明治時代。

東京遷都のあと、京都に活気を取り戻そうと時代行列が行われた。

その後、京都市民が担い手となり、今日まで続いてきた。

京都三大祭のひとつ・時代祭の魅力をひもとく。

 

 

出演者

【司会】森田洋平,【ゲスト】スポーツコメンテーター…奥野史子,

京都橘大学名誉教授…猪熊兼勝,平安講社第八社理事…太田興

 

引用:「京コトはじめ」の番組案内から

猪熊兼勝のプロフィール

 

画像

出展 : twitter

 

 

名前:猪熊 兼勝(いのくま かねかつ)

生年:1937年(85歳)

出身:京都府京都市

出身大学:関西大学文学部史学科卒業

関西大学大学院文学研究科考古学専攻修士課程修了、文学修士

職業:考古学者、京都橘大学名誉教授

所属:葵祭行列保存会会長、時代祭考証委員長、日本考古学協会、韓国考古学研究会

 

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猪熊兼勝の経歴

 

出展 : twitter

 

 

経歴

 

京都府京都市に生まれる。

猪熊家は代々猪熊通に居住していたが、応仁の乱で焼け出された。

京都府立鴨沂高等学校を経て、

1962年 関西大学文学部史学科卒業。

1964年 関西大学大学院文学研究科考古学専攻修士課程修了、文学修士。

奈良国立文化財研究所に就職し、同所埋蔵文化財センター研究指導部長、

1997年 同所飛鳥藤原宮跡発掘調査部部長となる。

1998年 京都橘大学文学部教授、のちに同名誉教授。

 

1972年 奈良県明日香村の高松塚古墳から極彩色の壁画が発見。後に国宝になり、

壁画古墳は文化庁が保存担当し、奈良文化財研究所の猪熊は、

数十年間高松塚古墳の扉の鍵を預かる。

2004年 壁画の劣化が明らかになり、解体後に、壁画の加筆修復と発見当初の姿を復元し、

諸外国の壁画公開方法も参考にして公開を提案した。

 

1983年 神部四郎次の益田岩船横口式石槨説(1978年)に続ける形で、

牽牛子塚古墳石室の完成までに益田岩船、大阪府寝屋川市の石室の露出した石宝殿古墳で

二度の失敗を繰り返した後、軟質の凝灰岩の石室で完成させたものが、

牽牛子塚古墳であるとの説を提唱する。

 

 

著書

 

『埴輪』講談社〈日本の原始美術6〉、1979年。ISBN 978-4-06-124916-5

『飛鳥の古墳を語る』吉川弘文館、1994年。ISBN 978-4-642-07430-8

『7TH CENTURY TUMULUS IN NARA』2003年。

他多数。

ネットの反応

 


まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『猪熊兼勝のプロフィールと出身大学は?経歴や著書についても!』

というタイトルで、猪熊兼勝さんについてお伝えしました。

 

猪熊兼勝さんは考古学から大河ドラマの時代考証まで

幅広いお仕事をされてる様ですね。

とてもロマンを感じるお仕事だと思います。

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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