モーリー・ロバートソンのプロフィールは?学歴や経歴についても!

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7月22日の「人生最高レストラン」にモーリー・ロバートソンさんが出演!

モーリー・ロバートソンさんってどんな人なのか気になり調べてみました。

今回は、『モーリー・ロバートソンのプロフィールは?学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、モーリー・ロバートソンさんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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モーリー・ロバートソンのニュース

 

人生最高レストラン|TBSテレビ

 

人生最高レストラン

【モーリー・ロバートソン】最強頭脳の天才★波瀾万丈人生㊙話

 

▼不良扱いされて…名門高校を自主退学?

▼ハーバード大卒なのに…仕事は警備員のバイト?

▼愛妻が明かす…ダメダメっぷり㊙話

▼懐かしい昭和の味!ハイカラなカレーライス

 

出演者

★MC:加藤浩次

★アシスタントMC:宇賀神メグ(TBSアナウンサー)

★女将:島崎和歌子

★常連客:YOU

★ゲスト:モーリー・ロバートソン

 

番組内容

▼東大&ハーバード大学に合格!

最強頭脳を持つ天才の波瀾万丈人生㊙話

▼不良扱いされて…名門高校を自主退学?

▼パンクバンドの宣伝のために…ノリで東大受験して見事合格?

▼東大を3カ月で退学して…ハーバード大学を卒業したのに…仕事は警備員のバイト?

▼女優の妻が明かす!ダメダメっぷり㊙話

▼懐かしい昭和の味!ハイカラなカレーライス

▼暗黒のハーバード時代を支えた!カフェめし

▼最愛の妻との思い出!濃厚カルボナーラ

 

番組内容2

▼俳優、女優、アーティスト、アスリート、お笑い芸人…

多彩なゲストの「食」と「人生」を聞き上手の加藤浩次がネホリハホリ!

「食」の話題から、ゲストの「人生」を深掘りして素顔&魅力に迫る!

 

みどころ

タレントから、ミュージシャン、国際ジャーナリストまで幅広く活躍するモーリーさんが

超高学歴の天才なのに…挫折の連続だった波瀾万丈人生㊙話を激白!

やみつきになりそうな…濃厚カルボナーラも必見!お楽しみに!

 

引用:「人生最高レストラン」の番組案内から

 

 

 

 

モーリー・ロバートソンのプロフィール

 

Image

出展:Twitter

 

モーリー・ロバートソン

2019年
基本情報
出生名 Morley Edmund Robertson
生誕 1963年1月12日(60歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
学歴 東京大学(中退)
ハーバード大学
ジャンル ダブステップ
ドラムンベース
電子音楽
パンク・ロック
職業 DJミュージシャンラジオパーソナリティジャーナリスト作家通訳
活動期間 1981年 –
公式サイト http://officemorley.com
著名使用楽器
Serge synthesizer

出展:Wikipedia

 

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モーリー・ロバートソンの経歴

 

Image

出展:Twitter

 

アメリカ合衆国ニューヨーク生まれ。

実家はメリーランド州モンゴメリー郡ポトマクにある。

スコットランド系アメリカ人で心臓専門医の父Thomas Lee Robertson, Jr.、

毎日新聞社記者である日本人の母ロバートソン黎子の間で出生。弟がいる。

1963年:生後2か月から、幼稚園に通う頃まではサンフランシスコに在住。

1968年:父の転勤で広島県広島市段原(現:南区)に移住。

父は比治山上の原爆傷害調査委員会(ABCC、現:放射線影響研究所)に勤務し

原爆患者の調査にあたった。

広島カープ初優勝に貢献したゲイル・ホプキンスが、引退後に医学生になるため、

父が書いた推薦状を取りに家に来たことがあるという。

広島市の幼稚園を経て、小学校5年生まで広島市のインターナショナルスクールで過ごす。

勉強は百科事典くらいある分厚い教科書を自分のペースで進めるなど競争のない

ゆったりとした雰囲気の環境だった。

家に帰ると近所の日本人の友達とよく遊び、自然と広島弁をマスターした。

最初はスクールにはモーリーと同じ日米ハーフが多く、広島弁を話せる生徒が多かったが、

両親ともアメリカ人で、アメリカのライフスタイルのまま暮らす生徒が増え始めると

状況が変わった。

彼らは日本にシンパシーがなく、広島弁を話さず、日本のテレビも一切見ない、

日本人に対して人種差別的な発言をすることもある”白人至上主義”で、学校側からの一方的な

「日本語禁止措置」が発令され、自身の尊厳を守るために、日本の公立小学校に通うことに決める。

 

