Table of Contents
國場幸房さんのニュース
今夜放送の『新プロジェクトX』では、
沖縄美ら海水族館の実施設計を担当した建築家・國場幸房(故人)さんの挑戦が取り上げられます。
沖縄の自然環境や地形を最大限に生かした建物づくり、
巨大水槽の設計に込められた意図などが紹介され、
國場さんがどのような信念で建築と向き合ってきたのかが明らかになる予定です。
國場幸房さんのプロフィール
出典:タイムス住宅新聞
名前:國場幸房(こくば ゆきふさ)
生年月日(年齢):1939年生まれ(77歳没)
出身地:沖縄県那覇市
最終学歴:早稲田大学第一理工学部建築学科卒業
職業:建築家・株式会社国建名誉会長
國場幸房さんの経歴
建築家としての原点と沖縄への思い
國場幸房さんは沖縄県那覇市で生まれ、幼い頃から沖縄の強い日差し、海風、地形、気候などを身近に感じて育ちました。東京で建築を学んだ後に故郷へ戻り、復帰前後の沖縄で「土地の記憶を空間に残す建築」を志し、地域の文化や自然条件を丁寧に読み解く姿勢を貫き続けました。高度成長期のように大量生産される建物ではなく、沖縄にしか存在しえない独自の形を追求していったことが、後の大規模プロジェクトにもつながっていきます。
国建での活動と地域建築の確立
1967年に株式会社国建へ入社した國場さんは、当時まだ整備が進んでいなかった沖縄の公共空間に建築家として深く関わります。道路や都市計画が十分ではない状況の中で、歴史・文化・伝統的な生活スタイルを尊重しながら、誰もが利用しやすい建築のあり方を模索しました。
特に「光の入り方」「風の通り道」「屋根の段差」「海への視線」を徹底的に計算し、気候の厳しさを逆に魅力へと変える設計手法を編み出し、沖縄特有のリゾート建築の原型をつくり上げていきました。
リゾート建築の先駆者としての飛躍
1975年竣工のムーンビーチホテルでは、國場さんの特徴が強く表れました。海と空が自然に建物へ入り込んでくるような開放的な動線、段丘状の屋根、視線を海へ導くアプローチなど、従来の観光施設にはなかった大胆な設計が高く評価されました。
また、「建物が風景を壊さず、風景が建物を支える」ことを理想とし、自然素材の扱い、軒の深さ、光のグラデーションなど、繊細な調整を繰り返して建物を完成させました。
沖縄美ら海水族館への挑戦
2002年開館の沖縄美ら海水族館は、國場さんの代表作のひとつです。広大な敷地を持つ海洋博公園の中に水族館をどう配置するか、来館者が海の存在を忘れずに歩けるようにするにはどうすればよいか、という視点から敷地計画を進めました。
建物は斜面を利用して段階的に配置され、エントランスから海へ視線が流れるように工夫されています。巨大水槽「黒潮の海」へ至る動線では、水槽の迫力だけでなく、水族館全体が海そのものの延長線になるような設計が施されており、来館者が“海と建築がつながった空間”を自然と体験できるようになっています。
大規模施設設計における構造的な工夫
巨大水槽を抱える水族館では、一般の施設とは比べものにならない構造的な強度が求められます。國場さんはアクリルパネルを製作する技術者とも密に連携し、巨大パネルを安全に支えるためのフレーム構造や、来館者が水中にいるような没入感を得られる角度・距離の計算に力を注ぎました。
視覚的に柱や梁が邪魔にならないように見え方を調整し、空間の連続性を最大化させる工夫も行われています。これにより、美ら海水族館は“建物そのものが展示物の一部”と呼ばれるほど、高い統合性を持つ施設となりました。
公共建築を通した地域社会への貢献
國場さんは美ら海水族館以外にも沖縄県公文書館など数々の公共建築を手掛け、地域社会の歴史・文化を守りながら新しい価値を創出してきました。公共施設の設計では、利用者の動線、地域住民の使いやすさ、災害時の耐久性など多くの要素を丁寧に織り込み、長く愛される建物を目指しました。
晩年と遺した建築思想
國場さんは2016年に亡くなられましたが、彼が築いた「沖縄の自然と共にある建築」は現在も多くの建築家に影響を与えています。作品だけでなく、土地の記憶を建築に刻むという思想が沖縄建築の大きな指針となり、建築文化の継承にも深い足跡を残しました。
國場幸房さんのXの反応
國場幸房さんのまとめ
國場幸房さんは、沖縄の自然や文化を建築に取り込む独自の設計思想を築き上げ、
多くの公共施設や観光建築を通じて地域の建築文化を支えた人物です。
美ら海水族館の実施設計では、巨大水槽と自然景観を融合させた空間づくりを実現し、
沖縄建築の魅力を国内外へ発信しました。
今夜の『新プロジェクトX』では、その挑戦と創造力がどのように結実したかが
紹介されると期待されます。
こちらの記事も読まれています!
出典
・公開プロフィール
・建築関連資料
・建築専門誌インタビュー
