桃井かおりのプロフィールと最終学歴は?経歴や著書についても!

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1月7日の「マツコ会議」に桃井かおりさんが出席!

桃井かおりさんってどんな人なのか改めて調べてみました。

今回は、『桃井かおりのプロフィールと最終学歴は?経歴や著書についても!』

と言うタイトルで、桃井かおりさんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

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桃井かおりのニュース

 

NTVマツコ会議 (@ntv_matsukomt) / Twitter

マツコ会議超豪華!桃井かおりLA自宅から中継…71歳大女優の今。

 

大女優・桃井かおりアメリカLA自宅から…マツコと新春中継!

マツコと桃井かおりの意外な出会い…桃井が54歳で渡米した理由…

71歳の今、何を想う?深い人生放談!

 

出演者

マツコ・デラックス

【中継⇔アメリカLA】桃井かおり自宅

 

 

番組内容

「マツコ会議」…毎週ちょっと気になる話題の人や場所と会議室とを中継でつなぎ、

総合演出のマツコが現場と会話をしながら進行!

途中、分からないことがあったら、スタッフと一緒になってマツコも検索し深掘りしていく!

皆様も「マツコ会議」に一緒に参加しながらご覧下さい!

 

引用:「マツコ会議」の番組案内から

 

桃井かおりのプロフィール

 

出展:Twitter

 

ももい かおり
桃井 かおり
桃井 かおり

桃井かおり(左)
本名 宇都宮かおり
別名義 モモイ・カオリ(監督名義)
桃井かほり
生年月日 1951年4月8日(71歳)
出生地 日本の旗 日本東京都世田谷区[1]
身長 162 cm
血液型 O型
職業 女優映画監督
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1971年 – 現在
活動内容 1971年:デビュー
1972年文学座退団
2005年:ハリウッド映画初出演
2006年:長編映画監督デビュー
2008年紫綬褒章受章
配偶者 あり(2015年 – )
著名な家族 父:桃井真
兄:桃井章
公式サイト 桃井かおりオフィシャルサイト
主な作品
映画
幸福の黄色いハンカチ[1]
男はつらいよ 翔んでる寅次郎
もう頬づえはつかない
ええじゃないか
影武者
疑惑
木村家の人びと
SAYURI
武士の一分
スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ


テレビドラマ
前略おふくろ様
ちょっとマイウェイ
コラ!なんばしよっと』シリーズ
ビューティ7
伝説のマダム

受賞

ベルリン国際映画祭
最優秀アジア映画賞
2007年無花果の顔
日本アカデミー賞
主演女優賞
1979年『もう頬づえはつかない』『神様のくれた赤ん坊』『男はつらいよ 翔んでる寅次郎』
助演女優賞
1977年『幸福の黄色いハンカチ』
ブルーリボン賞
主演女優賞
1979年『もう頬づえはつかない』『神様のくれた赤ん坊』『男はつらいよ 翔んでる寅次郎』
1988年『木村家の人びと』『噛む女』『TOMORROW 明日』
1997年『東京夜曲』
助演女優賞
1977年『幸福の黄色いハンカチ』
その他の賞
毎日映画コンクール
女優演技賞/女優主演賞
1979年『もう頬づえはつかない』
1997年『東京夜曲』


受賞を参照

備考
紫綬褒章(2008年、芸術文化部門)
旭日小綬章(2022年)

出展:Wikipedia

 

最終学歴:女子美術大学付属高等学校・中学校

 

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桃井かおりの経歴

 

画像

出展:Twitter

 

経歴

 

1951年に東京都世田谷区の裕福な家庭に生まれる。

父は国際政治学者の桃井真、母の悦子(1923〜2022)はアトリエを構える芸術家、

4人兄弟で上の兄は脚本家の桃井章。

2番目の兄は科学者。

弟は銀行員。

女優で人形作家の結城美栄子は母方の従姉。

親類は岩城滉一の妻・結城アンナ。

本籍地は父の出身地である長野県佐久市にある。

 

