里見浩太朗の現在と若い頃は?プロフィールと学歴や経歴についても!

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1月13日の「徹子の部屋」に里見浩太朗さんが出演!

里見浩太朗さんってどんな人なのか改めて調べてみました。

今回は、『里見浩太朗の現在と若い頃は?プロフィールと学歴や経歴についても!』

というタイトルで、里見浩太朗さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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里見浩太朗のプロフィール

 

テレ朝POST » 82歳の里見浩太朗、元気の秘訣。30年間ほぼ毎朝 ...

出展:テレ朝POST – テレビ朝日

 

 

さとみ こうたろう
里見 浩太朗
里見 浩太朗

『映画情報』1963年3月号より
本名 佐野 邦俊(さの くにとし)
別名義 鏡 小五郎富士川 一夫里見 浩太郎風間 太郎
生年月日 1936年11月28日(88歳)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市渋谷区道玄坂
出身地 静岡県富士宮市
身長 173 cm
血液型 A型
職業 俳優歌手
ジャンル 映画テレビ映画ドラマ
活動期間 1957年 –
活動内容 1957年:デビュー
1969年:『はやと
1970年:現芸名に改名
1971年:『特別機動捜査隊』『水戸黄門
1974年:『大江戸捜査網
1979年:『長七郎天下ご免!
1982年:『松平右近事件帳
1983年:『新・松平右近』『長七郎江戸日記
1985年:『忠臣蔵
1986年:『白虎隊
1987年:『江戸を斬る』『田原坂
1988年:『五稜郭
1989年:『八百八町夢日記
1991年源義経
1992年:『半七捕物帳』『風林火山
1993年NHK大河ドラマ初出演『炎立つ』『闇を斬る!大江戸犯科帳
1996年:『将軍の隠密!影十八
1999年:『痛快!三匹のご隠居
2002年:『水戸黄門
2012年:『リーガル・ハイ
配偶者 一般人女性(離婚歴あり)
著名な家族 佐野圭亮(最初の妻との長男)
佐野浅夫(従叔父)
事務所 里見プロモーション
主な作品
テレビ映画
はやと
特別機動捜査隊
水戸黄門
大江戸捜査網
長七郎天下ご免!
松平右近事件帳シリーズ』
長七郎江戸日記
忠臣蔵
白虎隊
江戸を斬る
田原坂
五稜郭
八百八町夢日記
源義経
風林火山
半七捕物帳
闇を斬る!大江戸犯科帳
将軍の隠密!影十八
痛快!三匹のご隠居


ドラマ
炎立つ
リーガル・ハイ


映画
北のカナリアたち
エイプリルフールズ

出展:Wikipedia

最終学歴:静岡県立富士宮北高等学校 卒業

 

 

 

 

里見浩太朗の現在

 

出展:X

 

渋い安定感と気品のある紳士!

 

 

里見浩太朗の若い頃

 

里見浩太朗 - 有名人データベース PASONICA JPN

出展:有名人データベース PASONICA JPN

 

う、美しすぎる~♪

 

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里見浩太朗の経歴

 

里見浩太朗ホームページ

出展:www.satomi-kohtaro.com

 

父・亀一は19歳で志願して近衛兵となり、帝国陸軍の麹町憲兵隊に転属したのち、

秋葉原のパン屋で働いていた静岡県松野村出身の木伏エツと結婚。

里見が生後8か月のときに、盧溝橋事件により支那駐屯憲兵隊に臨時増加配属を命じられ、

その年の9月に中国大陸山西省の小塞村(平型関の入り口)にて平型関の戦いで戦没しており、

静岡県富士宮市にある母・エツの実家を頼った母子家庭で兄・要とともに育った。

その父の死に様は当時の新聞や軍内部の報告書で英雄として祀り上げられた。

当初は割腹自決と報じられたが、のちに同じ部隊にいた憲兵仲間から、

負傷しながらも軍刀を抜き反撃しようとしたところを手榴弾を受けて亡くなったと報告があった。

「父の恩給だけでは生活が苦しかったため、母が縫い物の内職をして家計を支えてくれた。」

という。

戦後、恩給が打ち切られてからは彼の母は古着の行商などで2人の息子を養っていた。

なお、父方の佐野家は山梨県南部町井出にあり、

初代の佐野光次は戦国時代に武田信虎に仕えた武将。

代々武田家の家臣として仕え、祖父・勝三郎の代には農業・林業のほかに塩の販売なども手掛け、

村で一二を争う財産家だった。

 

