7 月26日の「ガイアの夜明け」に佐藤裕久さんが出演!?
佐藤裕久さんってどんな人なのか気になり調べてみました。
今回は、『佐藤裕久(バルニバービ会長)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』
と言うタイトルで、佐藤裕久さんについてお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までごゆっくりお読みください。
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Table of Contents
佐藤裕久(バルニバービ会長)のニュース
ガイアの夜明け “美食の島”が激変!ゴジラ上陸で消滅都市が“楽園”に
瀬戸内海の淡路島で観光客が急増中!
「ゴジラ」や「ドラクエ」のテーマパークに地元の絶品食材が客を呼ぶ!
新たに誕生した“崖の上のレストラン”の開店までの奮闘を追う。
7月26日 金曜 22:00 -22:54 TVQ九州放送1
阪神淡路大震災から来年で30年を迎える淡路島。
甚大な被害を受けた街は、人口減少が続き「消滅可能性都市」にも認定されていた。
そんな淡路島がいま、“沸騰”している。
人材派遣大手のパソナグループが本社機能の一部を移転。
多くの社員が移住する一方、新たなレジャー施設を次々にオープンさせ、
関西の一大観光スポットに変貌させている。
さらに、島内で様々な宿泊施設も開業しているパソナは、
来年開催される大阪・関西万博を見据えて、
インバウンドや富裕層向けの大型ホテルの建設にも着手していた。
そして、地方の遊休地に飲食店を展開するバルニバービも淡路島に進出。
何もなかった場所に、地元の食材を使った新たな飲食店街をつくり
島の内外から客を呼び寄せている。
かつて、衰退の一途を辿っていた淡路島を開拓する、企業と“地方再生請負人”の挑戦を追った。
さらに、番組案内人の松下奈緒が淡路島で、
パソナグループの南部靖之代表とバルニバービの佐藤裕久会長を取材。その戦略に迫った。
出演者
【案内人】松下奈緒 【ナレーター】眞島秀和
佐藤裕久(バルニバービ会長)のプロフィール
出展:日興フロッギー – SMBC日興証券
さとう ひろひさ
佐藤 裕久
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生誕 | 1961年8月18日(62歳) 日本・京都府京都市上京区 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 神戸市外国語大学英米語学科中退 |
職業 | 実業家 |
活動期間 | 1984年 – 現在 |
団体 | 「株式会社バルニバービ創業者」代表取締役会長CEO兼CCO 「一般社団法人 日本飲食団体連合会」副会長 「日本ファインダイニング協会(JFDA)」副会長 「GEA地球環境行動会議」委員[1] 「iU 情報経営イノベーション専門職大学」超客員教授 |
著名な実績 | 著書『一杯のカフェの力を信じますか?]』 著書『日本一カフェで街を変える男―人、モノ、金が輝くスーパー経営術』 |
影響を受けたもの | 法然上人 親鸞上人 |
テレビ番組 | 『空飛ぶグータン』 『とくダネ!』 『ワールドビジネスサテライト』 『がっちりマンデー!!』 |
公式サイト | 佐藤裕久 (@hirohisa.sato.bbb) – Instagram 佐藤裕久 (sns.sato) – Facebook |
出展:Wikipedia
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佐藤裕久(バルニバービ会長)の経歴
出展:オーダースーツSADA
京都府京都市生まれ。
西陣(上京区)にある和菓子屋に生まれる。
京都市立乾隆小学校、京都市立嘉楽中学校、東山高等学校を卒業。
1980年(昭和55年)4月神戸市外国語大学英米語学科に入学。
同級生にトリドールホールディングス創業者の粟田貴也がいる。
佐藤が1年で作ったサークルに粟田が入部してきた。
退屈な講義には出ず、入学直後に学生企業を立ち上げ、
神戸市外国語大学の名物となった「七夕祭り」というイベントを企画する。
1984年(昭和59年)1月、神戸市外国語大学を中退。
大阪のアパレル会社に見習いとして入社。
月商30万の小さなショップ(コンテナ)を任せられる。
