奥野史子のプロフィールと出身大学は?経歴やメダル歴についても!

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10月21日の「京コトはじめ」に奥野史子さんが出演!

奥野史子さんってどんな人なのか気になり調べてみました。

今回は、『奥野史子のプロフィールと出身大学は?経歴やメダル歴についても!』

というタイトルで、奥野史子さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

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奥野史子のニュース

 

京コトはじめ - NHK

 

京コトはじめ「古都を彩る歴史絵巻 時代祭」

 

10月22日、3年ぶりに行われる時代祭行列巡行。

平安時代から明治維新までの装束に身をつつんだ行列が都大路を進む。

時代祭の魅力を、前日準備の様子も交えてひもとく。

 

番組内容

10月22日、3年ぶりに行われる時代祭。

平安時代から明治維新まで、各時代の装束にふんした2000人もの行列が

都大路を進んでいく。

綿密な時代考証により、伝統工芸に携わる職人たちが手掛けた装束や調度は

京都ならではの本物だ。

時代祭の始まりは明治時代。

東京遷都のあと、京都に活気を取り戻そうと時代行列が行われた。

その後、京都市民が担い手となり、今日まで続いてきた。

京都三大祭のひとつ・時代祭の魅力をひもとく。

 

 

出演者

【司会】森田洋平,【ゲスト】スポーツコメンテーター…奥野史子,

京都橘大学名誉教授…猪熊兼勝,平安講社第八社理事…太田興

 

引用:「京コトはじめ」の番組案内から

奥野史子のプロフィール

 

奥野史子 | SHISEIDO presents 才色健美 ~強く、そして美しく ...

出展 : www.bs-asahi.co.jp

 

 

名前:奥野 史子(おくの ふみこ)

結婚後の名前:朝原 史子(あさはら ふみこ)

生年:1972年4月14日(50歳)

出身:京都府京都市

出身大学:同志社大学卒業、同志社大学大学院修了

職業:タレント・スポーツコメンテーター

備考:元女子アーティスティックスイミング選手。

夫は陸上競技・短距離走及び走幅跳の元選手で、

北京オリンピック男子4x100mリレーの銀メダリストの朝原宣治。

3児(長男・長女・次女)の母親。

 

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奥野史子の経歴

 

出展 : twitter

 

 

経歴

 

京都府京都市出身で、現在も同市内に在住。

京都市中京区にある呉服店に、三姉妹の末っ子として生まれた。

4歳のときに、京都市の水泳教室、「京都踏水会」で水泳を始め、

さらに6歳(小学校1年生)からシンクロナイズドスイミング(当時)を始めた。

京都市立龍池小学校、京都市立城巽中学校を卒業。

中学生時代に、井村雅代が代表を務める「井村シンクロクラブ」でシンクロの指導を受けた。

1988年に四天王寺高校に推薦入学。

高校卒業後の1991年に同志社大学へ入学。

大学卒業後は、1995年に同志社大学大学院へ入学し、同大学院を修了した。

 

現役引退後は、タレント・スポーツコメンテーターを主に各種メディアに出演中。

また、日本人初のシルク・ドゥ・ソレイユパフォーマーとしてアメリカで活躍。

2002年に朝原と結婚、その直後に妊娠したことを機に帰国、日本でのタレント活動を再開。

 

その後は、朝原が副理事長を務める一般社団法人アスリートネットワークの理事としても活動。

京都市教育委員や文部科学省中央教育審議会委員などの公職を経て、

2015年4月1日付でシンクロナイズドスイミング日本代表時代のコーチだった

田中ウルヴェ京(1988年ソウル五輪シンクロ・デュエット銅メダリスト)と共に、

びわこ成蹊スポーツ大学の客員教授に就任した。

 

 

メダル歴

 

高校在学中は、シンクロナイズドスイミングが初めて正式種目となった国体に出場して優勝した。

さらに、日本代表としても活躍。

1989年、FINAシンクロワールドカップパリ大会では、日本チームの一員として銅メダルを獲得。

同志社大学商学部への進学後の1991年、世界選手権パース大会でチーム銅メダル、

W杯ボン大会でソロ銅メダル・デュエット銀メダル。

 

同志社大2年生だった、1992年に出場の1992年バルセロナオリンピックではソロで3位入賞、

高山亜樹と組んだデュエットでも3位入賞を果たし、合計2個の五輪銅メダリストと成る。

此れにより、日本代表として1984年ロサンゼルス五輪と、1988年ソウル五輪に引き続き、

シンクロ種目では3大会連続でソロ・デュエット共に3位入賞を果たした。

 

1993年、シンクロワールドカップローザンヌ大会ではチームで銅メダルを獲得。

しかしロシアの台頭で、ソロとデュエットでメダルを逃してしまい、

失意のどん底に落ちるが一念発起する。

 

1994年世界選手権ローマ大会のソロ種目で、それまでのシンクロの常識を覆す女の情念や

怒りを表現した「笑わないシンクロ」、「夜叉の舞」をフリールーティンにて披露する。

世界選手権ではソロ種目で史上初の芸術点オール満点を記録し、

日本人としても当時最高順位の2位となる銀メダルを獲得。

 

この快挙達成に奥野は思わず嬉し涙を流し、

現在でも日本シンクロ界で語り継がれる伝説の演技となった。

デュエットでも銀メダル、チームでも銅メダルを獲得。

さらに同年の広島アジア大会ではソロ・デュエットで共に金メダルを獲得した。

しかし1995年1月、腰痛の悪化などを理由に現役引退を表明。

 

出展:Wikipedia

ネットの反応

 


 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『奥野史子のプロフィールと出身大学は?経歴やメダル歴についても!』

というタイトルで、奥野史子さんについてお伝えしました。

 

奥野史子さんはアーティスティックスイミングで活躍されましたが、

現在はタレント・スポーツコメンテーターとして、

よくメディアに出演されている様ですね~♪

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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