田中利幸(総合馬術)のプロフィールは?学歴や経歴についても!

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7月29日 の「パリ五輪」で田中利幸さんが快挙!

田中利幸さんってどんな人なのか気になり調べてみました。

今回は、田中利幸(総合馬術)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、田中利幸さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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田中利幸(総合馬術)のニュース

 

 出展:https://hochi.news/

 

【パリ五輪】障害馬術、補欠から出場の田中利幸

「景色見る余裕なかった」ベルサイユ宮殿でメダル争い

 

最終種目の障害馬術が29日に行われ、補欠から繰り上がって出場した田中利幸

(乗馬クラブクレイン)が4秒オーバーして1・6点の減点はあったが、

障害物を全て飛び越えて右手でガッツポーズ。

大観衆にたたえられ、

「(日本勢)1番手で絶対に(減点なしの)0で帰ってこないといけない。

プレッシャーはありましたけど、楽しんでコースを回って帰ってこられました」

と安どの表情を見せた。

 日本チームにアクシデントがあった。

27日の馬場馬術、28日のクロスカントリーを終えた時点で、

団体でのメダル獲得圏の暫定3位につけた。

だが、2種目を終えた28日夜に北島隆三(乗馬クラブクレイン)の馬のコンディションが

良くなく、今朝の馬体チェックを通過できず、補欠の田中との入れ替えを決断。

競技開始2時間半前の午前8時半に田中は繰り上がりの出場を伝えられた。

日本チームには20点減点のペナルティーが科された。

田中は「鳥肌が立って止まらなかった」と初めての補欠からの出場に動揺したが、

北島からも「楽しんできて」と背中を押され、役目を果たした。

 12年ロンドン、21年東京五輪に続いての出場。

無観客開催だった前回に比べ、伝統的な庭園のベルサイユ宮殿いっぱいの観衆が入り、

揺れんばかりの歓声が上がる。

「景色を見る余裕がなかったです(笑い)でもすごいなと。東京の時とは全然違いましたね」

とムードにも刺激された。

 馬術競技の五輪で表彰台に入れば、1932年ロサンゼルス大会以来、

92年ぶりの快挙となる。

日本勢2番目の登場となる戸本一真(日本中央競馬会)、

5大会連続出場の48歳・大岩義明(nittoh)の記録にかかる。

田中は「あとはもう、応援します!」と、緊張がほどけて笑顔を見せていた。

 
 
 

スポーツ報知

 

 

 

 

田中利幸(総合馬術)のプロフィール

 

出展:X

 

名前:田中 利幸(たなか としゆき)

田中 利幸
個人情報
国籍 日本の旗 日本
生誕 1985年2月2日(39歳)
福岡県福岡市
スポーツ
日本の旗 日本
競技 馬術
種目 総合馬術
獲得メダル
馬術
日本の旗 日本
オリンピック
2024 パリ 総合馬術団体

出展:Wikipedia

最終学歴:第一経済大学 卒業

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田中利幸(総合馬術)の経歴

 

出展:X

 

中学3年から馬術を始めた。

福岡第一高等学校、第一経済大学出身。

社会人になってから障害から総合馬術に転じた。

2011年10月の山口国体の総合馬術で優勝した。

また同年の全日本総合馬術大会で2位となっている。

2012年のロンドンオリンピックの総合馬術団体の日本代表に選出。

ロンドンオリンピックでは個人48位、団体12位だった。

2014年アジア競技大会では団体銀メダル。

2016年リオデジャネイロオリンピックでは選考会で落選。

2018年世界選手権では個人15位、団体4位だった。

2020年東京オリンピックの馬術競技では個人34位、団体11位だった。

2024年7月29日、パリ五輪の総合馬術団体に大岩義明、戸本一真、北島隆三とチームを組み、

115.80点とし、銅メダルを獲得した。

第2種目のクロスカントリーを終えて団体3位だった日本は、北島の馬が馬体検査をクリアできずに

リザーブの田中に代わったことで20点を減点され、この時点で5位に後退したが、

最終種目では3人とも障害物を落とすことなく減点を抑えてのメダル獲得となった。

馬術でのメダルは1932年ロサンゼルス五輪の障害飛越個人を制した西竹一以来、

92年ぶり2個目で団体は初である。

 

出展:Wikipedia

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、田中利幸(総合馬術)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、田中利幸さんについてお伝えしました。

 

 

救世主の田中は福岡市出身の39歳。

何よりも動物が好きな子どもだった。

中学時代のある日、自宅でふと目にした乗馬クラブの乗馬体験チラシ。

これがきっかけだった。

それまではバレーボール部。

「馬とかは全く、観光地で引き馬に乗るくらい」だったが胸は躍った。

 

引用:西スポWEB OTTO!

 

乗馬体験チラシが「92年ぶりメダル獲得」の奇跡に繋がったのですね~♪

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

 

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