3歳からクラシックバレエを始め、

中学生の時にイギリスのロイヤル・バレエ・アカデミーに単身留学。

しかし、現実の厳しさを知り、挫折。

桃井はこの時のことを振り返り「同じ年くらいの白人の子達と並ぶと、

自分が“みにくいアヒルの子”という感じ。自分を醜いと思わざるを得なかった」と語っている。

 

帰国後、女子美術大学付属高等学校・中学校へ入学。

同校在学中は東京バレエ団に所属。

大学受験に失敗し、同校卒業後、女子美に文学座にコネのある人がおり、

バレエの契約が切れると同時にバレエを辞め、両親に内緒で演劇を目指し文学座付属演劇研究所

(養成所)第11期生に研究生として入る。

 

モノマネの特徴として誇張される桃井の”倦怠感”や”アンニュイ”イメージは、

桃井によれば、文学座時代に周りの劇団員が演劇論を戦わせるのに付いて行けず、

「手口としてそれが身に付いたというか、文学座のやり方ではそれしか生きる道がなかった」

と話している。

 

1971年に映画『愛ふたたび』(市川崑監督)にて浅丘ルリ子の妹役でデビュー。

映画出演のきっかけは、文献により「文学座養成所の授業をさぼってパチンコをやっていたとき、

スカウトされた」と書かれてものがある。

同年、ATG映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』(清水邦夫・田原総一朗監督)にて

ヒロインを演じ、本格的に映画デビュー。

桃井は「『あらかじめ失われた恋人たちよ』は、ATGで一番お客が入らなかった映画なのよ。

私、ATGで一番入らなかった映画と入った映画(『もう頬づえはつかない』?)やってるのよ(笑)」

と述べている。

 

『あらかじめ失われた恋人たちよ』で共演した石橋蓮司と緑魔子に徹底的にしごかれ、

痛く傷付き逃避行。

とにかく遠くへ行きたいと羽田から広島に行き、タクシーの運転手から「島でも渡ってみるかね?」

と言われたため、江田島に渡り、地元の飲食店で住み込みで働く。

この映画出演が両親に知られ、父に勘当を言い渡されたために家出。

 

その後、4ヵ月後、「かおり許す、父」という新聞に載った父の伝言を目にして

家に戻ることはできたが、元の生活には戻れないと思い、再び女優として活動を開始。

杉村春子の代表的演目『ふるあめりかに袖はぬらさじ』で、台詞一言の役が不満で、

本公演を降板。

本公演を降板すると辞めるしかないため、文学座を退団した。

1973年公開の『赤い鳥逃げた?』に出演し、この映画で助監督を務めていた長谷川和彦に

「文学座を辞めろ」言われた。

一方で当の桃井は「文学座をやめるか、この映画撮るかって、相談したのが、

恋愛時代をすごしてた頃の、優作だから」と語っている。

 

1973年、後に本人が「最も頼りにした」と明かした脚本家・早坂暁の指名で、

はじめてNHKドラマ「たった一人の反乱」に出演する。

同番組では「私という、桃井かおりという役者の80%は早坂さんの作品でできている。

暁さんは私の役者道にいつもいてくれて、助けてくれる神様だった。

暁さんが死んだら役者を辞めようと思っていた。」と話している。

しかし、番組中で生前の早坂が「かおりにやらせたい」と残していた小説「私が殺したゴッホ」

を呈示され、「いい感じに宿題残してくれる、生き延びられるようにしてくれる。まさに暁さんだ」

と結んでいる。

 

22歳の時、撮影現場で腹部に違和感を覚え、歩くのも困難になり、帰り道の山道で倒れる。

幸い通りかかったトラックの運転手に発見され一命は取り留めたが、

その後の検査で腎臓結核であることが分かり、片方の腎臓を摘出。

その後、順調に回復し、萩原健一の強い要望でドラマ『傷だらけの天使』

(第14話「母のない子に浜千鳥を」)へのゲスト出演で復帰を果たした。

 