学生企業時代に知り合ったDCブランドのハウスマヌカンの女の子たちから、
社内販売で買ったけど、もう着なくなった服を預かって、
売れた値段の70%を払い戻すという契約で委託販売を始める。
それが予想以上のバカ当たりとなり、8カ月後には月商1000万円あがり、
営業利益200万円残った。
数多くのマスコミに取り上げられる。
1987年(昭和62年)25歳で独立、アパレル業を起業。
パリの人気レディースファッションメーカーと独占販売契約を結ぶ。
日本全国で展示会やって、卸の予約をどんどん取り付る。
年収2,000万円まで達し、芦屋の山手のマンションに住み、ポルシェに乗るほどの成功者だったが、
27歳のとき大晦日の日に自宅を火災で全焼。
3日後に独占契約を結んでいたパリのブランドが倒産したことを知る。
さらに3日後に百貨店から「2店舗を閉めてほしい」と通告。
半年後に会社を手放すことになった。
2,000万円の負債を抱え、人が離れていった。
佐藤の親が借金の保証人となった。
親がいなかったら命を絶っていたかもしれなかった。
「お金では幸せになれない」と自覚。
会社倒産後、寝る間を惜しんで働き月に37万円ずつ返済、5年間で完済した。
いつかまた事業をやろうと構想する。
1991年(平成3年)30歳の誕生日に「バルニバービ総合研究所」を設立。
ファッション関連の企画・マーケティングの仕事を始める。
バルニバービという社名は、風刺小説『ガリヴァー旅行記』(作者ジョナサン・スウィフト)に
登場する学士院の名前から来ている。
大阪南船場の材木店跡地にブラッスリー「アマーク ド パラディ」を開業し、
以後、全国に92店舗(2023年1月末時点)のレストラン・カフェ・ホテルを展開。
1995年(平成7年)1月17日、阪神淡路大震災が発生。
それまで手掛けたアパレル事業の個人負債を完済する見通しがたち、人生を再始動しよう、
何をやろうか、海外もいいなあとワクワクしていた。
たまたま大阪にいて被災を免れたが、19歳から住んでいた神戸の惨状や知人の死に直面して
「命って何だろう」「人生って何なんだろう」と考え、
第二の故郷の窮状に役に立ちたいと炊き出しを始めた。
「食は生きる力になる」「人を笑顔にできる」と強く感じ、飲食業の世界へと押してくれた。
貯金0円のなか20代前半から交友関係のあったキンチョールで有名な大日本除虫菊代表取締役の
上山直英から500万円を借りた。
1995年(平成7年)12月、34歳のとき「アマーク・ド・パラディ」1号店
(60席/大阪・南船場)を出店。
ファッションの仕事でたびたび訪れていたパリのカフェを念頭にした。
朝からワインを飲む人もいれば、夜、スイーツだけを食べにくる人もいる。
若いカップルから熟年の夫婦まで思い思いに時間を楽しむパリのカフェが大好きで、
こんな店があったら自分は絶対に通うなあと考えた。
当初は赤字だったが「合コン試食会」などの企画を立てつづけに実施、
開店後3カ月目から収益が上がり、6カ月目には月商1000万円を突破。
現在のカフェブームの先駆けとなった。
8ヶ月後に上山社長の500万円を完済するが、上山から「寝ないでよく頑張ったな」と
返済した札束をそのままプレゼントされた。
1998年(平成10年)株式会社バルニバービに組織変更。
2002年(平成14年)関西地区に、レストラン、バー、ベーカリーなど11軒もの店をオープン。
2003年(平成15年)6月、91年の歴史ある横浜赤レンガ倉庫内に“sumire”をオープン。
横浜の風情をいかした「懐かしくも新しいダイニング」を誕生。
関東進出も果たした。
2004年(平成16年)京都・同志社大学内にカフェレストラン
「アマーク ド パラディ 寒梅館」をオープン、学生食堂の改革を果たす。
同年、鹿児島県鹿屋市と共同プロジェクト「アマカラ鹿屋」を立ち上げ、第1号店として、
焼酎・さつま揚げ「かのや篠原」を大阪・淀屋橋にオープン。
2005年(平成17年)中国・恵州市に「ガーブ夜間飛行」オープン。
東京・芝公園「ガーブ ピンティーノ」、串揚げ「九四」2点同時オープン。
東京タワーを見上げる絶好のロケーション、有機野菜、世界の厳選素材を使った料理、
関西食文化の串揚げが好評となり、連日メディアの話題となる。
2006年(平成18年)10月4日、河出書房新社から初の著書
『一杯のカフェの力を信じますか?』を出版。
伝説のカフェ「カフェ ガープ」がどのようにして誕生したのか?
店を作り上げ南船場の仕掛人と呼ばれた佐藤裕久とはどんな男なのか?
