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中村哲のニュース
出典:X.com
今夜放送の「新プロジェクトX〜挑戦者たち〜」では、
アフガニスタンで医療・灌漑支援に尽力した医師・中村哲さん(故人)の挑戦が取り上げられます。
長年にわたり紛争地で医療活動を行い、後には大規模な用水路建設を成功させ、
荒れ地を緑豊かな農地へと変えた功績が紹介されます。
命を守り、生活を支えるために人生を捧げた中村さんの軌跡が、番組で改めて掘り下げられます。
中村哲のプロフィール

出典:X.com
名前:中村哲(なかむら てつ)
生年月日(年齢):1946年9月15日(享年73)
出身地:福岡県福岡市
最終学歴:九州大学医学部卒業
職業:医師(内科・感染症)、NGO「ペシャワール会」現地代表
中村哲の経歴
出典:社会連帯機構
幼少期〜学生時代:価値観を形づくった家庭環境と学び
中村哲さんは1946年、福岡県福岡市に生まれました。父は教師であり、幼い頃から「弱い立場の人に寄り添いなさい」という教育を徹底されて育ちました。家庭内では厳しさの中にも深い愛情があり、人を思いやる姿勢を自然と身につけていきました。
学校では読書好きで、生物や医学に強い興味を示し、特に「人はなぜ病気になるのか」という問いに魅せられていました。また、自然の中で昆虫や植物を観察することが日課となり、のちに現地医療に必要となる“環境を見る力”がこの時期に芽生えていたと言えます。
高校進学後、医師を目指す気持ちが固まり、九州大学医学部を志望。厳しい受験勉強にも真剣に向き合い、大学合格後は医学のみならず宗教・哲学にも関心を持ち、多くの書物を読みながら「人が生きるとは何か」「助けるとは何か」といった根源的なテーマに触れていきました。
医師としての第一歩:長崎のハンセン病療養所で得た学び
卒業後、中村さんが選んだのは一般的な総合病院ではなく、長崎のハンセン病療養所でした。ここは社会から偏見を受け続けた患者たちが暮らす場所であり、医師としての技量だけでなく、人としての姿勢が厳しく問われる環境でした。
患者一人ひとりの人生に寄り添ううちに、中村さんは「病気だけを診る医師では不十分だ」と強く感じるようになります。病気の背景には貧困、差別、孤独、生活環境の問題があり、医療はそれらすべてと向き合わなければならないという考えを深く刻みました。
この経験が、中村さんの長い海外医療支援の “原点” となります。
アフガニスタン・パキスタンでの難民医療:命を最前線で支える日々
1984年、アフガニスタン紛争によって多くの難民がパキスタンへ流入していた時期、中村さんはNGO「ペシャワール会」の現地代表としてペシャワールに赴任しました。そこでは病院も医薬品も不足し、命の危険にさらされる人々が次々と訪れます。
診察は連日100人を超え、栄養失調、マラリア、コレラ、結核などの感染症と戦う日々でした。
治安は不安定で爆発音が聞こえることも日常茶飯事。
それでも中村さんは「患者が待っている限り、ここを離れるわけにはいかない」と現場に立ち続けました。
彼の行動力と覚悟は現地住民から深く信頼され、医療班の中心的存在となっていきます。
気づき:医療だけでは人は救えない ― “水” への転換
診療を続ける中で中村さんが痛感したのは、
「病の9割は水が原因」 という厳しい現実でした。
汚れた水を飲むことで感染症が蔓延し、乳幼児の死亡率が高く、医師がどれだけ治療しても追いつかない状況。井戸は枯れ、干ばつによって農地が荒れ、人々は食べるものもなく衰弱していく──。
この現状に対し、中村さんは医療者として異例の決断を下します。
「病気になる前に、病気を生まない環境をつくる」
そのためには “水” を取り戻すしかない。
これが中村さんを “灌漑技術者” へと導く転換点でした。
灌漑・井戸掘削プロジェクト:医師が挑んだ前例のない試み
医師である中村さんが、独学で土木工学・水理学を学び始めます。現地の技術者に教わりながら、井戸掘り、揚水ポンプの設置、地形調査を重ねていきました。
泥だらけになりながらスコップを持ち、時には重機のトラブルを自ら修理し、現地の作業員とともに汗を流しながらプロジェクトを進めました。
初期の井戸掘りはうまくいかず、機材不足や治安悪化などの壁に阻まれることも多々ありましたが、中村さんは諦めませんでした。
「一滴の水が、人の命と未来をつくる」
その信念だけが支えでした。
カマ用水路建設:砂漠を緑に変えた奇跡
2003年頃から本格化した「カマ・プロジェクト」では、全長25km以上にも及ぶ用水路を建設。
現地の住民と協力しながら、重機を使わず伝統的な水利技術も取り入れ、地域の地形に最適な水路を築いていきました。
この事業によって
6,000ヘクタール以上の農地が蘇り、数万人以上の生活を支える基盤が整った
と言われています。
かつて砂漠のようだった土地が、
麦畑、野菜畑、果樹園などの豊かな地帯へと変貌を遂げました。
現地の人々からは「命の父」「水を運んでくれた医師」と呼ばれ、彼の存在は地域の希望となりました。
晩年の活動と志 ― 危険を承知で現場に立ち続けた理由
2019年、中村さんは活動中に襲撃を受け帰らぬ人となりました。
しかし亡くなる直前まで、現地での活動計画や今後の用水路拡張など、将来の支援に向けて動き続けていました。
命を守る医療
人を育てる農地
生活を支える水
平和の基盤となる地域社会
こうした“人間の生活全体を支える医療観”が彼の生涯に一貫して存在していました。
中村さんの思想と行動は、現在もペシャワール会のメンバーによって受け継がれ、後世へ確実につながっています。
今回の放送の意義
今回の「新プロジェクトX」では、中村哲さんが歩んだ挑戦、現地にもたらした変化、そして彼と共に働いた仲間たちの思いが紹介されます。「人を救うとはどういうことか」という問いに向き合う上で、極めて重要な内容となっています。
中村哲のXの反応
note.com/miyataosamu/n/ 宮田氏のまとめにはいつも勉強させられます。
中村哲のまとめ
中村哲さんは、医療から灌漑、農業支援に至るまで多方面で人々を救った人物です。
「医療とは生きる環境を整えること」という信念のもと、紛争地で長く活動し、
多くの命と生活を守りました。
今夜の特集は、その生涯と功績を再評価し、未来へとつなぐ重要な時間となります。
出典
・ペシャワール会公式情報
・NHK「新プロジェクトX」番組情報
・過去の報道資料
・Wikipedia(中村哲)


