太田裕美のプロフィールと最終学歴は?経歴や著書についても!

   

 

1月25日の「徹子の部屋」に太田裕美さんが出演!

太田裕美さんってどんなグループなのか改めて調べてみました。

今回は、『太田裕美のプロフィールと最終学歴は?経歴や著書についても!』

と言うタイトルで、太田裕美さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

スポンサーリンク

 

太田裕美のニュース

 

テレ朝POST » 太田裕美、家族の支えで乳がんを乗り越える。普段 ...

徹子の部屋 コンサート…ゴダイゴ・太田裕美・中村雅俊

 

〜徹子の部屋コンサート②〜昨年11月に開催された

『第16回 徹子の部屋コンサート』の模様をお送りします♪

出演は…ゴダイゴ、太田裕美さん、中村雅俊さん。

 

ゲスト

昨年11月23日、東京国際フォーラムで開催された

『第16回 徹子の部屋コンサート』の模様を2日に分けて放送♪

出演は…ゴダイゴ、太田裕美さん、中村雅俊さん!

 

 

番組内容

『銀河鉄道999』『木綿のハンカチーフ』『恋人も濡れる街角』など、

それぞれがヒット曲で会場を魅了する一方、トークでも盛り上げた。

ゴダイゴのミッキー吉野さんは、幼少期からの美空ひばりさんとの意外な関係を。

スクールメイツがきっかけで芸能界入りした太田裕美さんは、

同期だったキャンディーズのメンバーとの秘話を。

中村雅俊さんは大先輩・杉村春子さんへの大失敗話を披露し、会場は笑いに包まれた。

 

引用:「徹子の部屋」の番組案内から

 

太田裕美のプロフィール

 

太田裕美:乳がんの闘病生活を告白 治療と歌手活動を並行した ...

出展:mainichikirei.jp

 

太田 裕美
出生名 太田 弘美
生誕 1955年1月20日(68歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都荒川区
学歴 上野学園高等学校
ジャンル J-POP
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカル
ピアノ
ギター
活動期間 1973年 –
レーベル ソニー・ミュージック(1974年 – 2006年
Boundee2009年 – )
事務所 フライングダッシュ
共同作業者 福岡智彦なごみーず
公式サイト 太田裕美 sony music

 出展:Wikipedia

 

スポンサーリンク

 

太田裕美の経歴

 

もっちゃん on Twitter: "今日徹子の部屋に出演された太田裕美 ...

出展:Twitter.com

 

 

経歴

 

東京都荒川区に出生。両親は愛知県名古屋市の出身。

父親はプラスティック関係の工場を経営。

3歳時に埼玉県春日部市に転居。

幼少の頃から音楽が大好きだったという。

8歳の夏にピアノを習い始めて同時期に初めて作曲。

小学校時代はコーラス部に入っていた。

実家は埼玉県春日部市で工場と寿司屋を経営しており、『8時だョ!全員集合』に

ゲスト出演の際にはたびたび実家の寿司屋の宣伝をしていかりや長介からツッコまれていた。

1967年4月、上野学園中学校音楽指導科声楽科に入学。

中学1年の4月頃に同級生から「太田さんの声って変だよね」と言われ

「私の声は個性的」と認識するようになったという。

 

デビューまで

 

1969年に中学3年で、友人の代わりにスクールメイツのオーディションを受け合格する。

受験理由は、大好きなザ・タイガースのジュリー(沢田研二)に会えるかもしれないと思ったため。

これにより渡辺プロの東京音楽学院に入ることとなった。

同期生には伊藤蘭・田中好子(後のキャンディーズ)らがいた。

 

1972年(高校3年)の11月、NHKのテレビ番組『ステージ101』のレギュラーグループ

「ヤング101」のオーディションを受け、ピアノで「ショパンのワルツ」を弾いて合格する。

1973年1月から番組終了の1974年3月までヤング101の一員として『ステージ101』に出演。

同期メンバーには谷山浩子がいた。ヤング101時代の友人の姓名判断で、

芸名を本名の弘美から「裕美」へと変更した。

 

1973年12月、NETテレビのオーディション番組

『スター・オン・ステージ あなたならOK!』に出て優勝。

渡辺プロと新人養成契約を結び、西銀座のライブハウス「メイツ」でピアノ弾き語りを始める。

 

「木綿のハンカチーフ」が大ヒット

1974年11月1日に「雨だれ/白い季節」でデビュー。

キャッチフレーズは「まごころ弾き語り」。

デビュー初期はフォークソング調のピアノ弾き語り曲が多かった。

1975年に日本レコード大賞、日本歌謡大賞等で新人賞を受賞。

 

1975年12月に3作目のアルバム『心が風邪をひいた日』からシングルカットされた

「木綿のハンカチーフ」が大ヒット、翌1976年のオリコンチャート週間2位、

年間4位を記録した(年間1位は子門真人『およげ!たいやきくん』)。

作詞は松本隆、作曲は筒美京平。

この曲は太田の最大のヒット曲にして代表曲となり、

はっぴいえんどから作詞家に転身した松本隆の出世作ともなった。

その後、太田は世間から「『木綿のハンカチーフ』の太田裕美」というイメージを

持たれつづけることに複雑な気持ちを抱いていたが、結婚後の活動休止を経て

1996年に音楽活動を本格的に再開してから、ファンが長年にわたり

「木綿のハンカチーフ」に深い愛着と思い入れを寄せていることを知って心境が変化したという。

 

