山川静夫のプロフィールと最終学歴は?経歴や著作についても!

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4月26日の「徹子の部屋」に山川静夫さんが出演!

山川静夫さんってどんな人なのか改めて調べてみました。

今回は、『山川静夫のプロフィールと最終学歴は?経歴や著作についても!』

というタイトルで、山川静夫さんについてお伝えしたいと思います。

どうぞ最後までごゆっくりお読みください。

 

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山川静夫のニュース

 

徹子の部屋】90歳の元NHKアナ山川静夫、黒柳徹子と“テレビ黎明期 ...

出展:テレビ朝日「徹子の部屋」

 

徹子の部屋 山川静夫

 

〜元NHKの名物アナウンサーが90歳に!〜

山川静夫さんが今日のゲストです。

 

ゲスト

今年90歳になった元NHKアナウンサーの山川静夫さんがゲスト。

 

番組内容

テレビ放送開始から70年ということで、黒柳さんとテレビ黎明期の想い出を語り合う。

山川さんといえば長年、『紅白歌合戦』の白組の司会者を務めたとして知られるが、

当時紅組の司会を務めた黒柳さんとの爆笑秘話や、

三波春夫さんや村田英雄さんなど往年の名歌手の当時の裏話を明かす。

また“失語症”を患い、アナウンサー生命の危機として必死のリハビリを行ったという秘話も。

 

引用:「徹子の部屋」の番組案内から

 

 

 

 

山川静夫のプロフィール

 

出展:twitter

 

やまかわ しずお

山川 静夫

プロフィール
出身地 日本の旗 日本 静岡県静岡市葵区
生年月日 1933年2月27日(90歳)
最終学歴 國學院大學文学部
職歴 NHKアナウンサー、現:芸能評論家
活動期間 1956年 – 1994年
ジャンル 司会など
出演番組・活動
出演経歴 NHK紅白歌合戦
ひるのプレゼント
ウルトラアイ

出展:Wikipedia

 

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山川静夫の経歴

 

画像

出展:twitter

 

 

経歴

 

1933年2月27日、現在の静岡県静岡市葵区梅屋町で静岡浅間神社神主の家に生まれた。

1951年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。

国學院大學文学部卒業。

日本の伝統文化に興味があり、國學院大學在学中から歌舞伎の声色が得意で、

ニッポン放送の歌舞伎番組に出演していた経験を持つ。

中村勘三郎 (17代目)、中村歌右衛門 (6代目)、吉田玉男、吉田簑助など古典芸能の名人たちと

親交を深めている。

また、義父の飯島忠が安藤鶴夫と育英小学校で同級生であることを通じての親交もあった。

 

1956年にNHKに入局。

青森、仙台、大阪に勤務の後、1968年に東京アナウンス室に配属。

前期の担当番組はお父さんはお人好し、女性手帳(大阪制作)、お楽しみグランドホール、

ひるのプレゼント、歌のグランド・ショー、お国自慢にしひがしなど。

後期はウルトラアイ、トライ&トライ、くらべてみればなどの生活科学番組の司会を

15年に渡って担当、体当たりの実験参加が人気を博した。

 

NHK紅白歌合戦の総合司会や白組司会を務めた。

1974年から1982年まで白組司会を9年連続で担当、これは先輩の高橋圭三に並び

連続白組司会の最長記録となっている。

史上初且つ男性では唯一の昭和・平成の紅白での双方司会経験者であるほか、

最後の担当となっている1992年(当時59歳)での総合司会は2005年に当時61歳のみのもんた

(同回の事実上の総合司会)に抜かれるまで男性司会者および総合司会の最年長記録となっていた。

ただし、第56回は「グループ司会制」となり、司会の役割は決められていなかったため、

正式な肩書の総合司会の最年長記録はその後も保持している。

 

著作も多く、1974年に刊行した『綱太夫四季』が処女作である。

1972年チーフアナウンサー、チーフアナウンサー(局長級)から1988年理事待遇、

1990年に特別主幹(専務理事待遇)職に就任する

(理事就任後もテレビ出演時は「アナウンサー」を名乗っていた)が、

その後も当時の担当番組だった「くらべてみれば」では司会を続け、1991年と1992年には

「国民的番組」の名誉復権をかけて9年ぶりに紅白に総合司会として司会復帰する等、

1994年3月(実際、山川は1993年の時点で60歳を迎えていた)に定年退職するまで

“NHKの顔”として活躍した。

2000年に脳梗塞とそれに伴う失語症、心不全、結腸腫瘍による腸閉塞と相次いで

大病に見舞われたが、短期間で復帰。

 

