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平山敏春のニュース
出典:nareno-hate.com
九州・福岡出身で、かつて日本に家族を残したままフィリピンに渡った平山敏春さん(75)。
2004年、知人のもうけ話を信じてマニラへ向かったものの、到着後に所持金をすべて使われ、
一文無しで取り残されてしまった。
帰国の手段もなく、言葉も通じず、住居も定まらないままの“流転生活”が始まった。
その後、現地の女性テスさんと出会い、内縁関係となり、娘マリコさんが誕生。
屋台を引きながらなんとか家族を支えていたが、2023年にテスさんが急逝。
心の支えを失った平山さんは生活基盤を崩し、極端な困窮状態へ陥っていった。
追い討ちをかけるように、平山さん自身も冠動脈血栓症で倒れ、救急搬送。
医師からは「手術を受ければ助かる可能性がある」と告げられたが、手術費・入院費が支払えず、
家族に抱えられながら退院するしかなかった。
歩くこともままならない平山さんを、テスさんの前夫の娘プリンセスさんと、
実娘マリコさんが日々献身的に介護している。
「なれのはてが、ホントになれのはてになったよ…」
日本に帰ることもできず、異国の地で人生の最終章を迎えつつある平山さん。
その姿が、多くの視聴者の胸を打っている。
平山敏春のプロフィール
出典:デイリー新潮
名前:平山敏春(ひらやま としはる)
生年月日(年齢):1950年代前半生まれ(75歳)
出身地:福岡県
最終学歴:非公表
職業:元トラック運転手・建設現場重機オペレーター
平山敏春の経歴
出典:YouTube
日本での若い日々と仕事の歩み
福岡県で生まれ育った平山敏春さんは、若い頃から建設業に携わり、重機オペレーターやトラック運転手として働いてきた。地域の労働現場は厳しく、炎天下や深夜の業務は日常だったが、体を張って家族を支える強い責任感のもと働き続けていた。家庭を持ち、父としての役目を果たす中で、安定しない収入や過酷な労働により、心身の負担が積み重なる日々でもあった。
家族とのすれ違いと心の迷い
仕事中心の生活は、次第に家庭とのすれ違いを生んでいった。休みの日も疲労で動けず、家族との時間が減っていく中で、平山さんは「このままでいいのか」という漠然とした不安を抱えるようになった。そんな心の隙間から、同僚や知人との付き合いが増え、仕事帰りに飲み屋やフィリピンパブに通う時間が増えていったのも、この頃のことだった。
2004年、運命を狂わせたフィリピン渡航
2004年、運命の分岐点が訪れる。
長年の知人から「フィリピンで儲かる商売がある」という誘いがあり、平山さんは家族を残したまま旅立つ決断をした。日本での収入が伸び悩んでいた焦りもあり、「これが人生を変えるチャンスだ」と思い込んでしまったのだ。
ところが、フィリピンに着くと、知人は平山さんの所持金をカジノで使い込んでしまい、事業計画は完全に破綻。帰国費用どころか生活費すら失い、言葉も通じず、誰も頼れる相手がいないまま、異国で“取り残された”状態となった。
マニラでの過酷な流転生活
所持金ゼロの生活は苛酷だった。宿代も払えず、知り合いの家を転々とする“居候生活”を送り、満足に食事ができない日も多かった。生きるために、ジープニーの呼び込み、屋台の手伝い、清掃、雑用など、日払いで少しでも現金が手に入る仕事を必死で探し続けた。
日本では重機を扱う熟練の技術者だった男が、マニラの路地裏で靴も壊れたまま働き続ける──。その落差は大きく、心が折れそうになる日もあった。
テスさんとの出会いと「第二の家族」
そんな苦境の中で出会ったのが、後に内縁の妻となるテスさんだった。
彼女は困窮していた平山さんを気にかけ、食事を分け、寝床を提供し、生活の支えとなった。ふたりの関係は次第に深まり、娘マリコさんが誕生。平山さんは屋台を引いて生計を立て、極貧ながらも家族の笑顔に救われ、“第二の人生”を歩んでいた。
テスさん急逝、そして生活の崩壊
しかし、幸せは長く続かなかった。2023年、テスさんが急逝。
多くを語らない平山さんにとって、テスさんは精神的支柱であり、生きる理由でもあった。その喪失は深刻で、生活の土台が一気に崩れ、収入も激減。食事にも困るほどの困窮状態が再び訪れた。
自身の病:冠動脈血栓症で倒れる
さらに追い討ちをかけるように、平山さん自身が冠動脈血栓症で倒れ、救急搬送される。医師は「手術をすれば回復の可能性がある」と説明したが、莫大な治療費は支払えなかった。結局、治療を受けられないまま、家族に抱えられながら病院を退院することに。
“お金がないと命を救えない”という残酷な現実が、平山さんの人生をさらに追い詰めていった。
プリンセスさんとマリコさんの献身
現在の平山さんは、起き上がることも難しく、テスさんの前夫の娘プリンセスさんと、実娘マリコさんの2人が介護を続けている。
若い彼女たちが、食事、排泄、風呂、着替え、そして通院まで支える生活は過酷そのものだが、それでも2人は「家族だから」と介護をやめない。貧困の中でも、家族の情だけが平山さんを支えている。
日本への想い、しかし叶わない帰国
平山さんは今でも「日本へ帰りたい」「家族に会いたい」と願っている。しかし、パスポートの再取得費用さえなく、帰国は事実上不可能に近い状況だ。病と極貧が重なる中、異国で人生の幕を閉じようとしている姿は、海外に取り残された“困窮邦人問題”の深刻さを象徴している。
平山敏春のXの反応
「平山さんの姿が胸に刺さる。人生の残酷さに涙した」
「家族を支えたプリンセスさんとマリコさんに頭が下がる」
「困窮邦人問題、もっと知られるべきだと思う」
「日本に帰れないまま老いていく姿が切なすぎる」
平山敏春のまとめ
全財産を失い、異国で生きるしかなくなった平山敏春さん。
現地で第二の家族を築くものの、パートナーの死と自身の病を経て、
人生の最終章をより過酷な形で迎えている。
それでも、プリンセスさんとマリコさんの献身的な介護が、平山さんの人生を支え続けている。
“家族とは何か”という根源的な問いを投げかける平山さんの物語は、
多くの視聴者の心に深く刻まれた。
出典
・映画および番組の取材内容
・関連インタビュー
・フィリピン滞在時の記録情報


