7月18 日、女優で冒険家の和泉雅子さんのご逝去が伝えられました。
和泉雅子さんってどんな人だったのか改めて振り返ってみます。
今回は、『和泉雅子さんの冒険家への驚愕の転身理由とは?プロフや若い頃についても!』
と言うタイトルで、和泉雅子さんについてお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までごゆっくりお読みください。
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Table of Contents
和泉雅子さんの冒険家への驚愕の転身理由!

出展:Yahoo!ニュース – Yahoo! JAPAN
和泉雅子さんが 女優から冒険家へ転身した理由 を整理すると、次のようになります:
女優としてのキャリア
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1961年、13歳で日活に入社し、吉永小百合・松原千恵子とともに「日活三人娘」として清純派女優の中心に活躍
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1963年には『非行少女』で主演、モスクワ映画祭金賞を受賞し演技力も高く評価されました
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1970年代に入ると日活がロマンポルノ路線に転換。彼女はこれに違和感を覚え、1971年に日活を退社しテレビ・舞台へと活動の場を移します
南極レポーターが冒険家への転機に
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1983年末から1984年初頭にかけて、テレビ東京のドキュメンタリー番組で 南極取材 を担当
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雄大な自然に圧倒され、「地球の“てっぺん”にも立ちたい」という強い思いが芽生えたことが転身のきっかけとなりました
北極点挑戦への道
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南極体験を受け、1984年から北極点への挑戦を本格的にスタート
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1985年、第1回目の北極探検では隊長として挑むも、北極点まで約148 km手前で断念。経費は1億円超に上り、多額の借金を抱えることに
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同年、借金を返済すると宣言し、講演や女優業に精力的に取り組んで全額返済を達成
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1989年に再挑戦し、日本人女性として初、世界で2人目の北極点徒歩到達を成就(世界初の徒歩は和泉さん)
冒険家転身の背景と動機
モチベーション | 内容 |
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自然への憧れ | 狭い銀座で育った彼女にとって、眼前に広がる南極の空・氷原の景色は、女優活動の暮らしとは全く違う世界でした |
自己挑戦としての探検 | 演技だけでなく、命の危険すら伴う極地の体験を通じて自らの限界に挑戦したかったと語っています |
人生観の変化 | 北極探検を通じて「命の尊さ」「仲間への思いやり」「友情」の大切さを学び、それが演技にも深みを与えたと自身が語っています |
✅ まとめ
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南極取材が冒険家への転機となり、そこで得た感動と憧れが北極点挑戦へと繋がりました。
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実際の挑戦では、苦難と借金を経験しながらも再挑戦・達成へと至り、単なる女優から冒険家へと自らの人生を大胆に転換されたのです。
和泉雅子さんのプロフィール

出展:ZAKZAK
美しく、明るく、清楚・・・青春の輝きの全て
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名前:和泉 雅子(いずみ まさこ)
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生年月日:1947年7月31日(享年77)
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出身地:東京都中央区銀座
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最終学歴:劇団若草(10歳より)、その後日活へ移籍
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職業:女優、冒険家、歌手
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代表作:「非行少女」(主演)、歌手として「二人の銀座」などヒット曲あり
本日、冒険家としても知られた女優・和泉雅子さん(77)が、
7月9日に東京都内の自宅で亡くなったと公表されました。
死因は「原発不明がん」とのことで、所属事務所や所属先、報道機関によると、
自宅で闘病中に体調が急変したとのことです 。
2025年7月18日現在、葬儀やお別れ会は故人の遺志により行われない予定と発表されています 。
和泉雅子さんの若い頃
出展:X
可憐な眼差し・・・
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和泉雅子さんの経歴

出展:ameblo.jp
幼少期~芸能活動デビュー
10歳で劇団若草に入団し、1958年頃から子役として舞台や映画に出演。13歳で日活に所属し、1963年公開の映画『非行少女』で主演を務め、モスクワ国際映画祭で金賞を受賞、以降“日活三人娘”の一角として人気を博しました 。
女優から歌手へ
その後も青春映画を中心に活躍し、歌手としても活動。「二人の銀座」などのデュエット曲でヒットを飛ばしました。
冒険家としての挑戦
1985年、冒険への夢を胸に北極点探検を開始。最初は北緯88度40分で断念するも、1989年5月10日、日本人女性としてはじめて北極点に到達。同時に2度目の遠征で夢を実現しました 。
晩年と功績
その後も約50回もの北極遠征を続け、北海道士別市にログハウスを建てるなど、東京と北極を往復する冒険生活を送っていました。著書も複数あり、講演活動を通じて冒険の魅力を伝え続けました 。
和泉雅子さんのXの反応
和泉雅子に関しては、私ら世代は、あああの北極いったオバサンぐらいにしか思ってなかったけど、何年か前BS12で見た、チータ主演のありがとう〜婦人警官編をみてて、あまりにも美人だったのにびっくりした事があった。そこから昭和の女優さんにはまったのかも…。
和泉雅子さんのご冥福を祈りたい。 https://t.co/iwHN1lSkNt— たろ☆NTQ (@t_a770ro) July 18, 2025
RPS 和泉雅子さん
先日西河監督の「四つの恋の物語」(65)観て活発なおしゃれさん姿が魅力的で、もっと作品観たいと思っていたところだった
浦山監督「非行少女」でも15歳の和泉さんの凛とした美しさが素晴らしかった✨ pic.twitter.com/4vwaZljemK
— Pon (@ponymachine) July 18, 2025
和泉雅子さんの出演した映画『若草物語』末娘4女を演じた和泉さんがとても可愛らしく、大人の壁に当たり苦労する姉達を他所に街中を陽気に歩いていくラストが印象的でした。4女を演じた和泉さんが1番早く亡くなってしまうなんて人生は分からないもの。https://t.co/8vPe9voOnJ
— マヤコ蝶々 (@mayakosulin) July 18, 2025
合掌
和泉雅子さん死去 生前葬営む 2025年7月18日 https://t.co/FgoGoQ6v5y
— masami.H (@jubee_lucky) July 18, 2025
女優で冒険家の和泉雅子さん(77)に訃報。日本人女性で初めて北極点到達の偉業残すhttps://t.co/VCb0xcsejr
— BEST T!MES(KKベストセラーズ公式) (@KKBEST_official) July 18, 2025
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和泉雅子さんのまとめ
いかがだったでしょうか?
今回は、『和泉雅子さんの冒険家への驚愕の転身理由とは?プロフや若い頃についても!』
と言うタイトルで、和泉雅子さんについてお伝えしました。
和泉雅子さんは、10歳から芸能界で活躍し、青春映画や歌手としての日活全盛期のスターでした。
しかし、その輝きを胸に秘め、人生の後半では冒険家へと転身。
生身で挑んだ北極探検は、日本人女性初の偉業として広く知られています。
顔に残った紫外線の痕や、晩年に至るまでの北極往復生活は、“夢を体現した人生”の象徴そのもの。
最期は77歳で静かに逝きましたが、生前葬を開くなど、
自らの人生の幕引きを選ぶ潔さも印象的でした。
芸能界と極地探検という二つの大舞台を全力で駆け抜けた和泉さんの存在は、
まさに“真の冒険家”であり“日本の誇り”でした。
これまでの功績を称え、心からご冥福をお祈りします。
今回も最後までお読みいただき有難うございました。