1月30日の「徹子の部屋」に浅丘ルリ子さんが登場!
浅丘ルリ子さんってどんな人なのか改めて調べてみました。
今回は、『浅丘ルリ子の現在と若い頃は?プロフィールや学歴と経歴についても!』
というタイトルで、浅丘ルリ子さんについてお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までごゆっくりお読みください。
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Table of Contents
浅丘ルリ子のプロフィール
出展:テレビ朝日「徹子の部屋」
あさおか るりこ 浅丘 ルリ子 |
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1950年代
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本名 | 浅井 信子(あさい のぶこ) | ||||||||||
生年月日 | 1940年7月2日(82歳) | ||||||||||
出生地 | 満洲国・新京[1] | ||||||||||
身長 | 156cm[2] | ||||||||||
血液型 | A型 | ||||||||||
職業 | 女優 | ||||||||||
ジャンル | 映画、舞台、テレビドラマ | ||||||||||
活動期間 | 1954年 – | ||||||||||
活動内容 | 1954年:『緑はるかに』でデビュー。 | ||||||||||
配偶者 | 石坂浩二(1971年 – 2000年)[1] | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ 『冬物語』 『家族熱』 『土曜日曜月曜』 |
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出展:Wikipedia
浅丘ルリ子の現在
出展:post.tv-asahi.co.jp
衰えない女優の輝き!
浅丘ルリ子の若い頃
出展:page.auctions.yahoo.co.jp
無敵の美しさですね~♪
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浅丘ルリ子の経歴
出展:twitter
満州国新京市(現・長春)に、4人姉妹の次女として生まれる。
父・浅井源治郎は満洲国経済部大臣秘書官を経て1943年にタイのバンコクへ軍属として転居。
終戦後に一家はチャオプラヤー川の岸辺にあったバンバートン
(バーンブァトーン Bang Bua Thong)抑留所へ強制収容されるが
翌1946年には引き揚げが始まる。
しかし軍属を最優先として先に出港したその船は沈没してしまい一家は命拾いした。
やがて大洗港の近くに住む親戚を頼り、まもなく館山の引き揚げ寮へ入寮。
信子が小学校3年生の時に父が代議士秘書の職を得て一家で東京神田鍛冶町の借家に落ち着く。
実妹のクラスメートに星由里子がいた。
家庭は大変貧しかった。
しかしながら、母が毛布を裁断し染めることに依ってコートに仕立ててくれたりと
創意工夫に満ちた生活を送っていた。
読売新聞に連載されていた北条誠の小説(挿絵は中原淳一)『緑はるかに』 を
水の江瀧子プロデュース・井上梅次監督で映画化するに当たって、
ヒロインのルリコ役を募集しているのを千代田区立今川中学校在学中の1954年(昭和29年)夏に
知り、両親賛成のもと応募、11月23日に面接が行われ約3,000人 の中から中原淳一が
浅丘のメイクを見て「この子だ」と言い、強力な推薦によって選ばれ銀幕デビュー。
芸名は、『緑はるかに』のヒロインのルリコと、本人の本名から「浅」の1字をとり、
『緑はるかに』のイメージから「丘」という字をつけて、「浅丘ルリ子」となった。
「ルリコカット」が当時の女性たちの間で大流行し、瞳の大きな美少女として脚光を浴びる。
しかし学校を長期欠席しての撮影だったため、PTAと生徒会が奉祝の花輪を出したことで
一時物議を醸した。
多忙のため、高校(旧・菊華高等学校、現・杉並学院高等学校)は中退している。
映画『緑はるかに』は1955年に公開された。
私生活では、1960年頃に一時小林旭と事実婚の関係にあったが、1961年8月に別離。
この頃より生活が荒むものの石原裕次郎に励まされ持ち前の根性で再起する。
1961年、世界一周早回りと国際親善をかねた「美しい東洋親善使節団」日本代表。
また1964年には「夕陽の丘」でレコードデビューした。
日活の看板女優として数多くの映画に出演し、人気を博した。
現在までの映画出演本数は150本以上。
日本映画全盛期の日活アクション映画における代表的なヒロインであり、
小林旭の『渡り鳥』『流れ者』『銀座旋風児』の三大アクション・シリーズや、
石原裕次郎のムード・アクション・シリーズ
(『赤いハンカチ』(1964年)、『夕陽の丘』(1964年)、
『夜霧よ今夜も有難う』(1967年)等)など多数の作品でヒロイン役を演じた。
仲の良い佐久間良子の初主演映画、1963年の東映『五番町夕霧楼』を観て大きなショックを受ける。
「正直いって女性映画の主人公がやれる佐久間さんがうらやましい。何も知らないまま、
ただ夢中で10年間を過ごしてきたけど、100本も映画に出て代表作がないのは恥ずかしいワ。
私は男性映画のサシミのツマのようなもの。もっと自分の仕事を大切にしたい。
作品を選んでそろそろ賞の対象になるような仕事をしたい」
などとマスメディアに訴え、今まで何一つ文句もいわず、会社のいいなりになってきたが、
1964年1月の会社との契約更改で、他社出演を認めて欲しいと直談判した。
浅丘は東映の女優が毛嫌いするような緑魔子主演『ひも』のような”不良性感度映画”に
「ああいう役ならぶつかって悔いはない」と発言するなど、会社の準備した『肉体の門』
