松武秀樹のプロフィールと最終学歴は?経歴や活動についても!

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7月14日の「アナザーストーリーズ」に松武秀樹さんが出演!

松武秀樹さんってどんな人なのか気になり調べてみました。

今回は、『松武秀樹のプロフィールと最終学歴は?経歴や活動についても!』

と言うタイトルで、松武秀樹さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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松武秀樹のニュース

異彩を放つNHK『アナザーストーリーズ』、制作者が語る舞台裏 ...

 

アナザーストーリーズ 

YMO 時代を超えた革命児たち

 

70年代、テクノブームを巻き起こし社会現象となったYMO。

ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代、日本発の音楽で世界を席けんした

3人の天才による伝説の革命に迫る!

 

番組内容

今年、高橋幸宏、坂本龍一のふたりが相次いで亡くなったYMO、

イエロー・マジック・オーケストラ。

細野晴臣の呼びかけで3人の天才が最新テクノロジーを使い、

世界に向けて新たな音楽を発信しようと結成された。

ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれた時代、先に世界でヒットし日本に逆輸入、

テクノブームという社会現象を巻き起こした。

3人の出会いが生んだ伝説のバンドの秘密を“4人目のYMO”ほか関係者が解き明かす。

 

出演者

【司会】松嶋菜々子,【語り】濱田岳

 
 

引用:「アナザーストーリーズ 」の番組案内から

 

 

 

 

松武秀樹のプロフィール

 

出展:Twitter

 

名前:松武 秀樹(まつたけ ひでき)

松武 秀樹
YMO Tribute Vol.4 O-Setsu-Y+3 Rehersall (4281918220).jpg

YMOトリビュートバンド「O-Setsu-Y」のリハにて。2010年1月
基本情報
生誕 1951年8月12日(71歳)
出身地 日本の旗 日本神奈川県横浜市
ジャンル テクノポップエレクトロニカJ-Pop
担当楽器 シンセサイザープログラミング、シンセサイザー、作曲、編曲
活動期間 1971〜現在
レーベル 東芝EMIアルファレコード~ブリッジ・レーベル〜Pinewaves
共同作業者 イエロー・マジック・オーケストラロジック・システム
公式サイト https://mttklogic.jp/

出展:Wikipedia

最終学歴:不明

 

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松武秀樹の経歴

 

出展:Twitter

 

 

冨田勲に「弟子入り」

 

1970年に大阪万博を観た後に、大阪市内の楽器店兼レコード店で、ウォルター・カーロスの

『スウィッチト・オン・バッハ(Switched-On Bach)』を聴いたことをきっかけとして、

シンセサイザーの自動演奏に興味を持つ。

1971年6月、冨田勲のマネージメント会社であるインターパックに入社。

音楽関係者であった父親の伝手で、俗に「弟子入り」と言われている。

同年10月にはモーグ・III-Pが冨田のもとに到着し、当時日本には数台しかなかった

モーグシンセサイザーによる音楽制作のスタッフを経験する。

その後1972年にモーグ・III-Cを購入、1974年に音楽制作会社エム・エー・シー

(MAC,Musical Advertising Corps.)を設立して独立する。

 

 

「4人目のYMO」として

 

1977年、矢野顕子のアルバム『いろはにこんぺいとう』制作前後から、

後のイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーとの付き合いが始まる。

1978年に坂本龍一のアルバム『千のナイフ』への参加をきっかけに、

YMOの多くのアルバム・レコーディングや世界ツアーにマニピュレーターとして参加し

YMO第4の男」と呼ばれた。

1979年から1980年にかけてのYMOのワールドツアーでは、

ソニー製のステレオカセットテープレコーダー「カセットデンスケ」をデータストア(記憶装置)

として利用し、シーケンサーのローランド MC-8を介して、

モーグ・III-CとE-MU・カスタムモジュールシンセサイザーを交互に駆使し、

ライブ中に絶え間なく電子音を鳴らしていた。

しかし当時の人手によるアナログな準備作業では装置のトラブルにも悩まされ、

ニューヨークのボトムラインでのライブでは「デイ・トリッパー」の演奏時に電子音が出ず、

ギターのリフを頼りに演奏を始めた。

この様子は、当時YMOの公演を追っていた日本国内のFMラジオでも放送された。

1979年にEP盤で発売した「謎の無限音階」については、「耳の錯覚が起こせる」という制作意図を

レコード会社に対し、分かりやすく説明するため、松武は「エッシャーの絵に曲が付けられる」と

表現したという。

細野晴臣がこの「謎の無限音階」のレコーディングを見ていたことが、

後にYMOのアルバム『BGM』収録の「LOOM/来たるべきもの」を作曲するきっかけとなった。

1980年にテクノポップブームの中、劇場版『電子戦隊デンジマン』で劇中BGMで

シンセサイザー演奏を担当した。

また同年にThe Venturesのアルバム『CHAMELEON』にマニピュレーターとして参加したが、

この作品にはYMOのメンバーも3曲提供しており、その縁での参加と思われる。

 

 

LOGIC SYSTEM結成

 

1981年には自身のユニットであるLOGIC SYSTEMを結成。

アジアでの公演も何度か行っている。

1988年には入江純、松本隆とのユニット「AKIHABARA ELECTRIC CIRCUS」を結成。

1991年には入江純を迎え、LOGIC SYSTEMを新生スタートした。

その他の活動

 

1982年にヒット曲となった金沢明子の「イエロー・サブマリン音頭」(大滝詠一プロデュース)

では、2番のバックで聞こえる音は、レコーディングの際にスタジオにいた人々を呼び集めて騒ぎ、

パーティーサウンドを作った上で多重録音しており、その中のバーテンダー役で松武が

参加している。

1993年には、辻仁成とのユニット「BEAT MUSIK」を結成した。

1995年には、声優の神谷明の呼びかけにより結成された、阪神・淡路大震災の

復興チャリティユニット「WITH YOU」に協力ミュージシャンとして参加。

1997年に発売されたチャリティCDにも参加している。

1996年には木原さとみ、衛藤ヒロユキとのユニット「キハラサトミ with ラジオハート」を結成。

また2000年には、今藤長十郎・小松原まさしとのユニット「Purple Project」を結成した。

 

出展:Wikipedia

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『松武秀樹のプロフィールと出身大学は?経歴や活動についても!』

と言うタイトルで、松武秀樹さんについてお伝えしました。

 

YMOの電子音楽が巷に鳴り響いていた頃、

右手の指から原因不明の出血が・・・

後でインベーダーゲームのやりすぎだと判明!

”帝国の逆襲”も居眠りするほど疲れていた。

過ぎてしまえば美しい1980年~♪

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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