ダチョウ俱楽部のプロフィールとメンバーは?経歴や活動についても!

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2月28 日 の「徹子の部屋」にダチョウ俱楽部が出演!

ダチョウ俱楽部ってどんなグループなのか改めて調べてみました。

今回は、『ダチョウ俱楽部のプロフィールとメンバーは?経歴や活動についても!』

と言うタイトルで、ダチョウ俱楽部についてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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ダチョウ俱楽部のニュース

 

今週の「徹子の部屋」:ダチョウ倶楽部 亡き上島竜兵さんとの ...

 

徹子の部屋 ダチョウ倶楽部

 

〜“紅白”も話題に!亡き上島竜兵さんとの想い出は〜

ダチョウ倶楽部が今日のゲストです。

 

ゲスト

大晦日「紅白」へ純烈と共に出場し話題になったダチョウ倶楽部が登場!

 

番組内容

去年はメンバーの上島竜兵さんが急逝。

失意の底にあった肥後克広さんと寺門ジモンさんに手を差し伸べてくれたのが、

実は純烈だった。

今日は、審査員を務めた黒柳さんと「奇跡が起きた」という紅白の裏話を披露する。

そして、『徹子の部屋』での上島さんの懐かしい映像を振り返りながら、

後輩たちに慕われたその愛すべき人柄を偲ぶ。

 

 

引用:「徹子の部屋」の番組案内から

 

 

 

 

ダチョウ俱楽部のプロフィール

 

ダチョウ倶楽部:上島竜兵さんとの思い出語る 「奇跡が起きた ...

出展:Twitter

 

プロフィール

 

ダチョウ倶楽部
DachouClub20150404.jpg

2015年4月4日、横浜スタジアムにて撮影。左から上島、寺門、肥後。
メンバー 肥後克広
寺門ジモン
死去したメンバー
上島竜兵
元メンバー
南部寅太
別名 ダチョウ
結成年 1985年
事務所 太田プロダクション
活動時期 1985年 –
師匠 杉兵助(肥後)
出身 道頓堀劇場(肥後)
テアトル・エコー養成所(寺門、上島)
出会い 渡辺正行の紹介
旧グループ名 キムチ倶楽部
現在の活動状況 テレビ
芸種 リアクション芸コントものまね
ネタ作成者 肥後克広
現在の代表番組 爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル
過去の代表番組 天才てれびくん
スーパージョッキー
王道バラエティ つかみはOK!
志村けんのバカ殿様
同期 ウッチャンナンチャン
中山秀征
出川哲朗
シルク
今田耕司
130R
リットン調査団
公式サイト 公式プロフィール
ダチョウ倶楽部オフィシャルブログ
受賞歴
1987年 第15回日本放送演芸大賞 ホープ賞

1993年 第31回ゴールデン・アロー賞芸能賞

 

 

メンバー

 

  • 肥後 克広 (ひご かつひろ、1963年3月15日 – )
ツッコミ(昔はボケ)・ネタ作り担当、2代目リーダー。
  • 寺門 ジモン(てらかど じもん、1962年11月25日 – )
説教(ダメ出し)・ボケ担当。
死去したメンバー
  • 上島 竜兵(うえしま りゅうへい、1961年1月20日 – 2022年5月11日)
ボケ(昔はツッコミ)担当。61歳没。
元メンバー
  • 南部 寅太(なんぶ とらた、1951年7月14日 – )
ボケ担当、初代リーダー。
脱退後、南部虎弾と名を改め電撃ネットワークで活動中。

 

 

出展:Wikipedia

 

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ダチョウ俱楽部の経歴

 

徹子の部屋|テレビ朝日

出展:Twitter

 

 

肥後は商業デザイナーから転身してコメディアンの杉兵助に弟子入りし、

渋谷道頓堀劇場にてお笑い芸人として活動しており、

ジモンと上島は劇団テアトル・エコー附属養成所に所属する役者志望だった。

彼らが知り合ったのはテアトル・エコーの先輩・渡辺正行の紹介である。

 

3人はコント赤信号の劇団員として活動後、多人数のコントグループ

キムチ倶楽部」として活動。

「俱楽部」は当時流行っていたおニャン子クラブになぞらえたものである。

 

キムチ倶楽部には20 – 30人のメンバーがおり俳優の近藤芳正なども在籍していた。

当時渡辺正行が立ち上げた第1回のラ・ママ新人コント大会に出場する事になっていたが

すっかり忘れており、直前に連絡のついた現メンバー3人と南部寅太(現:南部虎弾)で

参加する事になった。

それが成功した事でそのメンバーでの活動が増え、改めて4人で「ダチョウ倶楽部

(諸事情により1985年にキムチ俱楽部から改称)を結成した。

初代リーダーは南部だったが、1987年に彼が脱退して電撃ネットワークを結成したため

3人編成となる。

 

南部脱退の理由について、しばらくは4人とも明確に語ろうとしなかったが

徐々に明かすようになり、「南部が深夜上島に電話して『ビー玉飲めるか?』と尋ねたのに対して、

出来ないと上島が拒んだところ、仲たがいになり南部が脱退した」と上島が語り、

南部本人は「事前に根回しせず勝手に毒舌を吐くなど自分の独断行動に3人が付いていけなくなり、

結果としてクビになった」と説明。

いわゆる芸風や方向性の違いによるものだった。

 

南部脱退後、事務所の指示で(戸籍上は)最年少ながら一番背の高い肥後がリーダーとなった。

フロントマン兼リーダーの南部脱退により、当時太田プロに在籍していた芸人の間では

南部なしのダチョウ倶楽部の行く先が危ぶまれたという。

その後ショーパブ、ライブなど経て、お笑い第三世代ブームでブレイクするが、

ネタ番組では1本ネタはさせてもらえず、ショートコントばかりという扱いだった。

しかし、「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(以下、「お笑いウルトラクイズ」と略す)

にて、後述するような独特な芸風(リアクション芸)を生かし、再ブレイクする。

かつてのネタでは、上島がツッコミ役だったが、笑福亭笑瓶の助言により、ボケ役に回った。

 

1993年10月からは初めてゴールデンタイムで『王道バラエティ つかみはOK!』の

メイン司会を担当するが、視聴者から抗議が殺到し

(特に上島のドリカム吉田美和のモノマネは大顰蹙を買った)、

視聴率も苦戦したことから半年で終了。

 

1994年の『24時間テレビ』にて、チャリティーマラソンのランナーを3人で担当。

1995年、『ダチョーン倶楽部』内の上島企画「目指せ! ヒット曲」において、

Club D名義でシングルCDを1枚リリースした。

2006年、CS放送テレ朝チャンネルにてダチョ・リブレが放送開始。

「竜兵会」「ネイチャージモン」の2部構成。

「竜兵上島のオチのない話」などオリジナル企画を放送。

2022年、メンバーの上島竜兵が死去。

61歳没。

上島の没後もダチョウ倶楽部は解散しないことを肥後が追悼文にて明言し、

2人で活動継続することを発表した。

 

出展:Wikipedia

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『ダチョウ俱楽部のプロフィールとメンバーは?経歴や活動についても!』

と言うタイトルで、ダチョウ俱楽部についてお伝えしました。

 

ダチョウ倶楽部の面白さは直ぐに頭に浮かぶほど定着していますね。

志村けんと上島竜兵は向こうでもあの調子でしょうね~♪

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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