1991年からは国語審議会委員を務め、また芸能評論家として雑誌・単行本に評論・エッセイを

執筆するなど、退職後はブラウン管から一歩離れた立場での活躍が目立っているが、

NHK衛星第2において、「山川静夫の華麗なる招待席」「昭和の歌人たち」といった番組の

司会を担当し長年に渡り出演してきたほか、2010年には十一代目市川海老蔵の結婚披露宴

(全2部構成の第1部)の司会を担当した。

 

大阪放送局勤務時代(1959年 – 1965年)、当時朝日座といった文楽劇場へ通いつめ、

文楽を筆頭に歌舞伎、新国劇などの古典芸能に通暁しており、

その時親しんだ八代目竹本綱大夫の評伝『綱大夫四季』の他、

その後も多数の古典芸能に関する著書がある。

 

同期にはスポーツアナウンサーとして知られる向坂松彦、ニュースキャスターやナレーターを務めた

松川洋右がいる。

志生野温夫(元日本テレビアナウンサー)は大学時代の同級生。

NHKの採用試験は、志生野と共に受験したが、志生野は4次試験の面接で落第した。

また文化放送、フジテレビでアナウンサーを務めた鳥居滋夫は静岡城内高校の同期。

 

 

著作

 

綱太夫四季 昭和の文楽を生きる 南窓社 1974 のち岩波現代文庫

爆笑の話術 新星出版社 1974

他人のふんどし 1976

上方芸人ばなし 日本放送出版協会 1977

歌右衛門の疎開 文藝春秋 1980 のち文春文庫、岩波現代文庫

ウルトラおじさん頑張る 講談社 1980

小説 和田信賢-そうそう、そうなんだよ- 1983 のち岩波現代文庫

夕空はれて 広池学園出版部 1985

歌右衛門の六十年 中村歌右衛門聞書き 岩波新書 1986

人の情けの盃を 淡交社 1986

もっとうまく話したい ダラダラ、マゴマゴにさよならする知恵 ごま書房 1988

勘三郎の天気 読売新聞社 1988 のち文春文庫

名手名言 中央法規出版 1991 のち文春文庫

山川静夫の歌舞伎十八選 これだけは見てほしい平成の歌舞伎 吉田千秋写真 講談社 1991

胸の振子 文藝春秋 1991

当世やまとごころ 日本放送出版協会 1992

オフィス忠臣蔵 文春ネスコ 1994

歌舞伎の知恵 演劇出版社 1994

文楽の女 吉田簑助の世界 淡交社 1994

私のNHK物語-アナウンサー38年 文藝春秋 1994 のち文庫

短いスピーチほどおあとがよろしいようで ごま書房 1998

話せるヒント 思いやりのキャッチボール 日本文芸社 1999

歌舞伎のかくし味 淡交社 1999

歌舞伎漫筆 岩波書店 2000

文楽の男 吉田玉男の世界 吉田玉男 淡交社 2002

山川静夫芝居随筆 演劇出版社 2003

花舞台へ帰ってきた。吉田簔助と山川静夫 脳卒中・闘病・リハビリ・復帰の記録 淡交社 2007

私の出会えた名優たち 演劇出版社 2007

歌舞伎の愉しみ方 岩波新書 2008

大向うの人々 歌舞伎座三階人情ばなし 講談社 2009

文楽の男 – 初世吉田玉男の世界 淡交社 2016

文楽の女 – 吉田簔助の世界 淡交社 2016

山川静夫の文楽思い出ばなし 岩波書店 2017

私の「紅白歌合戦」物語 文春文庫 2019

山川静夫の歌舞伎思い出ばなし 岩波書店 2021

 

出展:Wikipedia

 

 

 

 

ネットの反応

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、『山川静夫のプロフィールと最終学歴は?経歴や著作についても!』

というタイトルで、山川静夫さんについてお伝えしました。

 

”ネットの反応”を見ると、山川静夫さん、森光子さん、前川清さんも!

皆さんお若いですよね~♪

でもあっという間でしたよね~。

今回も最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

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