1975年、倉本聰脚本による日本テレビ系列『前略おふくろ様』の海役で、人気に火が付く。

1977年公開の山田洋次の『幸福の黄色いハンカチ』では、それまでの気怠く性に奔放な女性

といった役柄が多かった桃井の、別な一面を引き出し、第1回日本アカデミー賞助演女優賞、

ブルーリボン賞などを受賞した。

 

1979年公開の『もう頰づえはつかない』で映画初主演。

1981年、突然、単身ニューヨークへ渡る。

先述の本人談によると、帰国後は役者を辞めて八ヶ岳で生活していたが、早坂暁から電話があり

「白いごはんのような俳優になりなさい」と『花へんろ』の主役を打診されたことで

本格的に復帰する。

この『花へんろ』で、その後12年にわたって主役・静子を演じるという、

役者にとってかけがえのない時間を過ごすことになる。

1991年にはオムニバス映画『ご挨拶』の第3話

「NOW IT’S THE BEST MOMEN0T IN OUR LIFE!!」で映画監督デビュー

(モモイ・カオリ名義)。

 

2004年に父が他界。

父の死を乗り越えるために、もっと辛い状況に身を置くことを決意し、

ハリウッド映画のオーディションを次々に受ける。

2005年に『SAYURI』でハリウッド映画初出演。

翌2006年にアメリカ合衆国映画俳優組合に加入。

2006年に『無花果の顔』で長編映画監督デビュー。

 

日本政府より紫綬褒章の受章を伝達され、2008年4月28日、各社報道によって公表された。

その受章にあたり、生年がそれまで公表されていた1952年ではなく、1951年であることが判明。

近年は女優業に留まらず、ジュエリーデザインや雑誌創刊など活動の幅を広げている。

2009年に女子美術大学・女子美術大学短期大学部客員教授に就任。

 

2015年1月21日に、なかにし礼の作詩家・作家生活50周年を記念した企画アルバムで、

日本コロムビアよりリリースされた「なかにし礼と12人の女優たち」で、アン・ルイスの

「グッド・バイ・マイ・ラブ」、2016年9月28日リリースの第2弾の

「なかにし礼と13人の女優たち」で細川たかし の「心のこり」を歌った。

私生活では長らく独身だったが、事実婚状態だった年上の音楽プロデューサーと2015年1月に

婚姻届を提出し結婚した。

同年10月16日京都国際映画祭で行った監督・主演映画「Hee And She」の

トークイベントで公表した。

2022年春の叙勲で旭日小綬章を受章。

 

 

著書

『しあわせづくり』(1977年、大和書房、のち1981年、角川文庫)

『うつむきかげん』(1980年、大和書房、のち1982年、角川文庫)

『ひとり身ポッチ』(1983年、大和書房、のち1985年、角川文庫)

『卵を抱えて』(1986年、中央公論社)のち集英社be文庫

『まどわく』(1993年、読売新聞社)のち集英社be文庫

『賢いオッパイ』(1999年、集英社、2003年、集英社be文庫)

『夢チャンネル』(2004年、新潮社)

 

出展:Wikipedia

 


 

ネットの反応

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『桃井かおりのプロフィールと最終学歴は?経歴や著書についても!』

と言うタイトルで、桃井かおりさんについてお伝えしました。

 

マツコさんと桃井かおりさんは何となく気が合いそうですよね~♪

お互いにざっくばらんで、想っている事をズバッと言える様な・・

落ち着いた大人のお二人ですが、桃井さんは71歳で、

マツコさんは50歳と親子程の歳の差があるんですよね~。

今夜は、東京とLAでリモート会議という事も有り、

どの様なお話が飛び出すのかとても楽しみです。

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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