山田勝己(ミスターSASUKE)のプロフィールは?学歴や経歴についても!

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12月2日の「バース・デイ」に山田勝己さんが出演

山田勝己さんってどんな人なのか気になり調べてみました。

今回は、『山田勝己(ミスターSASUKE)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、山田勝己さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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山田勝己のニュース

 

バース・デイ(TBSテレビ)

 

バース・デイ 

SASUKEに青春を捧げるスーパー中学生

 

ミスターSASUKEの愛弟子&完全制覇者の息子に密着!

2人の中学生が挑む1stステージ最年少クリア

▽生ける伝説・山田勝己が認めた逸材

 

番組内容

番組のタイトルは、毎年巡ってくる誕生日のことではありません。

過酷な現実に立ち向かう主人公の“人生に刻まれた、忘れられない大切な一日”を

番組では『バース・デイ』と呼びます。

 
 

 引用:「バース・デイ」の番組案内から

やまだ かつみ
山田 勝己
生年月日 1965年10月22日(58歳)
愛称 ミスターSASUKE
浪速のターミネーター
出身地 日本の旗 日本兵庫県加古郡播磨町
職業 鉄工所社長、タレントYouTuber
所属 ハンディ
ジャンル SASUKE
公式サイト
プロフィール
受賞歴
1996年 クイックマッスル全国選手権(3分間腕立て伏せ)準優勝
1997年 MUSCLE RECORD 9ミニッツ(9分間腕立て伏せ)準優勝
2021年 Mr.−1グランプリ 優勝
山田勝己
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年5月22日 –
ジャンル トレーニング風景など
登録者数 1.54万人
総再生回数 169万3134回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年10月30日時点。

出展:Wikipedia

最終学歴:兵庫県立東播磨高等学校卒業

 

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山田勝己の経歴

 

画像

出展:X

 

1965年10月22日、兵庫県加古郡播磨町に生まれる。

阪神タイガースの掛布雅之に憧れて、小学2年生で地元のソフトボールチームに所属し、

全国大会出場の経歴を持つ。

陸上の長距離走が得意であり、小学4年生からマラソン大会は毎年優勝していた。

躍進のきっかけは、自信を持って臨んだ小学3年生のマラソン大会で4位に終わった悔しさから

練習を続けたことだという。

中学では野球部に入るつもりだったが、強力な勧誘があった陸上部に入部。

 

 

高校野球

 

兵庫県立東播磨高等学校に8期生として進学。

「今度こそ、野球部に入る」と心に決め、合格発表の翌日にはジャージ姿で野球部の練習に

押し掛けた。

幼い頃からソフトボールには親しんでいたが、野球は未経験のまま入部。

エースで4番を目指していたが、すぐに肩を壊して投手から野手に転向した。

 

高校1年生の11月、その年の最後の練習試合に、9回二死2、3塁の一打逆転の場面で代打に

指名されたが、すべて見逃しで三球三振に終わった。

山田は「ひざがガクガク震えてバットを振ることができなかった。

野球ではそのとき初めて悔しいと思った」と語り、

「そこからなにかにのめり込む際の度合いが激しくなっていったんです。

春までの約5カ月、学校や寝ている時間以外はほとんどバットを振っていました」

と語るほど野球に没頭。

1日1500本のスイングを自身に課し、授業後の学級活動を抜け出して

打撃練習をしたこともあったという。

その後、高校2年生の春の2試合目に8番で先発出場。

2打席続けて初球のストライクをホームランにし、その後は4番で固定されたという。

山田は「あの三球三振がなければ、今のようにはなっていないです」と振り返っている。

 

 

スポーツ引退後からSASUKEへの出会い

 

スポーツ引退後、25歳からトレーニングを再開し31歳でSASUKEと出会う。

後に山田は「学生時代は人より運動ができましたので、できない人の気持ちを理解することが

できなかったですが、SASUKEは挑戦する度に落ち続け、非難を受けたことが

挑戦を続ける理由の一つになりました」と述懐しているほか、

「『俺より出来るやつなんて世の中におらへん』と思っていたんですよ。

でも、SASUKEはやっても出来ひん、やっても出来ひんという。

そこで自分って何やろうと考えたとき、自分って何にも出来ひんのやって気付かされたし、

自分の弱さも実感出来ました」と語っている。

 

1996年、TBS『筋肉番付』の『クイックマッスル全国選手権』に出場し、準優勝。

これが後のSASUKE出場のきっかけとなる。

1997年、SASUKE第1回大会に「クイックマッスル全国大会準優勝」の肩書きを引っ提げて

出場した。

同年、TBS『筋肉番付』の『MUSCLE RECORD 9ミニッツ』(9分間腕立て伏せ)に出場。

644回の記録を打ち立て準優勝となった。

1999年、第3回大会に出場。

本大会開催前に、山田は自宅の庭にSASUKEを模したセットを製作して練習を重ねた。

同大会は完全制覇まで残り約30cmまで迫り、初の大会最優秀成績を記録。

同年、第4回大会で初めてゼッケン100番を与えられるなど、一躍SASUKEを代表する選手となる。

2000年春、SASUKEの練習に熱中したことにより、放置したボンベが爆発し、

ボンベ配送業の仕事をリストラされる。

 

その後は妻の実家の鉄工所でアルバイト、野球場でビール売りのアルバイト(売上は1位)で

生計を立てながら出場を続ける。

同年秋開催の第6回大会にて2回目の大会最優秀成績を記録。

2002年秋、第10回記念大会にて3回目の大会最優秀成績を記録。

2012年、第28回大会をもってSASUKEを引退。

2013年以降、「山田軍団 黒虎」というチームを結成し、自身を慕う若手選手たちと

トレーニングを重ね、指導者という形でSASUKEに携わる。

軍団の運営については「コーチという生温い形は嫌なので、師匠と弟子のように厳しく

精神面も技術面も鍛えていきたいと思っています」と語っている。

2017年、妻の実家の鉄工所の跡を継ぎ、社長となる。

2020年、『SASUKE2020』第38回大会より現役復帰。

2021年、生涯現役宣言をした。

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『山田勝己(ミスターSASUKE)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』

と言うタイトルで、山田勝己さんについてお伝えしました。

 

山田勝己さんはルックスの通り”根性”の人なのですね~。

”ミスター根性”とお呼びして、

くじけそうなときに、ご尊顔を思い出したいくらいです。

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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