翌1976年にはNHK紅白歌合戦に初出場、1980年まで5年連続で出場した。

当時はアイドル歌手のような扱いを受け、大学祭などにも多数出演し

「学園祭の女王」の異名をとった。

太田は、渡辺プロダクションが若者のニューミュージック指向を高めようと立ち上げた

「NON STOPプロジェクト」の一員であった。

他のメンバーには山下久美子、大沢誉志幸(クラウディ・スカイ)、チャクラ、桑江知子、

大塚博堂、大上留利子、ルイス、ララなどがいた。

渡辺プロダクションにはのちに太田の夫となる福岡智彦が在籍し、

チャクラのメジャー・デビューを手がけていた。

 

1970年代には、渡辺プロ所属の歌手は日本テレビ制作の一部番組には

出演できない時期があったが、

太田裕美だけは「NON STOPプロジェクト」所属歌手ということで例外とされ、

『TVジョッキー』『どっきりカメラ』などにも度々出演していた。

読売テレビ等の系列局制作番組や前出の『TVジョッキー』等、

井原高忠が関与していなかった番組にはNON STOPプロジェクト所属歌手以外でも出演できた。

1979年に発表したアルバム『Feelin’ Summer』収録の「星がたり」は、

柊あおいの少女漫画『星の瞳のシルエット』のテーマソングとして使用された。

同漫画のイメージアルバムには「星がたり」の原曲と

インストゥルメンタルバージョンが収録されている。

 

ニューヨーク留学・結婚後

1982年に音楽活動を一時休業し、8か月間アメリカ・ニューヨークに単身留学。

「八番街西五十一丁目より」で第4回ニッポン放送青春文芸賞優秀賞を受賞した。

帰国後に留学中の経験を綴った著書『ニューヨークなんて怖くない』を執筆した。

また帰国後はディレクターがデビュー時からの白川隆三から、後に夫となる福岡智彦に替わり、

1983年以降はテクノポップ調の曲をリリースするようになった。

このニュー・ウェイヴ路線は、大村雅朗、「4人目のYMO」といわれた松武秀樹、山元みき子名義で

作詞家活動を開始したばかりの銀色夏生、BaNaNa、板倉文、ホッピー神山、岡野ハジメ、

杉林恭雄などがサポートしていた。

 

1984年1月20日の29歳の誕生日に、ディレクター兼プロデューサーの

福岡智彦との交際を明らかにする。

同年8月28日に婚約発表。

翌1985年1月26日、福岡智彦と結婚。

結婚式の仲人は愛川欽也・うつみ宮土理夫妻が務めた。

1980年代後半からは福岡智彦がデビューさせた遊佐未森らへの楽曲提供も行うようになった。

活動休止中にも、弦楽四重奏グループ・クロノス・カルテットが1988年1月に発表したアルバム

『冬は厳しく〜弦楽四重奏曲の諸相II』に朗読で参加している。

 

1996年より音楽活動を再開し、同年4月2日よりライブ活動を開始。

1998年にはミニアルバム『魂のピリオド』をリリースし、

松本隆・筒美京平コンビの楽曲を20年ぶりに歌った。

2004年、親交があるミュージシャンAYUOとのコラボレーション・アルバム

『RED MOON』を制作、ジョン・ゾーンが主催するニューヨークのレーベル

「ツァディク (TZADIK RECORDS)」からリリース。

このアルバムは同年1月20日、太田の50歳の誕生日に発表された。

 

また2004年からは、太田、元かぐや姫の伊勢正三、元ガロの大野真澄の3人で音楽ユニット

「なごみーず」を組み『アコースティック・ナイト』コンサートを開催している。

1984年の『TAMATEBAKO』以来、実に22年ぶりとなるオリジナル・フルアルバム

『始まりは“まごころ”だった。』を2006年にリリース。

その間も様々なベスト・アルバムの発売は相次いだため「ベスト盤の女王」と自称した。

2010年5月16日、松本隆の作詞家生活40年記念コンサートに出演。

その際に「今の太田裕美があるのは松本隆のおかげ、今の松本隆があるのは太田裕美のおかげ」

と冗談めかして発言した。

2016年8月1日、マネージャーの勇退により所属事務所「ボイスアンドリズム」を離脱。

2019年9月18日、乳がんの治療中であることを公表した。

 

 

著書

 

『まごころ』ペップ出版、1976年。

『まごころパート2 背中あわせのランデブー』ペップ出版、1978年。

「八番街西五十一丁目より」1983年 –

サンケイ出版『第四回ニッポン放送青春文芸賞受賞作品集』収録。

『ニューヨークなんて怖くない』写真: 浅井慎平、

シンコー出版、1983年12月1日。ISBN 4-401620585

『太田裕美白書』PARCO出版、2000年9月1日。ISBN 4-891946059

 

 出展:Wikipedia

ネットの反応

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『太田裕美のプロフィールと最終学歴は?経歴や著書についても!』

と言うタイトルで、太田裕美さんについてお伝えしました。

 

太田裕美さんといえば”木綿のハンカチーフ”

都会に染まる彼と故郷で待つ彼女の儚い恋・・・

太田裕美さん一人二役の歌唱が印象的で、

内容も胸にギュッとくるストーリーでした。

時々聞きたくなる名曲ですよね~♪

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です