ヤマザキマリのプロフィールと最終学歴は?経歴や受賞歴についても!

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2月12日の「美の壺」にヤマザキマリさんが出演

ヤマザキマリさんってどんな人なのか気になり調べてみました。

今回は、『ヤマザキマリのプロフィールと最終学歴は?経歴や受賞歴についても!』

と言うタイトルで、ヤマザキマリさんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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ヤマザキマリのニュース

 

美の壺 - NHK

 

美の壺 選「魅惑の相棒 猫」

 

古来、人をメロメロにするネコの美を大特集!目・しぐさ・艶からその魅力に迫る。

歌川国芳の浮世絵・沈金作家の作品をアシストする黒猫。

SNSで人気の猫写真家の作品も。

 

番組内容

黄色、青、緑…多彩な猫の目。

グッと近寄れば更なる魅力を発見

▽じっとこちらを見つめる猫のまなざしに振り回される、漫画家のヤマザキマリさん。

猫の目の描き方の秘けつとは?

▽猫好き浮世絵師・歌川国芳の猫。

かわいくもおかしい多種多様なポーズ

▽200匹もの猫があふれる猫島で写真家に密着

▽今にも触れたくなる…日本画の巨匠が描いたフワフワ猫

▽伝統工芸・沈金の技で猫の毛並みに挑む!

▽草刈家に美猫<File527>

 

出演者

【出演】草刈正雄,漫画家…ヤマザキマリ,

【語り】木村多江

 
 
 
 引用:「美の壺」の番組案内から

 


 

ヤマザキマリのプロフィール

 

ヤマザキマリさんのご自宅を大公開!|『テルマエ・ロマエ』まで ...

出展:precious.jp

 

ヤマザキ マリ
生誕 1967年4月20日(55歳)
東京都
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家、随筆家、画家
活動期間 1996年 –
ジャンル 漫画、エッセイ、絵画
代表作 テルマエ・ロマエ
受賞 マンガ大賞(2010年)
第14回手塚治虫文化賞短編賞
VOGUE JAPAN Women of the Year 2012
芸術選奨文部科学大臣新人賞(2016年)
イタリアの星勲章コメンダトーレ章(2017年)[1][2]

出展:Wikipedia

 

最終学歴:国立フィレンツェ・アカデミア美術学院

 

 

 

ヤマザキマリの経歴

 

戦争とパンデミックの時代に、この知の巨人の声を聞け ...

出展:prtimes.jp

 

 

少女時代

 

1967年(昭和42年)、東京都に生まれる。

母親(神奈川県・鵠沼出身)がヴィオラ奏者として札幌交響楽団に在籍していたことから、

幼少期を北海道千歳市で過ごした。

父は指揮者であったが生後まもなく死去した。

数年後に母が再婚したため(のちに離婚)異父妹がおり、演奏やバイオリン教師としての

レッスンで家をあけがちだった母の留守を姉妹で待っていたという。

10歳ごろまでは母の意向でバイオリンを習っていた。

母方は代々カトリックで、自身も幼児洗礼を受けている。

 

ミッションスクールに通っていた14歳の時、母親がヨーロッパ旅行に行くところ

コンサートの予定が入り、替わりに行くかと勧められてあまり深く考えもせず、

1ヵ月ドイツとフランスを一人旅した(ドイツに母親の旧友の音楽家がいた)。

しかし、フランスに着いた際、想像より暗く寒い風土にカルチャーショックを受けたり、

母の友人が空港に迎えに来ず、別人(友人の叔父)が来たため探すのが大変だった等の

エピソードがある。

また、パリからドイツに移動する際に、老齢のイタリア人陶芸家に付き纏われ、

旅の理由が芸術のためであることを話すと、

「すべての道はローマに通ずる、イタリアを訪れないのはけしからん」と叱られる。

なお、この時14歳という年齢もあり、家出を疑われている。

 

 

学生時代

 