『悲恋十年』『人生劇場』などを蹴り、初めて女優として自己主張した。
自身で企画を持ち込むようになり、1964年から1966年にかけて出演ペースが落ちた。
他社出演の希望は『日本一の男の中の男』(東宝)まで3年かかった。
蔵原惟繕監督の『銀座の恋の物語』(1962年)や、
『憎いあンちくしょう』(1962年)、『何か面白いことないか』(1963年)、
『夜明けのうた』(1965年)の典子三部作により男性スターの彩り的存在から脱皮、
100本出演記念映画となった蔵原惟繕監督の『執炎』では、愛する夫を戦争に奪われた
女性の姿を演じ、同じ蔵原監督の映画『愛の渇き』(1967年)でも熱演を魅せた。
映画『戦争と人間』にも出演した。
蔵原惟繕とは愛人関係にあった。
1966年には日活との専属契約を解消し、石原プロへ入社。
1972年、石原プロが劇場用映画製作から撤退したことにより石原プロ退社。
また、映画の主題歌などを中心に歌手としても多くの曲を発表、
1969年のシングル『愛の化石』はヒットした。
その他にも、『太平洋ひとりぼっち』、『水で書かれた物語』、『私が棄てた女』、
『栄光への5000キロ』、『戦争と人間・第一部〜第三部』、『告白的女優論』、『鹿鳴館』、
『博士の愛した数式』などの映画の話題作に出演した。
特に、映画『男はつらいよシリーズ』で演じたクラブ歌手の「リリー」の役は大好評で、
マドンナとしてシリーズ最多の4回の出演を数えた。
渥美清の最後の作品となった『男はつらいよ 寅次郎紅の花』でもマドンナ役を務めた。
この撮影現場で具合の悪そうな主演の渥美清の姿を見て、
「もしかしたらこれが最後の作品になるかもしれない」と思ったという。
そのため、監督の山田洋次に「最後の作品になるかもしれないから、
寅さんとリリーを結婚させてほしい」と何度も懇願する。
一方で山田は50作までの製作を想定しており、既に49作の制作が決定していたために
浅丘の願いは叶えられなかった。
渥美は映画公開の9か月後にこの世を去り、『紅の花』が遺作になってしまった。
1996年8月13日に松竹大船撮影所で開かれた【渥美清(寅)さんを送る会】ではリリーとして
渥美に向けて弔辞を読んでいる。
1980年代以降は活動の中心を舞台に移し、泉鏡花の作品などに出演している。
2008年11月、山形県東根市で開催されたひがしね湯けむり映画祭にゲストで招かれ
トークショーを行う。
これは、長い女優人生で初のことだったが、それからは解禁している。
大女優でありながら、気さくで面倒見が良く、東根が縁で親しくなった山形市在住の
ラジオパーソナリティ・荒井幸博のラジオ番組にも何度か出演。
2013年6月5日には天童市民会館でのきらやか銀行経営者セミナーにおいて二人でトークショーを
行い、荒井のリクエストに応え、故渥美清を送る会で読んだ弔辞を17年ぶりに涙ながらに読んだ。
更に、「港が見える丘」「愛の化石」と得意の歌も披露している。
2011年5月21日、60年来の旧友だった長門裕之逝去直後には津川雅彦と一緒に
長門の自宅へすぐに駆けつけて、津川と2人でマスコミ対応などを行った。
2014年発表の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本女優4位となっている。
同年には舞台で、小林旭と1969年の映画『地獄の破門状』以来44年振りに共演した。
出展 : wikipedia
ネットの反応
1962年『憎いあンちくしょう』
石原裕次郎さん
浅丘ルリ子さん
芦川いづみさん pic.twitter.com/BpuSI763Lw— 勇気りんりん (@yu4ki9rin8) January 30, 2023
<浅丘ルリ子>42年前、当時40歳の可憐な姿を公開 放送48年目の「徹子の部屋」に友人・春風亭小朝と出演(毎日キレイ)#Yahooニュース
https://t.co/LGJj7eKKGo— ハングマンGOGO (@wZjENK0t19jzaOX) January 30, 2023
ヴェーラで『十七歳の抵抗』と『人間標的』鑑賞。『十七才〜』は旅役者の出自と葛藤する浅丘ルリ子が世間との溝を深める度、物を投げビンタを食らわし合う暴力的な運動に目が離せない。長門裕之と津川雅彦がルリ子に恋する視線劇の反復や、ルリ子と父とのを別れが決定的になる目線のやり取りが巧み。 pic.twitter.com/uZqFRUXrjj
— TagTak (@tagutaku5386) January 29, 2023
キネマ旬報1960年11月上旬号(表紙はナタリー・ウッド)より、浅丘ルリ子と和泉雅子のツーショット。 pic.twitter.com/GFTKadVhcE
— 映子 (@longlongago345) January 29, 2023
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— ななしのごんべぇ💞那奈志埜言瞑💗(なまえのない怪物くん)❤️🔥 (@Knx1mDUZiNkz7vs) January 29, 2023
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— Amazonプライムビデオ追加速報 (@nwsblogger) January 28, 2023
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は、『浅丘ルリ子の現在と若い頃は?プロフィールや学歴と経歴についても!』
というタイトルで、浅丘ルリ子さんについてお伝えしました。
吉永小百合、和泉雅子との3ショットには少々驚きました。
浅丘ルリ子さんは何処かミステリアスで、
物憂げな表情はロシアの女優ルドミュラ・サベリエワを彷彿とさせますが、
いくつになっても惹かれ続ける世界でありテーマであります。
今回も最後までお読みいただき有難うございました。