NHK大河ドラマ【麒麟がくる】も、いよいよ歴史上の人物が出揃い、
面白くなってきた矢先に新型コロナウィルスの伏兵が登場!
何と「大河」を堰き止めてしまいました。
結果ドラマは休止、放送再開は数か月後というところでしょうか?
その2部とも言えるドラマの中でとても気になる武将がいます。
明智光秀の従妹にあたる人物で、あの坂本龍馬の先祖という噂があり、
琵琶湖を馬で渡ったという驚きの伝説の持ち主です。
今回は『【麒麟がくる】の明智左馬之助は坂本龍馬の先祖か?琵琶湖の馬渡りは事実?』
と言うタイトルで、左馬之助の謎に迫ってみたいと思います。
どうぞ最後までごゆっくりお読み下さい。
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明智左馬之助とは
引用:NHKホームページ
まあ、とんでもないイケメンですよね~。
間宮左馬之助様。
光秀(十兵衛)と左馬之助は下記の関係になります。
祖父明智光継が共通で、光継の息子、光綱・光安兄弟のそれぞれの息子という事で、
あの帰蝶様とも従妹なのですね~。
因みに大河では光安役は西村まさ彦氏でいい味だしてるオジサンでした。
その息子が明智左馬之助という事ですね。
出典:https://nekorekisi.blogspot.com
出典:https://nekorekisi.blogspot.com
左馬之助はルックスだけではなく、凄いお侍さんだったようで、
その様子は浮世絵にも歌舞伎にも伝えられています。
鉄砲で狐を打ってますね。
明智左馬之助は坂本龍馬の先祖か?
驚いた事に左馬之助は坂本龍馬のご先祖様という説があります。
そんなバカなと思いますが。
その説の根拠を簡単に並べると、
① 坂本龍馬の「坂本」は左馬之助の最期の城、坂本城からきている。
② 坂本龍馬の家紋、桔梗紋は明智家の家紋からきている。
③ 坂本城(高知県)の石碑に「坂本龍馬の祖先は明智光春(左馬之助)」とある。
とてつもない歴史のロマンを感じるところですが、学者は否定しているとか。
しかし、「そうゆう事もあるかも知れない」と空想して楽しむのは自由ですよね~。
本当の事は誰にも分らない訳ですから。
明智左馬之助は本当に琵琶湖を馬で渡ったのか?
出典:https://shirobito.jp/article/619
いや~、絶対渡ってますね(笑)。
秀満(左馬之助)の”湖水渡り伝説”は江戸時代になると、
講談や歌舞伎、浮世絵などのテーマになった様です。
この様に、左馬之助の行動が後々の世まで語り継がれる理由は、
そこに日本人の琴線に触れる何かが在るからなのでしょう。
明智は”裏切り者”と言われますが、悲劇の一族に対する
一種の共感や優しい目が在るのかも知れません。
この”湖水渡り伝説”は本能寺の変後の事。
光秀の天下に備えて安土城を守る左馬之助が、
山崎の戦いでの秀吉による明智の敗北を知り、
急遽本拠地である琵琶湖対岸の坂本城を目指す状況なのですね。
そもそも、馬は泳げるのでしょうか?
youtubeではガッツリ泳いでますね~。
何処から何処までどれくらいの距離を渡ったのでしょうか?
出典:https://tabi-z.com/
天正10年(1582年)6月2日、ここ打出浜から琵琶湖に入った様ですね。
googleで見ると対岸の柳が﨑まで2.7㎞程でしょうか?
言い伝えでは馬に乗ったままとありますが、おそらく浮世絵の様に
馬をいたわりながら並んで泳いだのではないでしょうか?
あくまでも伝説ですが、地名も明確ですし、438年前の出来事が頭の中で再現出来て楽しいですね。
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ネットの反応
【明智秀満】明智光秀の重臣。幼名は左馬之助。娘婿とも従兄弟とも。本能寺の変では先鋒となった。山崎の合戦で光秀敗死の知らせを受け、自身も坂本城に移り自刃。その際、琵琶湖を馬で渡った逸話が残る(左馬之助の湖水渡り)。『#麒麟がくる』#間宮祥太郎 #戦国 pic.twitter.com/7ucoNSEBZG
— 戦国時代の個性的な人物を偏見で紹介(現在は『麒麟がくる』が中心) (@zh2wltGC3jMNOdf) May 17, 2020
山崎の戦いの後、明智秀満(左馬之助)が琵琶湖を渡って坂本城へ戻った・・・という話は歌舞伎などでよく知られてますね。
その現場、実際に訪れてみました♪#麒麟がくる #明智光秀https://t.co/MXcm1X7hQj
— たびすた@ZIG (@tabisuta_z) May 20, 2020
明智左馬之助といふ男は実にえらい人物で、本能寺の変の時、光秀も最初は遅疑逡巡する所があつて、腹心の者を集めて評議をした。すると左馬之介は「評議も何もない。明日すぐにやるがよい」と言つた。この一言で光秀も直ちに決心したのだが、時の英雄信長が光秀にやられたのも、たゞこの決断の力だ。
— 勝海舟bot (@KatsuKaishuBot) May 18, 2020
「明智左馬之助」
占拠していた安土城で主君・光秀の死を知った左馬之助(明智秀満)は、坂本城へ戻る際、道を封鎖されていた為、馬で琵琶湖に乗り入れた。愛馬の名は大鹿毛(おおかげ)。途中で湖畔の一本松で小休止、再び馬に乗り坂本城に戻ると、城に火を放ち自害したとされています pic.twitter.com/lwJ9w5qpyX— はーいもしもし (@7IDRM9wSPlDmFWc) May 1, 2020
明智左馬之助は今回えらく地味だったけど、ただイメージは本当にぴったり。
あの左馬之助なら、琵琶湖を馬で渡るのがすがすがしい。#麒麟がくる— Osamu Konno (@OsamuKonno) April 6, 2020
明智左馬之助 湖水渡りの鞍#明智左馬之助 pic.twitter.com/oK9k475k5H
— H@n@戦国女士 (@sengokujoshi) March 24, 2020
写真が消えたので寄り道😅
明智左馬之助 湖水渡りの碑 pic.twitter.com/rTOqdrWmfY— たえきち (@qqwX085yzgmU2tU) March 18, 2020
2月4週の営業日のお知らせです。今週は20(木)が臨時休業、他は日月祝休みの通常営業の予定です。
写真は #小林清親 「明智左馬之助光春」。#明智秀満 が #琵琶湖 を馬で渡る有名なシーン。浮世絵として様々な絵師が描いていますがこの一枚は構図も色合いも美しい。詳細はホームページで。#明智光秀 pic.twitter.com/tkOpJlVItq— 浮世絵・春画の五拾画廊 (@50gallery) February 17, 2020
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は『【麒麟がくる】の明智左馬之助は坂本龍馬の先祖か?琵琶湖の馬渡りは事実?』
と言うタイトルで、左馬之助の謎に迫ってみました。
左馬之助は琵琶湖を馬で渡った後、秀吉軍に包囲された坂本城で、
諸事に片を付け一族と共に果てたとか。
己の運命が見えたとしても、死ぬまで生き抜く!
正に英雄という言葉に相応しい武将ですね。
大河の放送再開で左馬之助に会うのが楽しみですね~。
今回も最後までお読みいただき有難うございました。