バロン吉元(漫画家・画家)のプロフィールは?学歴や経歴についても!

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6月30日の「激レアさんを連れてきた。」にバロン吉元さんが出演!

バロン吉元さんってどんな人なのか気になり少し調べてみました。

今回は、『バロン吉元(漫画家・画家)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』

というタイトルで、バロン吉元さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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バロン吉元(漫画家・画家)のニュース

 

激レアさんを連れてきた。

 

激レアさんを連れてきた。

 

今回の激レアさんは

『漫画界随一の破天荒さで周りを超振り回しながらヒットを飛ばしていたけど

突然信じられない天罰を受けた漫画家』

6月30日 月曜 23:15 -23:45 テレビ朝日

 

番組内容

★激レアさん★ 漫画界随一の破天荒さで周りを超振り回しながらヒットを飛ばしていたけど

突然信じられない天罰を受けた漫画家

 

◇出演者

【研究員】若林正恭(オードリー)

【研究助手】弘中綾香(テレビ朝日アナウンサー)

【客員研究員】渋谷凪咲、松井ケムリ(令和ロマン)

 

引用:「激レアさんを連れてきた。」の番組案内から

 

 

 

 

バロン吉元(漫画家・画家)のプロフィール

 

柔俠伝」バロン吉元が漫画の世界に戻った…84歳「連載」に挑む ...

出展:東京新聞

 

 

      • 名前:バロン吉元(本名:吉元 正/よしもと ただし)

      • 生年月日/年齢:1940年11月11日(現在84歳)

      • 出生地:満洲国奉天市(現・中国・瀋陽市)

      • 育ち:鹿児島県指宿市

      • 学歴:鹿児島県立指宿高校卒業、武蔵野美術大学西洋画科中退 

      • 職業:漫画家・画家、元大阪芸術大学教授、日本漫画家協会理事

      • 代表作:『柔侠伝』シリーズ、『どん亀野郎』、『黒い鷲』、『賭博師たち』、『あゝ、荒野』(連載中)

 

 

6月30日(月)23:15〜放送のテレビ朝日系バラエティ番組『激レアさんを連れてきた。』に、

劇画界のレジェンド・バロン吉元さんが初出演。

「漫画界随一の破天荒さで周囲を振り回しながらヒットを飛ばし、

突然信じられない“天罰”を受けた漫画家」として紹介されます。

スタジオでは“ロボたこ踊り”を披露する場面もあり、せいやさんらMC陣を大混乱させた模様です。

 

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バロン吉元(漫画家・画家)の経歴

 

83歳「伝説の漫画家」の超エネルギッシュな人生 50年代末から活躍 ...

出展:東洋経済オンライン

 

 

戦中生まれ、混乱の時代を生きた原体験

バロン吉元さん(本名:吉元正)は1940年、当時の満洲国・奉天(現:中国遼寧省瀋陽)に生まれました。太平洋戦争終結直前の生まれであり、幼少期は日本への引き揚げという過酷な時代を経験。引き揚げ後は鹿児島県指宿市で育ちました。幼い頃から絵を描くことが好きで、物心ついた時にはすでに紙と鉛筆を手にしていたといいます。

この“混乱の中で身ひとつで生き抜く”という原体験が、後の劇画作品における「男の生き様」「無頼な精神」「人間の業」といったテーマに大きな影響を与えたと語られています。


学生時代と漫画家としての出発

指宿高校を卒業後、上京して武蔵野美術大学の西洋画科に入学しますが、3年で中退。その後、劇画家・横山まさみち氏のアシスタントを務めながら、投稿作品『ほしいなあ』が講談社の漫画賞を受賞。これをきっかけに、1959年「吉元正」名義で本格的にプロデビューします。

貸本時代の黎明期に、横山まさみち・さいとうたかをらと肩を並べつつ、独自のリアリズムと情感に満ちた描写力を武器に活躍し始めました。


「バロン吉元」誕生と劇画ブームの中心へ

1967年、双葉社編集長・清水文人の提案により、「バロン吉元」のペンネームが誕生します。当初は「“柔道一直線”のような硬派な名前は合わない」とされ、気品とユーモアがある「バロン」の語感が採用されました。

彼は当時創刊された『週刊漫画アクション』(双葉社)の看板作家となり、モンキー・パンチ(ルパン三世)と共に劇画界の双璧として名を馳せます。代表作『柔侠伝』(1970~1980年連載)は“任侠の美学と社会問題”を融合させた異色作で、人気を博しました。

その他にも、

  • 『どん亀野郎』

  • 『殴り屋』

  • 『賭博師たち』

  • 『黒い鷲』
    など、多くの劇画作品が映画化・ドラマ化されました。


絶頂期での「すべてリセット」宣言と渡米

1980年、バロン吉元さんは人気絶頂のなか、全連載を突如打ち切り、単身アメリカへ移住します。この時の決断は「もう漫画家としてやりきった」との本人の言葉通り、“人生をまるごと劇画にして生きる”という精神の象徴でもありました。

アメリカでは、現地の出版社・マーベル・コミックと接触しながら、異文化のアートシーンにも挑戦。ロサンゼルス郊外に邸宅を構え、スカンクに追いかけ回される、土砂崩れで自宅が傾く…など破天荒な生活ぶりが本人の口から明かされています。


帰国後の画家活動と“龍まんじ”への変身

帰国後、バロン吉元さんは本名を伏せ、画家「龍まんじ」として再始動。油彩画・水墨画・立体造形など多岐にわたる表現を展開し、美術界でも異彩を放つ存在となりました。

新宿・銀座・京都などでの個展を通じて、国内外のアートファンからも注目され、2000年代には“バロン吉元=画家”というイメージも定着していきます。


教育者としての一面と文化交流使

2003年には文化庁より文化交流使に任命され、スウェーデンに派遣されます。ストックホルムの大学や美術館で日本の劇画文化を講義し、国際的な文化交流にも貢献。

2005年からは大阪芸術大学の教授に就任。若手漫画家やアーティストの育成に情熱を注ぎ、自身の経験と技術を惜しみなく伝えてきました。


近年の活動と再評価

2019年、画業60周年を記念した展覧会「バロン吉元 画業60年還暦祭」が開催され、同年には日本漫画家協会賞・文部科学大臣賞も受賞。

近年では、寺山修司の名作『あゝ、荒野』をバロン吉元さんが劇画化し、月刊連載中(2023年〜)。84歳とは思えぬエネルギーで現役活動を続けており、2025年には同作の単行本も刊行。画家としても、東京・京都で新作展を開催するなど、まさに“今が最前線”の存在です。

 

 

 

 

バロン吉元(漫画家・画家)のXの反応

 

 

 

 

 

バロン吉元(漫画家・画家)のまとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『バロン吉元(漫画家・画家)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』

というタイトルで、バロン吉元さんについてお伝えしました。

 

バロン吉元さんは、1939年生まれの戦争を越えて育ち、貸本時代から劇画ブームを牽引、

漫画界のトップに君臨した“破天荒”な存在です。

代表作『柔侠伝』で絶頂期を迎えた際、連載をすっぱりやめて渡米。

マーベル執筆、邸宅購入、スカンクとの決闘など、

漫画家の枠を越えたエピソードで注目を集めました。

帰国後は画家として“龍まんじ”名義でも活躍し、教育者として後進の育成にも力を注いでいます。

晩年においても精力的に作品を発表し続け、84歳にしてなお現役のバロン吉元さん。

その驚きに満ちた生き方は、今夜の番組でさらに多く明かされるはずです。

100点満点の“激レア”、必見です!

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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