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バーナード・リーチ(英国人芸術家)のプロフィールと経歴のまとめ

 

 

 

バーナード・リーチのニュース

 

出典:NHK

 

2025年9月14日放送のNHK「美の壺」では、英国の陶芸家バーナード・リーチが特集されました。

番組では、日本と西洋の陶芸をつないだ巨匠の人生と作品、

そして民藝運動との深いつながりが紹介されました。

出西窯や湯町窯といった日本各地の窯元に受け継がれるリーチの精神、

また彼が残した映像記録や器の美しさに迫る内容でした。

 

 

 

 


バーナード・リーチのプロフィール

 


出典:英国の偉人の生涯をたどる 『Great Britons』 – Online …

 

 

 

 

 


バーナード・リーチの経歴

 

出典:BRUTUS.jp

 

幼少期と日本文化との出会い

バーナード・リーチは香港に生まれ、幼少期に日本でも過ごした経験から東洋文化に親しみを持ちました。イギリスで美術教育を受けた後、1909年に再び来日し、美術を教えながら陶芸と本格的に出会います。

陶芸への傾倒

1911年に京都で楽焼を学んだのをきっかけに陶芸に傾倒。伝統的な技法や美意識を吸収しつつ、柳宗悦や濱田庄司らと交流を深め、民藝運動と結びつきながら独自の思想を形成していきました。

セント・アイヴス工房の設立

1920年、英国コーンウォール地方セント・アイヴスに「リーチ・ポタリー(Leach Pottery)」を設立。濱田庄司らと共に、日本の登り窯を英国に導入し、東西の技法を融合させた制作を開始。これにより「スタジオ陶芸」という概念を確立し、後世の陶芸家に大きな影響を与えました。

著作と理念の発表

1940年に刊行した著書『A Potter’s Book』は、陶芸の実践書であると同時に哲学書としても名高く、工芸・デザイン分野で広く読まれました。リーチは「陶器は生活の中でこそ生きる芸術である」との理念を唱え、実用と美を兼ね備えた民藝的美意識を広めました。

日本との交流と民藝運動

柳宗悦らとともに推進した民藝運動では、日本の手仕事の美を西洋に紹介するとともに、自らも日本各地の窯元に指導を行いました。島根県の出西窯や湯町窯にはリーチの精神が受け継がれ、現在もその影響が作品に現れています。

晩年と遺産

1979年に亡くなるまで作陶を続け、残した工房「リーチ・ポタリー」は今も運営され、作品展示や陶芸教育の拠点となっています。リーチの器は世界中の美術館に収蔵され、その思想と作風は今も陶芸界で高く評価されています。

 

 

 

 


バーナード・リーチのXの反応

 

 


バーナード・リーチのまとめ

 

バーナード・リーチは「東と西をつなぐ陶芸家」と呼ばれ、

日本と英国を往復しながら陶芸に新たな価値を与えました。

手仕事の尊さを重視し、民藝の理念を世界に広めた彼の功績は大きく、

現在も工房や窯元でその精神が受け継がれています。

「美の壺」での特集は、リーチが目指した“生活に根ざす美”を再発見する機会となりました。


出典

 

 

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