母から「学校をいったん辞めてイタリアに留学したら?」と勧められ、17歳で高校を中退。

大学入学資格検定を取得後、上記のイタリア人陶芸家の招きで単身イタリアへ渡る。

北イタリアの都市ヴィチェンツァの画塾を経て、フィレンツェの

国立フィレンツェ・アカデミア美術学院(イタリア語版)に入学、

美術史と油絵を学びながら11年間過ごした。

 

21歳の時に日本に一時帰国し、スキー旅行に向かう途中で交通事故に遭い、

全身打撲で肺胞が潰れる重傷を負い、乗っていた母親の新車は大破した。

本人曰く、事故後も意識は失わず救急隊員に喋り過ぎだと怒られるほどであったという。

 

フィレンツェ在住時には、学生アパートの隣室の詩人(イタリア人)と交際、

11年の同棲後に妊娠、それを機に詩人とは別れ、男児を出産してシングルマザーとなった。

フィレンツェにおける留学生活やキューバでの生活については本人のブログや自伝エッセイ

「世界の果てでも漫画描き」に書かれており、漫画を描き始めたのも生活費を稼ぐためであった。

 

 

漫画家デビュー

 

1996年(平成8年)、イタリア暮らしを綴ったエッセー漫画でデビュー。

同時期イタリアから一時帰国し、北海道大学及び札幌大学でイタリア語の講師を務める。

並行して北海道のローカルテレビ局札幌テレビ(STV)の番組『どさんこワイド』で

旅行・温泉のレポーター、ラジオパーソナリティなども務めていた。

 

2002年(平成14年)、14歳での欧州一人旅で出会ったイタリア人陶芸家の孫

(のちに文学研究者となる)と出会い、彼の留学先のエジプトのイタリア大使館で挙式し、結婚。

シリアのダマスカスや北イタリアでの暮らしを経てポルトガルのリスボンに移住、7年間を過ごす。

その後夫がシカゴ大学で比較文学を研究することになりシカゴに転居、

2013年よりイタリアに戻りパドヴァ在住。

 

イタリアでの生活時に同居していた夫の家族の壮絶ぶりをギャグにして綴ったエッセイ漫画

『モーレツ!イタリア家族』や、少女時代の自叙伝的内容の『ルミとマヤとその周辺』などを

講談社の『Kiss』で連載。

一方で、全く作風の違う古代ローマをモチーフにしたギャグ漫画『テルマエ・ロマエ』を

『コミックビーム』などにも掲載している。

これは夫が「ローマ皇帝の名前を全員言えるほどの古代ローマおたく」で、

日常会話でも古代ローマの話題が当たり前のように出ることに影響されたという。

 

 

テルマエ・ロマエの大ヒット

 

2008年より連載を開始した『テルマエ・ロマエ』がヒット、2010年マンガ大賞受賞。

授賞式の際には、スカイプでリスボンから受賞コメントを生中継で伝えた。

その他にも、2010年第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞、

2013年仏アングレーム国際漫画祭ノミネート、2013年米アイズナー賞アジア部門ノミネート。

2012年(平成24年)には日本で映画化された。

 

 

2010年代後半以降の活躍

 

2016年『スティーブ・ジョブズ』などの作品により、芸術選奨文部科学大臣新人賞

(メディア芸術部門)受賞。

2017年、長年イタリアに在住し、芸術家としてイタリアの文化やイメージの普及に

貢献した人物としてイタリアの星勲章コメンダトーレ章を受章した。

日本人の漫画家としては初の受章となる。

ヤマザキの代理人を務めた弁護士の四宮隆史が設立したクリエーターエージェント会社・CRGと

エージェント契約を結んでいたが、2021年よりスマイルカンパニーに移籍している。

 

出展:Wikipedia

 

 


 

ネットの反応

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『ヤマザキマリのプロフィールと最終学歴は?経歴や受賞歴についても!』

と言うタイトルで、ヤマザキマリさんについてお伝えしました。

 

ヤマザキマリさんはあの”テルマエロマエ”の原作者なのですね~♪

も~、最高に面白いアイデア&ストーリー!

確かに役者さんも良かったですね~。

阿部寛さんとか・・・また観たくなりました。

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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