7月20 日 の「新プロジェクトX」に、本田美登里さんが出演!
本田美登里さんってどんな人なのか改めて調べてみました。
今回は、『本田美登里(元女子サッカー選手)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』
と言うタイトルで、本田美登里さんについてお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までごゆっくりお読みください。
Table of Contents
出展:NHK
新プロジェクトX なでしこの花咲く日まで〜サッカー女子 不屈のバトンリレー〜
2011年、サッカー女子W杯で優勝した「なでしこジャパン」。
強くなければ認めてもらえない。
逆境を生き抜いた草創期のメンバーから、不屈のバトンをつないだ物語。
7月20日 土曜 19:30 -20:15 NHK総合1・東京
2011年、サッカー女子W杯で優勝した「なでしこジャパン」。
試合後の記者会見、選手たちは「この優勝は先輩たちのお陰」だと語った。
サッカー女子日本代表が誕生したのは、まだ女性のサッカーが珍しかった1980年代。
仕事と両立し、けがや偏見と戦う逆境にさらされながら、草創期のメンバーは、
後輩のため道を切り拓こうとした。
「強くならなければ認めてもらえない。」不屈のバトンをつないだ、なでしこ30年の物語。
出演者
【語り】田口トモロヲ,
【出演】澤穂希,本田美登里
出展:X
| |||||
---|---|---|---|---|---|
名前 | |||||
カタカナ | ホンダ ミドリ | ||||
ラテン文字 | HONDA Midori | ||||
基本情報 | |||||
国籍 | |||||
生年月日 | 1964年11月16日(59歳) | ||||
出身地 | 静岡県清水市 | ||||
選手情報 | |||||
ポジション | MF, DF (現役時代) | ||||
ユース | |||||
1975-1978 | 入江SS | ||||
クラブ1 | |||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | ||
1979-1985 | |||||
1985-1992 | |||||
代表歴2 | |||||
1981-1991 | 43 | (0) | |||
監督歴 | |||||
1991-1993 | |||||
2001-2011.1 | |||||
2005 | |||||
2013-2019 | |||||
2020-2021 | |||||
2022-2024 | |||||
2024- | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2013年1月20日現在。 2. 2013年1月20日現在。 |
出展:Wikipedia
最終学:国士舘大学体育学部
出展:X
小学3年生になった1975年に入江スポーツ少年団でサッカーを始める。
清水市立第八中学校、清水市立商業高等学校を経て、国士舘大学体育学部に入学。
大学1年生まで清水第八スポーツクラブに在籍。
全日本女子サッカー選手権大会では第2回(1981年)~第5回(1984年)大会の4連覇に貢献した。
1985年に読売サッカークラブ女子ベレーザに移籍。
日本女子サッカーリーグ(JLSL)では第1回(1989年)から第4回(1992年)までの間に
45試合に出場し、うち第2回から第4回大会でリーグ3連覇と全日本女子サッカー選手権大会の
2連覇(第9回(1988年)~第10回(1989年))に貢献した。
日本女子代表には高校2年生のときに選ばれ、日本女子初の国際試合出場メンバーの一員に。
以後10年間で国際Aマッチに43試合出場。
第11回アジア競技大会(1990年・北京)では銀メダル獲得に貢献し、
翌1991年の第1回女子世界選手権(中国大会)にも出場した。
1991年から1993年に読売ベレーザのプレーイングコーチと読売メニーナのコーチを務めたのち、
1994年に日本サッカー協会に就職し、日本女子サッカーリーグ(L・リーグ:当時)事務局委員と
協会の女子委員会強化部員を兼任。
1999年にU-18日本女子選抜コーチとして第1回adidas Cup参加、
2000年にはU-18日本女子選抜監督代行として第2回 Adidas Cup に参加。
また日本サッカー協会主催のサッカー教室で全国巡回指導を行った。
2001年から岡山県英田郡美作町(現・美作市)に誕生した岡山湯郷Belleの監督に就任して、
宮間あや、福元美穂などの有力選手を育成した。
2003年にはL・リーグ参入を果たし、2004年にはL・リーグ2部で優勝して
翌2005年のL・リーグ1部昇格を経験した。
2005年8月10日からトルコのイズミルで行われたユニバーシアード世界大会では
女子サッカー代表の監督を務め、後に日本女子代表の主力へと成長する
近賀ゆかり・岩清水梓・川澄奈穂美らを擁して銅メダルを獲得した。
2007年9月13日、女性指導者としては初となる日本サッカー協会公認S級コーチの資格を取得した。
2011年1月31日、岡山湯郷Belleの監督を退任する旨が発表され、
同年2月1日、U-20サッカー日本女子代表コーチに就任した。
2013年、なでしこチャレンジリーグに参加しているAC長野パルセイロ・レディース監督に就任。
2015年10月、プレナスなでしこリーグ2部第26節愛媛FCレディース戦で勝利したことで、
AC長野パルセイロ・レディースの優勝が決定し、就任3年目でチームを昇格に導いた。
同年11月、2016シーズンの続投が決定した。
2019年12月6日、AC長野パルセイロ・レディースの監督を退任した。
同年12月28日、静岡SSUアスレジーナの監督に就任した。
2022年1月7日、静岡SSUボニータの監督を退任することを発表、
同年1月20日にサッカーウズベキスタン女子代表の監督に就任することが発表された。
2024年2月のパリ五輪最終予選ではウズベキスタンをオーストラリア女子代表との
決定戦にまで導いた。
第1戦では後半28分まで無失点に抑えチームは奮闘したがその後3点を失い、
さらに第2戦では10-0の大差で敗北し五輪出場を逃した。
2024年3月9日ジュビロ女子サッカースーパーバイザーに就任し、
なでしこ1部に所属する静岡SSUボニータの監督に出向という形で再度就任することが発表された。
出展:Wikipedia
こちらの記事も読まれています!
いかがだったでしょうか?
今回は、『本田美登里(元女子サッカー選手)のプロフィールは?学歴や経歴についても!』
と言うタイトルで、本田美登里さんについてお伝えしました。
今回も最後までお読みいただき有難うございました。