人生と起業について赤裸々に綴った経営入門書。
2007年(平成19年)2月1日、グラフ社から2冊目となる著書
『日本一カフェで街を変える男―人、モノ、金が輝くスーパー経営術』を出版。
人の流れを呼び、地域の不動産価値を上げ、街をいきいきと輝かせる経営理念を語る。
2013年(平成25年)9月7日、2020年東京五輪開催が決定。
ますます東京の一極集中が加速すると感じる。
海外からお金のある人が東京を訪れて別宅としてマンションや家など
不動産を買う人が増えるだろう。
そうなると普通に働く人たちは、ますます東京では暮らしにくくなる。
そう考えた時に、これからは地方へと目を向ける時代がやってくると感じた。
2015年(平成27年)東証マザーズ市場(現・東証グロース市場)に上場。
2016年(平成28年)10月1日、自身が掲げる地方創再生(創生・再生)プロジェクトの
第一弾として、滋賀県の大津駅観光案内所「OTSURY」、同駅舎内にてカフェ&レストラン
「THE CALENDAR」、カプセルホテル『CALENDAR HOTEL』をオープン。
2019年(令和元年)4月27日、地方創再生プロジェクト第二弾として淡路島西海岸に
3階建て一棟(300席)のレストラン「GARB COSTA ORANGE」を開業。
プロジェクトを立ち上げるまで何もない野原だった。
2024年現在は年間35万人の人が集まり、10億円の売り上げを上げるまでになった。
2023年(令和5年)1月、同エリア内に10店舗以上のレストラン・ホテルを開業し
「住みたくなる街づくり」をテーマに掲げ、淡路島活性化の一躍を担っている。
同年5月、地方創再生プロジェクト第三弾として島根県出雲市でもレストランとホテルの開業。
2024年現在は年間3億円の売り上げ規模となる。
現在は、一般社団法人 日本飲食団体連合会副会長、日本ファインダイニング協会(JFDA)副会長、
GEA地球環境行動会議委員、iU 情報経営イノベーション専門職大学超客員教授を兼務する。
出展:Wikipedia
ネットの反応
脳みそから血が出るほど考えてこそのベンチャー企業やん(My Boss 佐藤裕久談)
— shima-ryo / ちょうどいいWEB屋 / アイランドマーケティング (@islandmktg17) June 14, 2024
食で目覚める地方創再生
バルニバービ会長 佐藤裕久さん
バッド立地、「住みたい」に(トップに聞く)2024/06/09 日経MJ(流通新聞) 3ページ
<地域性>
地方創生の革新的アプローチ:
佐藤裕久会長が、食を通じて地方の価値を高め、魅力的な「住みたい街」を創出する取り組みを進行中。…— フルタアキラ|『生成AI活用スペシャリストxひとり広報』で貴社をポジティブチェンジ (@gakorako) June 9, 2024
バルニバービ佐藤会長の感性と感覚は唯一無二。#バルニバービ#佐藤裕久 https://t.co/hTYYyaw1Kq
— kazupyii (@kazzupiii33) May 27, 2024
[3月]パッションリーダーズセミナーは、株式会社バルニバービ 代表取締役会長 佐藤 裕久 氏にご登壇いただきました。
🔑今回のキーワード
あなたにとって成功とは何か? #パッションリーダーズ #経済産業省 #講演 #経営者 pic.twitter.com/QbsNLCYxip— パッションリーダーズ【公式】 (@passion_leaders) March 28, 2024
1/21(日) #致知今日の言葉
🍛悪立地でも勝つ店を🍷
――佐藤裕久(バルニバービ会長)
🌇約30年前、人通りのほとんどなかった倉庫街にレストランを開業し、【不人気な立地】を逆手に取って人気店を次々展開してきたバルニバービ #佐藤裕久 氏のセンスと経営の秘密に迫る👀
⇒https://t.co/grcOLh12jP pic.twitter.com/0evD1S4bsu— 致知出版社【公式】 (@chichi_words) January 20, 2024
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まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は、『佐藤裕久(バルニバービ会長)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』
と言うタイトルで、佐藤裕久さんについてお伝えしました。
8ヶ月後に上山社長の500万円を完済するが、上山から「寝ないでよく頑張ったな」と
返済した札束をそのままプレゼントされた。
象徴的なお話ですね~♪
今回も最後までお読みいただき有難うございました。