芸能界への憧れと役者デビュー

中学時代はテニス部所属、高校時代は音楽部に所属していた。

高校卒業間近に『NHKのど自慢』に出場する機会があり、伊藤久男の代表曲「山のけむり」を

熱唱し予選に合格した。

後年、里見はコンサートMC等で「この合格が芸能生活への原点である」と語っている。

静岡県立富士宮北高等学校卒業後上京。

築地の魚市場で仲卸を営んでいた叔父の会社に就職し、働きながら歌手を目指した。

レコードデビューが内定していたが、仲買卸業の娘が悪戯で里見を東映ニューフェイスに応募。

1956年、第3期東映ニューフェイスに合格し、何事も経験が必要だと云われ東映へ入社。

同期には大川恵子・桜町弘子・大村文武らがいる。

鏡を見て現代劇の姿を写して見たり、ハンカチで、時代劇の羽二重を付けた様にして

写して見たりして、考えた末、京都には社宅が完備されていたことから自ら希望して

東映京都撮影所(以下、東映京都)専属となる。

翌1957年、『上方演芸 底抜け捕物帖』『誉れの陣太鼓』がステップになり、

3本目の大友柳太朗主演『天狗街道』で本格デビュー。

同作品のプロデューサー・神戸由美から、大当たりした東映の映画『里見八犬伝』が縁起がいいと

「里見」を、「富士山の悠々たる姿を見て浩然の気を養う」という意味から「浩」、

時代劇らしく「太郎」と合わせ、里見浩太郎(1970年に現名に改名)という芸名をつけてもらう。

1958年、4本目の『金獅子紋ゆくところ』初主演。

その主題歌『金獅子紋道中唄』で歌手デビュー。

映画では時代劇を中心に出演し、主演は子供向け作品が多かった。

初期は美空ひばりや中村錦之助主演映画での助演や『十三人の刺客』では

片岡千恵蔵を補佐する役を演じた。

時代劇以外では高倉健主演の任侠映画『侠客列伝』(1968年)、

千葉真一主演のオールスターキャスト作品『日本暗殺秘録』(1969年)や、

村田英雄・北島三郎ら主演の歌謡映画などにも出演している。

1965年2月26日に京都地裁から拳銃密輸と所持により、

懲役8か月(執行猶予3年)の判決を受けている。

 

