5月24日の「徹子の部屋」に二葉百合子さんが出演!
二葉百合子さんってどんな人なのか改めて調べてみました。
今回は、『二葉百合子のプロフィールと最終学歴は?経歴や受賞歴についても!』
というタイトルで、二葉百合子さんについてお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までごゆっくりお読みください。
Table of Contents
出展:post.tv-asahi.co.jp
徹子の部屋 二葉百合子
〜“岸壁の母”は今も…91歳衰え知らずの歌声に〜
二葉百合子さんが今日のゲストです。
ゲスト
3歳で浪曲師としてデビュー、戦後は歌手としても人気を博していた二葉百合子さんがゲスト。
番組内容
12年前「自分の声に満足できるうちに」と芸能生活77年で引退した二葉さん。
昨年、歌手協会から特別功労賞を贈られ、受賞記念に歌声を披露。
91歳とは思えない歌声が話題になった。
演歌界では二葉さんを慕う弟子たちが多く、今でも稽古をつけたり相談に乗る。
弟子との交流が若さの秘訣だと語る。
現在の趣味は全国の駅弁を購入し夫と食べること。
コンサートで訪れた場所を思い出しながら、各地の味を味わうとまた格別だという。
引用:「徹子の部屋」の番組案内から
出展:twitter
二葉 百合子 | |
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出生名 | 二葉 百合子 |
別名 | 大村 百合子(本名) |
生誕 | 1931年6月23日(91歳) |
出身地 | |
ジャンル | 演歌・浪曲 |
職業 | 歌手・浪曲師 |
活動期間 | 1934年 – 2011年 |
レーベル | キングレコード |
出展:Wikipedia
最終学歴:不明
出展:Twitter
東京都葛飾区堀切生まれ。
浪曲師の父・東若武蔵に師事し、3歳で浪曲師として初舞台。
関東節を女流ながらこなす稀な存在として、名を上げる。
1957年には『女国定』でレコードデビューし、
間奏に浪曲の台詞を入れる「歌謡浪曲」を確立させた。
1963年、歌手の大村忠と結婚し、長男を儲ける。
結婚を機に夫は二葉のマネージャーに転じた。
1970年文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。
事実をもとに作られ、菊池章子が歌ってヒットさせた「岸壁の母」
(作詞:藤田まさと、作曲:平川浪竜)を1972年に台詞入りでカバーし
大ヒットさせたことで特に有名。
1976年には同曲で日本レコード大賞の審査員会選奨賞、日本有線大賞の有線ヒット賞を受賞し
第27回NHK紅白歌合戦に出場した。
他のヒット曲に「九段の母」(戦前の塩まさるのカバー)・「関東一本〆」がある。
母物・股旅物を得意とし、和服で純和風な演歌を歌う。
母の感情のこもった歌声に涙を誘われる人も多い。
その歌声は古稀を過ぎ芸能生活75年を迎えても健在であり、昔と変わらない姿を見せた。
2010年3月17日、記者会見を行い、翌2011年3月の東京公演を最後に現役を引退すると発表。
2011年3月6日にNHKホールにて最終公演を行い、77年間の芸能生活に終止符を打った。
今後は後進の育成に携わるとしている。
以後もテレビ出演依頼やメディアの取材には応じており、2014年3月29日放送された
『第20回家族で選ぶにっぽんの歌』(NHK総合)にて引退から3年ぶりに
一夜限りの復活を果たした後、翌年2015年8月8日の『思い出のメロディー』(NHK総合)、
2018年5月15日には『うたコン』(NHK総合)に出演。
2021年6月には満90歳を迎え、同年8月14日、『人生、歌がある』(BS朝日)に出演。
同番組では弟子の坂本冬美、藤あや子らと共演、「岸壁の母」など往年のヒット曲を披露し、
貫禄を見せた。
1977年:日本放送演芸大賞受賞
1994年:芸術選奨文部大臣賞受賞
1999年:日本レコード大賞功労賞受賞
2006年:旭日小綬章受章[1]
出展:Wikipedia
いかがだったでしょうか?
今回は、『二葉百合子のプロフィールと最終学歴は?経歴や受賞歴についても!』
というタイトルで、二葉百合子さんについてお伝えしました。
凄いですね~♪
二葉百合子さん91歳と黒柳徹子さん90歳の対談ですよ!(失礼)
『人生100年時代』を自分の事として考えなおします~♪
今回も最後までお読みいただき有難うございました。