1973年:完全に広島っ子になったと認識、「日本語や漢字を使えるようになりたい」と

外国人のための学校を辞め、小学校5年の2学期から同市佐伯区の公立小学校である

広島市立五日市南小学校に転校。

当時は被爆者の先生や被爆2世も多く、今度はベランダから身を乗り出した大勢の生徒から一斉に

「帰れ」コールを浴びる。

「起立、気をつけ。礼」など日本の規律正しい学校生活に慣れるのは大変だった。

1975年:中学受験をし、広島藩校の流れを汲む男子進学校の私立修道中学校に

トップクラスの成績で入学する。

 

父の転勤で2年1学期末に修道中学校を中退し、米国ノースカロライナ州チャペルヒルに転居。

今度は「真珠湾野郎!」と罵られた。

同年9月、チャペルヒルの公立校に入学したが、すぐにデューラム市の私立校に転校。

ここで1年飛び級した。

1977年:父の転勤でサンフランシスコへ転居。

同年9月、現地の公立高校に入学。

 

のちに本人の強い希望で広島の修道高等学校に留学生として戻るも、

1年後に当時流行っていたディスコに行くなどして「不良」の烙印を押されてしまい、

同校を自主退学。

その後、母の実家がある富山県高岡市に母や弟と移住。

当初、富山県立高岡高等学校は転入に難色を示し、聴講生の扱いでしばらく通学。

その後に編入を認められた。

 

この頃、心の支えになったのが音楽だった。当時の富山にはディスコがなく、

仕方がないのでディスコに似ているであろうという理由でライブハウスに足を運び、

そこで大手資本のついていない、インディペンデントなパンクバンドの社会への憤りなどを歌う

姿勢に感銘を受けて、「自分も音楽の世界で生きていこう!」という指針を持った。

近くの工業高校生とパンクバンドを組み市外でライブ活動もしていた。

1981年3月、高校を卒業。

中高は日米を行き来したので教育システムの違いに困惑した。

特に数学は米国ではプロセスを大切にしていたが、日本では受験を前提に

公式を覚えることが多かった。

英語が話せるにもかかわらず前置詞や冠詞などを覚えて英語を学ぶのがもどかしかった。

 

東大に入ったらバンドの宣伝になると思い入試直前の3ヶ月はバンド活動を休んで猛勉強。

1981年4月:東京大学理科一類に入学。

ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、スタンフォード大学、イェール大学、

カリフォルニア大学バークレー校、プリンストン大学の各大学にも合格。

しかしメディアから「天才」ともてはやされ、復帰を待っていたバンドメンバーからは

「お前の脇役になってしまう」と言われ除名された。

東大在学中にプロミュージジャンデビューを果たす。

しかし、自身がパンクをやりたいにも関わらず、

メジャーな音楽が求められたことに違和感を覚えた。

同年7月に東京大学中退。

東大を4ヶ月で中退した理由について、自分も含め一緒に東大に入学した仲間達が

「燃え尽きていた」と語っている。

ただひたすら頭に詰め込む受験生時代を送り、その結果やっと東大に合格しても

「今からまた勉強して人生を学ぼう」という雰囲気がキャンパスに無く、

失望し心機一転ハーバード大学で学ぶことを決意する。

 

ハーバードでは尋常ではない日々課せられる読書ノルマやリサーチの宿題の量、

活発なタブーなき議論の応酬など、自由だが厳しい校風が体に染み込んでいった。

しかし大学2年の後半にハーバードの知的な体力をひたすら求められる生活に根負けし

自分の良さが発揮できる場所ではないと反発するようになった。

翌年、ミニマル音楽の第一人者だったフィリップ・グラスのライブを観たり、

ジョン・ケージと直接会話するなどして高揚しアートと実験音楽に身を投じることを決意した。

パンクと即興演奏を組み合わせたようなグループを学内で結成。

日本語で高校生に至る少年期を綴った自叙伝を書く。

これがヒットし森光子の「3時のあなた」に出演する。

魔術師や霊能者を頻繁に訪ねてのオカルト修行、日本語で書いた自叙伝の映画化の話の浮上と頓挫、

 

バンドメンバーとの確執などの休学期間を経てハーバード大学に復学。

電子音とアニメーションを組み合わせたモンタージュ、聴覚と視覚の同時進行する作品が

見る人に幻覚体験をもたらせることに可能性を感じ、電子音楽とアニメーションを専攻、

視覚環境学部に進む。

1988年:ハーバード大学を卒業。

卒業制作は音と映像のモンタージュ作品だった。

 

出展:Wikipedia

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『モーリー・ロバートソンのプロフィールは?学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、モーリー・ロバートソンさんについてお伝えしました。

 

いつかの大河ドラマのペリー提督役!とても良かったです。

我が家ではモーリー提督と呼んでました(笑)

なんなら、提督主役のドラマが見たいほどですね~♪

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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