7月17 日の「クローズアップ現代」に吉永小百合さんが出演!
吉永小百合さんってどんな人なのか改めて調べてみました。
今回は、『吉永小百合の現在と若い頃は?プロフィールや学歴と経歴についても!』
と言うタイトルで、吉永小百合さんについてお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までごゆっくりお読みください。
Table of Contents
出展:NHK
よしなが さゆり 吉永 小百合 | |||||||||||||||
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『映画情報』1965年2月号(国際情報社)より | |||||||||||||||
本名 | 岡田 小百合(旧姓:吉永) | ||||||||||||||
生年月日 | 1945年3月13日(79歳) | ||||||||||||||
出身地 | |||||||||||||||
身長 | 155 cm[1] | ||||||||||||||
血液型 | O型 | ||||||||||||||
職業 | 女優・歌手・ナレーター・司会者・タレント | ||||||||||||||
ジャンル | 映画・テレビドラマ・CM | ||||||||||||||
活動期間 | 1957年 – | ||||||||||||||
配偶者 | 岡田太郎 | ||||||||||||||
事務所 | 吉永小百合連絡事務所 | ||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||
映画 『キューポラのある街』 『伊豆の踊子』 『愛と死を見つめて』 『男はつらいよ 柴又慕情』 『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』 『海峡』 『天国の駅 HEAVEN STATION』 『おはん』 『映画女優』 『つる -鶴-』 『華の乱』 『長崎ぶらぶら節』 『北の零年』 『母べえ』 『おとうと』 『北のカナリアたち』 『ふしぎな岬の物語』 『母と暮せば』 『こんにちは、母さん』 | |||||||||||||||
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備考 | |||||||||||||||
紫綬褒章(2006年) 文化功労者(2010年) |
出展:Wikipedia
最終学歴:早稲田大学第二文学部西洋史学専修
出展:Movie Walker
美しく、幸せそうなお姿ですね~♪
出展:www.pinterest.jp
この美しさ!可憐な様!奇跡というほかありません。
出展:X
1957年(昭和32年)、渋谷区立西原小学校6年生の時、ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。
同年4月、渋谷区立代々木中学校に入学。
同年10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。
1959年(昭和34年)に松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。
1960年(昭和35年)3月、渋谷区立代々木中学校卒業。
同年4月、東京都立駒場高等学校全日制普通科入学。
同時に日活撮影所に入社。
駒場高校では一週間のみ卓球部に所属し、素振りしかやらせてもらえない環境に耐えられず
放送研究会(偶然にも副部長が一学年先輩の加藤登紀子だった)に転部。
1961年(昭和36年)1月、精華学園女子高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)に
転入学。
1962年(昭和37年)4月8日、『キューポラのある街』が公開。
第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞する。
同年4月20日、主演映画『赤い蕾と白い花』の主題歌「寒い朝」をシングルとしてビクターから
リリースし、レコードデビュー。
50万枚以上のヒットを記録した。
同年9月に発表した橋幸夫とのデュエット「いつでも夢を」も300万枚の大ヒットとなった。
「日活の看板女優」として、浜田光夫と1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こす。
男性アクション映画路線を主軸としていた当時の日活にとって、
吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。
また、ブロマイドがあまりの売れ行きに店頭から姿を消すなどの現象も起き、
松原智恵子と和泉雅子の3人で「日活三人娘」と呼ばれた。
また、浅丘ルリ子、芦川いづみ、中原早苗らと合わせて「日活パールライン」とも呼ばれた。
俳優業多忙のため精華学園女子高校は中退していたが、1965年(昭和40年)には、
大学入学資格検定に全科目合格は出来ていなかったものの早稲田大学より高卒同等以上の
学力があると認められ、早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学。
1967年(昭和42年)10月、株式会社吉永事務所を設立。
1969年(昭和44年)、早稲田大学を次席で卒業。
同年、年2本以上の日活作品に出演する代わりに他社の作品や自主制作映画は日活側の諒解を得れば
自由に出演が出来る条件で日活と契約更新する。
しかし当時はヤクザ映画が全盛で、
吉永向けの純愛・青春系の作品を制作するのは既に困難であった。
1969年 に吉永事務所により『あゝ野麦峠』の映画化が計画され、内田吐夢監督、吉永主演
(政井みね役)自主制作するも実現しなかった。
野麦峠に何回か訪れていた吉永は現地に「政井みねの碑」を寄贈している。
なお、『あゝ野麦峠』は10年後の1979年)に山本薩夫監督、大竹しのぶ主演で映画化された。
1973年(昭和48年)岡田太郎と結婚し、京王プラザホテルで披露宴を執り行う。
挙式の際吉永の実両親は欠席し、確執が噂された。
1988年(昭和63年)映画『つる -鶴-』に主演し、映画出演は通算100作品となる。
1990年 代以降の女優活動は映画のみであるが、CM出演・ラジオパーソナリティ、
原爆詩の朗読などの平和への訴えや反原発について意見を述べるなどの活動を続けている。
出展:Wikipedia
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いかがだったでしょうか?
今回は、『吉永小百合の現在と若い頃は?プロフィールや学歴と経歴についても!』
と言うタイトルで、吉永小百合さんについてお伝えしました。
「伊豆の踊子」の吉永小百合さんは最高でしたね~♪
高橋英樹さんも美しかった(笑)
今回も最後までお読みいただき有難うございました。