テレビドラマに進出

当時の岡田茂東映京都所長が、同撮影所の改革として時代劇映画をテレビに移し、

映画は任侠映画を中心とするラインナップに変更する。

岡田が「時代劇に固執するものは一人もいらないんだ」などと強行に改革を進めたため、

里見は時代劇映画を守ろうと中村錦之助 (萬屋錦之介)や東千代之介らと1965年5月9日、

東映の俳優組合(東映俳優クラブ組合)を結成した。

しかし組合活動は上手くいかず、「任侠路線は自分には似合わない」と

活動の場をテレビ時代劇に移す。

このときは岡田と反目に回ったが、「私は岡田茂さんに育てて頂いた」と述べている。

里見は1967年の東映・関西テレビ製作の『仮面の忍者 赤影』を始め、

数々のテレビ時代劇に出演するようになる。

だが映画の頃とは打って変わって四番手ないし五番手の役が多くなり、

1970年には芸名を「里見浩太郎」から「里見浩太朗」に改名。

時代劇のみならず、刑事ドラマやアクションドラマにも出演した。

1971年5月、ナショナル劇場『水戸黄門 第3部』(TBS / C.A.L)(放送は同年11月29日)で

杉良太郎に代わり2代目佐々木助三郎に就任。

1982年7月8日の初代水戸光圀役・東野英治郎の降板発表を受け自身も降板を考えたが

逸見稔の強い希望で残留する。

1987年11月26日の第17部収録終了(最終話は1988年2月22日に放送)をもって降板。

足かけ16年半、457回にわたる活躍だった。

1974年、『大江戸捜査網』にて久々に主演を務め、以降『長七郎天下ご免!』、

『松平右近事件帳』、『長七郎江戸日記』など幾多のテレビ時代劇作品で主演を務め、

時代劇俳優の地位を不動のものとする。

主演作品では主題歌も数多く担当している。

1985年から93年にかけて、年末に放送されていた日本テレビ系列の

『年末時代劇スペシャル』では、最多の6度主演している。

「時代劇の殺陣がどんどん激しくなっていくのとは対照的に、かつての市川右太衛門的な

立ち回りを復権させようと、舞い踊るような美しい殺陣を見せており、市川の華麗な部分と

片岡千恵蔵的な重厚な芝居と併せ持つ、東映時代劇の申し子」と評されている。

2002年10月14日より放送開始したナショナル劇場『水戸黄門 第31部』で、

病気降板した石坂浩二に代わる5代目水戸光圀役として14年ぶりに復帰。

里見は1959年公開の映画『水戸黄門 天下の副将軍』(主演:月形龍之介)で

渥美格之進役を務めており、同作とあわせて

「水戸光圀・佐々木助三郎・渥美格之進の三役を経験した唯一の俳優」となった。

またゲスト出演での共演を含め、シリーズ歴代の佐々木助三郎・渥美格之進役全員との

共演を果たしている。

2011年12月19日の『最終回スペシャル』をもって42年にわたるシリーズの一時終了が決定した際の

記者会見では、「ズバッと後ろから斬られた感じ。残念というよりも、痛い。」と語っている。

その後、2015年6月29日には3年半ぶりにスペシャルとして復活。

放送当時の里見は78歳7ヶ月であり、同作における歴代最年長での光圀役となった。

『大江戸捜査網』以降テレビ時代劇では、長年にわたり勧善懲悪作品の主演を専らとしてきたが、

1993年の『炎立つ』への出演を皮切りにNHK大河ドラマにも出演するようになった。

 

さらなる活躍

 

2002年

舞台活動では1977年8月から名古屋御園座で座長公演を始め、

主に東京では明治座、大阪では梅田コマ劇場などで年に1回から3回行っている。

主演が多くなった1980年代以降は、「主婦のアイドル」として、

歌手でもコンサート・ディナーショーを積極的に行っている。

現代劇でも新しい役柄に扮し、23年ぶりに映画出演した初の松竹作品『およう』(2002年)

では洋画家藤島武二を演じた。

なおテレビドラマでは、刑事部長・警察署長(テレビ東京系『信濃のコロンボ』シリーズ他)などの

役柄が多く、京都で一日署長を務めたこともある。

主演シリーズの終了後から、俳優としてのスタンスも徐々に「存在感のある脇役」へと

シフトし、 2012年のドラマ「リーガル・ハイ」の服部役では、

当時の小学生世代にまで知名度を広げる。

2013年2月17日に放送されたスペシャルドラマ『必殺仕事人2013』では

芸歴55年余にして初めて敵役を演じた。

起用にあたって

「もちろん、これまでも斬られる役を演じたことはあるのですが、

敵役として斬られるのは初めてなので、本当に楽しみにしています。

まだまだ立ち回りは動けますし、どんな長い殺陣でもできる自信はまだありますから(笑)。

丁々発止、斬られたいと思います」

と、その心境を語っている。

 

出展:Wikipedia

 

 

 

 

里見浩太朗のネットの反応

 

 

 

 

 

里見浩太朗のまとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『里見浩太朗の現在と若い頃は?プロフィールと学歴や経歴についても!

というタイトルで、里見浩太朗さんについてお伝えしました。

 

里見浩太朗さんは、日本の俳優・歌手として長いキャリアを持ち、

多くの作品で活躍してきました。

特に時代劇での存在感は大きく、多くのファンに愛されています。

現在も精力的に活動を続けており、今後の活躍にも期待が寄せられています。

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

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